本国宗一郎が1946年に設立した日本のメーカー。まず2輪の生産に乗り出し、やがて業界トップとなったあと、62年から小型スポーツカーS500、S600で4輪にも進出した。64年からF1に挑戦。第1期( 64~68年)には1.5LのRA272と3LのRA300で2勝をあげ、第2期(83~92年)はターボエンジンをウィリアムズ、マクラーレンなどに供給して、計11個のタイトルを獲得するという大成功を収めた。2003年はBARにエンジンを供給している。そのほかのカテゴリーとしては1960年代中盤と80年代初めにエンジン供給のかたちでF2に参戦し、どちらもタイトルを獲得した。アメリカでは、94年からCARTにエンジンを供給し、マニュファクチュアラーズ・チャンピオンに4度輝いたが、2003年からはIRLに移行。また1990年代半ばにはシビックやアコードで内外のツーリングカー選手権に参戦、現在もBTCCにシビックが出場している。国内では、GT選手権にNSXが出場しているほか、ワンメイクレースの主催、フォーミュラマシンによるレーシングスクールの主催などの普及活動を進めており、また、鈴鹿ともてぎの2つの国際サーキットも所有している。
(Honda から転送)
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2000年から使用されているロゴ
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本社の入る虎ノ門アルセアタワー(2025年)
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| 種類 | 株式会社 |
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| 機関設計 | 指名委員会等設置会社[1] |
| 市場情報 | |
| 略称 | Honda、ホンダ |
| 本社所在地 | 〒105-8404 東京都港区虎ノ門二丁目2番3号 虎ノ門アルセアタワー 北緯35度40分8.5秒 東経139度44分46.2秒 / 北緯35.669028度 東経139.746167度座標: 北緯35度40分8.5秒 東経139度44分46.2秒 / 北緯35.669028度 東経139.746167度 |
| 設立 | 1948年9月24日 |
| 業種 | 輸送用機器 |
| 法人番号 | 6010401027577 |
| 事業内容 | 自動車・オートバイ・汎用製品・飛行機の製造および販売 |
| 代表者 | 三部敏宏(取締役代表執行役社長兼CEO)[2] |
| 資本金 |
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| 発行済株式総数 |
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| 売上高 |
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| 営業利益 |
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| 経常利益 |
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| 純利益 |
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| 純資産 |
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| 総資産 |
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| 従業員数 |
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| 決算期 | 3月31日 |
| 会計監査人 | 有限責任あずさ監査法人[3] |
| 主要株主 |
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| 主要子会社 | #主なグループ企業参照 |
| 関係する人物 | |
| 外部リンク | global |
| 特記事項:連結経営指標は国際会計基準のため、売上高は売上収益、経常利益は税引前利益、純利益は当期利益、純資産は親会社の所有者に帰属する持分合計、総資産は負債及び資本合計。 | |
本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、英: HONDA MOTOR CO.,LTD.[4])は、日本の多国籍の複合企業の自動車メーカーであり、本社は東京都港区虎ノ門のトラノモン・アルセアタワーに所在する。通称「Honda」、「ホンダ」。オートバイの販売台数、売上高は世界首位[5]。自動車の販売台数は世界8位(2015年度)[6]、国内2位。小型ジェット機(ビジネスジェット)の出荷数世界首位。芝刈機のシェアも世界首位。発電機、除雪機、小型耕うん機のシェアは日本国内首位。
本田宗一郎によって1946年10月に創業されたホンダは、1959年以来世界最大のオートバイメーカーであり、2025年5月時点で累計生産台数5億台に達している[7][8][9]。世界第2位のヤマハ発動機とあわせると世界シェアの約25%を占め、オートバイ産業を牽引する企業である[10]。また、年間1,400万基以上の内燃機関を生産する世界最大の内燃機関メーカーでもある[11]。ホンダは2001年に日本で第2位の自動車メーカーとなり[12]、2015年には世界で第8位の自動車メーカーとなった[13]。また、史上最も多く生産されたオートバイであるホンダ・スーパーカブを製造・販売している[14]。
ホンダは1986年3月27日に、日本の自動車メーカーとして初めて専用の高級車ブランドのアキュラを発表した。自動車とオートバイ事業に加えて、ホンダは園芸機器、船外機、水上オートバイ、発電機なども製造している。1986年以降、人工知能やロボット工学の研究にも携わっており、2000年にASIMOを発表した。また、2004年にはGEホンダ・エアロ・エンジンズを設立し、2012年からホンダ HA-420 ホンダジェットの生産を開始するなど、航空分野にも進出している。ホンダは中国で東風ホンダおよび広汽ホンダという2つの合弁会社を有している。
2013年、ホンダは売上高の約5.7%(68億米ドル)を研究開発に投資した[15]。同年、ホンダはアメリカからの純輸出企業となった初の日本の自動車メーカーとなり、10万8,705台のホンダおよびアキュラ車を輸出し、輸入台数は8万8,357台であった[16]。
東京証券取引所プライム市場およびニューヨーク証券取引所(NYSE)上場企業であり、日経平均株価およびTOPIX Core30、JPX日経インデックス400の構成銘柄の1つ[17][18][19]。
本田宗一郎が1946年(昭和21年)に静岡県浜松市で本田技術研究所を起業し、後に本田技研工業へ改組した。二輪車(オートバイ)、四輪車(自動車)およびパワープロダクツ事業(汎用製品:耕耘機・芝刈機・除雪機・発電機・船外機)を主要事業としている[20]。また、新規事業として小型ジェット機(HondaJet)及びターボファン式ジェットエンジンの開発・生産、二足歩行ロボット「ASIMO」に代表される各種ロボティクス機器の研究開発、ロケットなどの宇宙事業、風力発電施設による売電事業なども展開している。米ブランドコンサルティング会社のインターブランドが発表した2019年の世界ブランドランキングでは、日本の企業では7位のトヨタに次ぐ21位である[21]。2011年に発売したN-BOXシリーズの大ヒット以降は、国内販売の半数を軽自動車が占めるようになっている[22]。
日本での販売網は、四輪販売店がホンダカーズ店、二輪販売店がホンダドリーム店に大別できる。発電機や刈払機などの汎用機を専門に扱う店舗ブランドは存在しない。小型車・軽自動車を主に扱っていた旧プリモ店の運営会社の出自が自転車店、オートバイ店、機械工具店、マリーン・船外機取扱店、農機具取扱店であったり、地元有力者の中小の商店や企業などで委託販売形式を採用していた名残があり、地域に密着した販社が多い。
二輪車では無いレンタカー事業は、トヨタや日産など同業他社よりも早い1964年(昭和39年)に参入したが、5年後の1969年(昭和44年)に撤退、その後は日本国内全域を網羅する自社ブランドのレンタカー会社を持たなかった[注釈 1]。ニッポンレンタカーやオリックス自動車、沖縄ツーリストと提携して、ホンダ車専用の予約サイトをこれら3社に運営委託している他、期間・地域限定でホンダ車を安価でレンタルできるキャンペーンを展開している。その後、二輪車のレンタカー事業としてホンダGOバイクレンタル[24]を2020年4月6日から開始した[25]。このサービスは予約から支払いまで全てオンラインとしているのが大きな特徴である。2017年9月、カーシェアリング形態の会員制レンタカーサービスとして「Every Go」をスタート[26]。会員証代わりにICカード運転免許証を利用し、予約した車両の解錠・施錠に免許証のICチップを活用している[26]。予約サイト運営を本田技研工業が、車両の手配やメンテナンスなどは全国のホンダカーズなどの販売店が行っている。2021年4月より「Every GO」のサイト運営を100%子会社であるホンダモビリティソリューションズ株式会社に事業譲渡する。
北米では大衆車ブランドの"HONDA"と高級車ブランドの"Acura"(アキュラ)で展開、大衆車では大きなシェアを占める[27]。北米での売上は大きな収入源で、日本では販売していないATVやパーソナルウォータークラフトなども取り扱っている。
ホンダ四輪車のアメリカ展開は、1969年にN600をハワイ州で発売したことから始まった。ポートランドに米国ホンダを設立、本土にも輸出を行うが、初期ロットの車両にカーヒーターとデフロスターの欠陥が見つかり、1台9ドルで売却されスクラップになるといった出来事もあった[28]。
中国展開は、1973年に宗一郎が自ら訪中して中国展開を決意し、二輪車の輸出を始めた。1982年には重慶市のメーカーと技術提携して現地での二輪車部品生産を開始した。1992年には重慶市、広州市ならびに天津市に合弁企業による二輪車生産工場を設けた。
本格的な四輪車の販売へ乗り出すべく、1993年には香港にHONDA CHINAを設立した。当時は現地生産車ではなく輸入車のみではあったが、中国での販売とアフターサービスを行った。本格的な四輪車の生産は1994年に、東風汽車(武漢)との合弁で設立した東風本田零部件有限公司で始まった。1998年には広州汽車(広州)と合弁し、それまでの合弁相手だったプジョーが撤退した後の工場をそのまま譲り受け、アコードやフィットなどの生産を始めた。プジョーと合弁していた時代からの従業員を本田流に指導し、高品質の製品が作り出されるようになった。今では広州本田だけで年産24万台に発展し、広州市のパトカーにもホンダ車が使われている。
創業者の宗一郎は経営者・技術者として著名であり、社名は宗一郎の姓から名づけられた[注釈 2]。通称および日本の各証券取引所での表示は「ホンダ」。ロゴはアルファベット大文字の「HONDA」を赤色でデザインしたもの。2000年末よりロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレートアイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになった。これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは縦組の場合は「ホンダ」の表記を要望していて[29]、実際に日本の大手マスコミではNHKを含めて正式社名の『本田技研工業』が登場する機会は2024年現在、ほぼ無くなっている。
この他、それぞれの開発分野の独自性を示す意味で、二輪車用には翼をイメージしたマークと「HONDA」のロゴとの併用、四輪車用は「H」をデザインしたマークをそれぞれ専用のロゴマークとして採用している。四輪車でも、1980年代までは「H」マークと「HONDA」のロゴとが併用されていたが、2016年現在では「H」マークに統一されている。発電機などの汎用製品の場合には「HONDA」のロゴのみとなっている。
藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術者出身であるべき」という言葉が現在も守られており、現在の三部敏宏に至るまで、歴代の社長はすべて技術者出身である。そのうち福井威夫まではエンジン開発部門の技術者であり、宗一郎以外の全員が四輪F1もしくは2輪WGPのエンジン開発経験がある。また、宗一郎・藤沢は両者とも子供をホンダに入社させない方針であった。創業初期に重要な役目を担った宗一郎の実弟・弁二郎も退社させている。その後、弁次郎はホンダの部品メーカー本田金属技術を、長男の博俊はホンダのアフターパーツメーカー「無限」を創業した。
創業者一族による会社の私物化の弊害を恐れる宗一郎の信念が貫かれ、縁故採用は一切行わず、実力本位の採用を行っている。もっとも、初期のころは宗一郎と自身の父親が知り合いだった縁で入社した2代目社長の河島喜好のように親戚・口利きで問題なく入社することができた。縁故採用を行わないルールを作成したのは、会社がある程度大きくなってからのことであり、縁故採用を行うわけにはいかない宗一郎の個人的事情が陰にあった。一方で中途採用には積極的であり、初期の自動車開発を進め、F1監督も務めた中村良夫を始め、ASIMO開発の中心者である広瀬真人[30]、SH-AWDなどの駆動力制御が専門である芝端康二も中途採用組である。ほかにも宗一郎の思想が反映した事例としては、社長室がない、重役達は一つのフロアを共有しているという特徴がある。
労働環境は、ほかの自動車工場より良いといわれる。良い例が、連続2交代制勤務といち早く週休2日制を導入したこと[注釈 3]があげられる。また、従業員の作業服の洗濯も無償で行っている。また、ほかの自動車工場に比べ、女性の進出も多い。現場主義で知られ、新入社員は工員以外にも、事務職・技術職・また男女の性別を問わずに、各製作所で半年間程度の研修をさせている。
日本の自動車(二輪・四輪)メーカーの中では知的財産権に関する取り組みが早く、1980年代以降、ホンダ車を製品化したプラモデル・ミニチュアカーにはパッケージに「本田技研工業承認済」(現在は二輪・四輪どちらかのマークおよびHonda Official Licensed Productの組み合わせ)の表記が記載されるようになった。これは創業者の宗一郎が「ウチの車を製品化するときは、できる限り似せて作って欲しい」と発言したことにも由来する。ゲームについては、一般車両が混在して走るレーシングゲーム(首都高バトルシリーズなど)には版権を許諾していなかったが、2017年に登場したスマートフォンゲーム「首都高バトルXTREME」で初めて、アザーカーが登場するゲームに収録された。このほか、2024年1月26日より松竹系にて公開された劇場用アニメ映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』には本作の主人公であるキラ・ヤマトの所有するバイクとしてゴールドウイングとHAWK 11が劇中に登場するため、エンディングのスタッフロールに”協力”として当社がクレジットされた[31]。
また、ASIMOを開発・製造していることから、自動車がロボットに変形する作品での使用には一定の制約を設けており、「トランスフォーマー バイナルテック」ではロボット変形時に装備させる道具を武器としないことでホンダ車の商品化に漕ぎ着けた経緯がある[注釈 4]。また、2012年から商品展開された「超速変形ジャイロゼッター」でも、日本の自動車メーカーの車両が多数登場する中で一台も登場しなかった[32]。これについてホンダ側は「イメージに合わないためお断りした」と回答している[32]。
1971年には、低公害技術であるCVCCを発表。米国でマスキー法という環境規制法が成立しており、その規制開始期限までに規制に対応するエンジンは世界中のメーカーが開発不可能と言われていたほど厳格な規制であった。そのマスキー法の条件をクリアしたのが、当時、日本の中小メーカーだったHondaであり、Hondaの名前を世界に知らしめた。翌年から翌々年にかけてトヨタ、フォード、クライスラー、いすゞに技術供与した。
近年は、ハイブリッド車インサイトやシビックハイブリッドなどの二酸化炭素の排出量の少ない車両の本格普及に向けての低価格なハイブリッドカーの販売、地球環境産業技術研究機構(RITE)との共同研究による、稲わら、麦わら、コーンの茎などの農業廃棄物や木屑などのバイオマス資源からエタノール燃料を効率的に生産する循環型エネルギー技術の開発[33]、各工場での生産体系や物資輸送体系の見直し[要出典]、有志による海岸の清掃活動[34]など、多岐に渡っている。また日本国外では、中華人民共和国内モンゴル自治区通遼市のホルチン砂漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っている[35]。
これらの環境問題に対して積極的に取り組んでいるだけでなく、来るべき未来に向けた次世代環境技術の実践開発として、水素燃料電池自動車FCXクラリティのリース販売、環境負担の少ない水素燃料生産供給インフラ「太陽電池式水電解型水素ステーション」、既存の都市ガスなどの天然ガス供給インフラから水素を製造しつつ、燃料電池コージェネレーション機能によって家庭用の熱(給湯や暖房など)および電力の供給を行う「ホーム・エネルギー・ステーション」の開発及び実験稼動も行っている。
(2021年6月23日現在)[36]
| 役名 | 氏名 | その他職名・兼 |
|---|---|---|
| 取締役会長 | 神子柴 寿昭 | 取締役会議長 |
| 取締役代表執行役社長 | 三部 敏宏 | 経営最高責任者 |
| 取締役代表執行役副社長 | 倉石 誠司 | 最高執行責任者 兼 コーポレートブランドオフィサー |
| 取締役執行役専務 | 竹内 弘平 | 最高執行責任者 兼 コンプライアンスオフィサー |
| 取締役 | 鈴木 麻子 | |
| 鈴木 雅文 | ||
| 酒井 邦彦 | ||
| 國分 文也 | ||
| 小川 陽一郎 | ||
| 東 和浩 | ||
| 永田 亮子 | ||
| 執行役常務 | 貝原 典也 | カスタマーファースト本部長 兼 リスクマネジメントオフィサー |
| 安部 典明 | 日本本部長 兼 安全運転普及本部長 | |
| 水野 泰秀 | 四輪事業本部長 | |
| 大津 啓司 | 株式会社本田技術研究所 代表取締役社長 | |
| 常務執行役員 | 藤野 道格 | ホンダエアクラフトカンパニー 取締役社長 |
| 青山 真二 | 北米地域本部長 兼 アメリカホンダモーター 取締役社長(経営最高責任者) | |
| 松川 貢 | ホンダ・ディベロップメント・アンド・マニュファクチュアリング・オブ・アメリカ 取締役社長 |
|
| 井上 勝史 | 中国本部長 兼 本田技研工業(中国)投資有限公司 総経理 兼 本田技研科技(中国)有限公司 総経理 |
|
| 高橋 尚男 | 四輪事業本部 ものづくりセンター所長 兼 株式会社本田技術研究所 取締役 | |
| 野村 欣滋 | 二輪事業本部長 |
| 代数 | 名前 | 任期 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1 | 本田 宗一郎 | 1948年9月 - 1973年10月 | |
| 2 | 河島 喜好 | 1973年10月 - 1983年10月 | |
| 3 | 久米 是志 | 1983年10月 - 1990年6月 | |
| 4 | 川本 信彦 | 1990年6月 - 1998年6月 | |
| 5 | 吉野 浩行 | 1998年6月 - 2003年6月 | |
| 6 | 福井 威夫 | 2003年6月 - 2009年6月 | |
| 7 | 伊東 孝紳 | 2009年6月 - 2015年6月 | |
| 8 | 八郷 隆弘 | 2015年6月 - 2021年 3月 | |
| 9 | 三部 敏宏 | 2021年4月 - | 現職 |
生涯を通じて、ホンダの創業者である本田宗一郎(1906年-1991年)は自動車に興味を持っていた。彼はアート商会ガレージで整備士として働き、車をチューニングしてレースに出場した。1937年に、本田は知人の加藤七郎からの資金援助を受け、ピストンリングを製造するためにアート商会ガレージ内で東海精機(東海精密機械会社)を設立した<[37]。初期の失敗の後、東海精機はトヨタにピストンリングを供給する契約を獲得したが、製品の品質が悪かったため契約を失った[37]。本田は工業学校に通ったが卒業せず、日本中の工場を訪れて五つのなぜとして知られるトヨタの品質管理プロセスをよりよく理解しようとした結果、1941年までに、未熟練の戦時労働者でも使用できる自動化された工程によってトヨタに受け入れられるピストンリングを大量生産することができるようになった[37][38]:16–19。
本田宗一郎は第二次世界大戦の開戦時に商工省(1943年以降は軍需省と呼ばれる)の管理下に置かれ、トヨタが会社の40%の株式を取得した後、本田宗一郎は社長から専務取締役に降格された[37]。また本田は他社が軍用航空機のプロペラ生産を自動化するのを支援することで戦争遂行を助けた[37]。本田がトヨタ、中島飛行機、および大日本帝国海軍の関係者と築いた関係は、戦後期において重要な役割を果たすことになる[37]。1944年にはアメリカのB-29爆撃機の攻撃により東海精機の山下工場が破壊され、1945年1月13日の三河地震で板羽工場が倒壊した。本田宗一郎は戦後、会社の再生可能な残骸をトヨタに45万円で売却し、その収益を基に1946年10月に本田技術研究所を設立した[37][39]。
12人のスタッフと共に16 m2 (170 sq ft)のバラックで働き、彼らは500台の二行程50ccトーハツ製残存品無線エンジン発電機を利用して即席の原動機付き自転車を製造・販売した[37][38]:19[40]。エンジンが尽きると本田はトーハツエンジンのコピーを製造し、それを顧客に供給して自転車に取り付けさせた[37][40]。これがホンダA型であり、エンジンが発する音から「バタバタ」と呼ばれた[37]。1949年、本田技術研究所は100万円(現在の約5,000米ドル)で清算され、この資金が本田技研工業株式会社の設立に用いられた[38]:21。ほぼ同時期に、本田は技術者の川島喜八郎と藤沢武夫を雇用し、藤沢は本田宗一郎の技術的志向を補う不可欠な経営および販売の専門知識を提供した[38]:21。本田宗一郎と藤沢の密接な協力関係は、両者が1973年10月に共に退任するまで続いた[38]:21。
ホンダがフレームとエンジンの両方を製造した初の完全なオートバイは1949年のD型であり、「ドリーム」の名で知られる最初のホンダ車であった[39][41]。1961年、ホンダは125ccおよび250ccカテゴリーで初のグランプリ勝利と世界選手権タイトルを獲得した[42]。ホンダは短期間で成長し、1964年には世界最大のオートバイメーカーとなった[43]。
ホンダの市販初の自動車はT360小型ピックアップトラックで、1963年8月に発売された[44]。小型の356cc直列4気筒ガソリンエンジンを搭載し、低税率の軽自動車区分に分類された[45]。2番目の市販車はS500スポーツカーで、T360の後を追って1963年10月に生産が開始された。そのチェーンドライブ式の後輪は、ホンダのオートバイ起源を示していた[46]。
その後数十年にわたり、ホンダは製品ライン、事業、および輸出を世界各国へ拡大していった。1986年、ホンダはアメリカ市場で成功したアキュラブランドを導入し、高級車市場での地位拡大を試みた。1991年には、オールアルミモノコック構造を採用し、ミッドシップV6エンジンと可変バルブタイミング機構を組み合わせたスーパーカーのNSXを発表した[47]。
1990年にはCEOの久米是志が川本信彦に交代した。川本は入交昭一郎と比較して選ばれ、入交はオハイオ州メアリーズビルでのHonda of America Manufacturing, Inc.の成功した設立を監督していた。入交と川本はホンダ内部で友好的な競争関係にあったが、入交は健康上の理由で1992年に辞任した。
本田宗一郎の死と入交の退任後、ホンダは他の日本の自動車メーカーに製品開発面で急速に追い越され、1990年代のトラックおよびスポーツ用多目的車(SUV)ブームに対応できず、会社の収益性に悪影響を及ぼした。1992年および1993年、日本のメディアは、当時販売台数でより大きく、パジェロやディアマンテの成功で利益が潤沢だった三菱自動車による望まぬ敵対的買収の深刻な危険にホンダがさらされていると報じた[48]。
川本はホンダの企業文化を変革するために迅速に行動し、市場主導の製品開発を急速に進めた。その結果、初代オデッセイやCR-Vなどのレジャー車が誕生し、同社の技術者には人気があったが購買層には魅力が乏しかった多数のセダンやクーペからの事業再編が行われた。最も衝撃的な変化は、川本が1992年シーズンをもってホンダの成功したフォーミュラ1参戦を終了したことであった。彼はこの決定について、三菱による買収の脅威を受けたコスト問題および、より環境に配慮した企業イメージを作りたいという理由を挙げた[49]。
ホンダ エアクラフト カンパニーは2006年に全額出資子会社として設立され、ホンダジェットシリーズの航空機の製造と販売を行っている[50][51]。初号機の顧客への納入は2015年12月に開始された[52]。2015年2月23日、ホンダはCEO兼社長の伊東孝紳が退任し、同年6月に八郷隆弘が後任となることを発表した。また、上級管理職および取締役の追加退任も予定されていた[53]。
2019年10月、ホンダは日立製作所と自動車部品事業を統合する交渉中であると報じられ、年間売上高約170億ドル規模の部品サプライヤーを創設するとされた[54]。
2020年1月、ホンダは新型コロナウイルス感染症の流行により、中国・湖北省武漢市に駐在する従業員を撤退させると発表した[55]。同年3月23日、ウイルスの世界的流行を受け、ホンダはアメリカで生産を行う大手自動車メーカーとして初めて工場での生産を停止した。5月11日にアメリカ内の自動車・エンジン・トランスミッション生産を再開した[56]。同年9月、ホンダとゼネラルモーターズは2021年から始まる北米での提携を発表した[57]。デトロイト・フリープレスによれば「この提携には、両社それぞれのブランドで販売される各種車両の共有、購買、研究開発、コネクテッドサービスでの協力が含まれる」と報じられた[58]。2021年、ホンダはレベル3の自動運転技術を搭載した車両を販売する世界初の自動車メーカーになる意向を発表した[59]。
2022年3月、ホンダは大手電子機器メーカーのソニーと電気自動車の共同開発・生産を行うことを発表した。ソニーはイメージング、センシング、ネットワークなどの技術を提供し、ホンダは自動車製造プロセスを担当する[60]。ソニー・ホンダモビリティ社は2022年10月13日に正式に設立され[61]、2025年に予約受付、2026年にアメリカで「Afeela」ブランドとして初のEV発売が予定された[62]。
2023年2月2日、ホンダはアメリカの自動車メーカーゼネラルモーターズと新しい水素燃料電池システムを共同開発し、生産する契約を発表した。この提携の目的は、電気自動車およびトラック、建設機械、発電所などに使用される水素燃料電池の拡大である[63]。同年3月15日、ホンダはアメリカとカナダで50万台の車両を、シートベルトのラッチが正しく作動しない不具合のためリコールした。対象車種は2017年-2020年のCR-V、2018年・2019年のアコード、2018年-2020年のオデッセイ、2019年のインサイト、2019年・2020年のアキュラRDXである。リコールによると、前席シートベルトが衝突時に解除されてしまう可能性があり、事故時の負傷リスクが高まるという[64]。2023年12月21日、ホンダは2021年および2020年にも発生した燃料ポンプ不具合に関連し、全世界で約450万台(うち254万台はアメリカ)を対象とするリコールを発表した[65]。
2024年12月23日、ホンダは同じ自動車メーカーの日産との合併に向けた覚書(MOU)を正式に締結したと発表した。これにより、売上高ベースで世界第3位の自動車会社となることを目指す。日産が24%出資する三菱自動車も統合交渉に参加することに同意した[66]。合併の締結期限は2026年と正式に設定された[67]。三菱自動車は2025年1月末までに新会社への合併判断をすると発表した[67]。
2025年2月、ホンダと日産は両社の取締役会が合併交渉の終了に投票で合意したと発表した。報道では、ホンダが日産を子会社化する提案など協議の相違が拡大して交渉が困難になったため、規模の大きいライバル企業のホンダとの交渉から日産が撤退したとされている[68]。
以下、特に断りのない限り、出典は[69]、[70]および[71]による。
自転車用原動機製作が社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野でスーパーカブが空前絶後の大ヒット、全世界で使用された。これによって、「スーパーカブのHonda」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカーが覇権を握る下地となった。スーパーカブは全世界通算で1億台(2017年10月末時点)が製造され、「世界で最も多く製造されたオートバイ」となっている。
社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権(MotoGP)や プロダクションレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、ロードレーサーやモトクロッサーなどのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。
2008年からは浜松製作所で生産している中型・大型二輪部門を熊本製作所に移管、熊本製作所に二輪車の新工場を建設し浜松製作所の二輪生産に従事する1,500人は熊本製作所に配置転換された。浜松製作所では自動変速機の生産を強化した。
一時期三ない運動により大打撃を受けたが、スズキ、ヤマハ、カワサキといった大手二輪車メーカーらとともに「三ない運動を推進している地域ほど二輪車事故が多発している」と反論を展開するとともに、徳島県内の私立高校と協力して二輪車講習を鈴鹿サーキットで行うなど高校生の交通安全教育に力を注ぎ成果をあげた。
ほとんどの分野、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、オートバイ生産台数世界第1位の座を盤石のものとしているホンダであるが、日本国内向けの需要は年々減少を続け、2009年の日本国内の年間生産台数は18万台までに低下。一方、日本国外の工場では、旺盛な需要の下、インドではヒーロー・ホンダ社、ホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーター・インディア社の2社で560万台、インドネシアではアストラ・ホンダ・モーター社が300万台と生産数を増加させており、排気量の多寡があるとはいえ、日本の工場が一大生産生産拠点であった時代は過去のものとなった[126]。
なお、ドイモイによる経済自由化以降、大量の中古オートバイが輸出されたベトナムでは、その品質の高さと並外れた耐久性、修理における簡便性によって人気が高く、オートバイを指す一般名詞としてHondaの語が使われる事がある程である。
2010年7月、ホンダは日本における若者の車離れ(二輪車離れ)に歯止めをかけるため、全二輪車の価格を値下げを発表、スーパーカブ50で約4万円、最廉価のフォルツァで約12万円[127]。これと並行して日本で生産している二輪の小型車を全て日本国外での生産に移管させる方針を明らかにしたが[128]、その後円安傾向により国内生産のメリットが高まったため方針を転換し、2015年9月より熊本製作所においてミニバイクを増産することを公表した[129]。2016年10月5日、縮小している国内向け50ccスクーターの生産・開発でヤマハと業務提携を検討、2018年をめどにヤマハの子会社である台湾山葉機車工業が製造している「ジョグ」と「ビーノ」をOEM生産として熊本製作所に移管して製造することとしている[130]。
2021年3月、ホンダ、ヤマハ、KTM(オーストリア)、ピアッジオ(イタリア)の4社は電動二輪車のUNECE規格に沿った互換性のある交換式バッテリーの共同開発事業を立ち上げると発表した[131][132]。
ホンダは、ハッチバック、セダン、ワゴン、スポーツカー、スーパーカー、SUV、ミニバン、軽自動車、軽トラックなど、数多くの種類の自動車を製造してきた。創業者の環境に対する理念に基づき、初代シビックを筆頭として、優れた量産車を環境に配慮した柔軟な製造体制を持つ、四輪車を日本国内外の製作所にて生産している。
四輪初期は宗一郎の英国車への熱い思いが製品にも影響しており、シビックは英国オースチンのミニに感銘を受けて作られたと言われている。後の1972年、ホンダはオースチンを有するブリティッシュ・レイランド社と提携、資本や技術の提供を行うこととなる。
4輪車製造において、現在全世界マザー工場として機能させている鈴鹿製作所の近接地に、国際的に有名なレーシングコース鈴鹿サーキットを1960年代から有するホンダは、モータースポーツへの積極的な参戦やそれらレースシーンを中心とする自動車文化を愛する社風とも相まって、スポーティーなモデルを得意とし同社のリーディングイメージとしてきた。
そのような憂いなき歴史的背景をもつ反面、初代オデッセイに始まる“クリエイティブ・ムーバー”シリーズの登場までは、RVやミニバンなどのファミリーユーザー向けの商品ラインナップはステーションワゴンであるシビックカントリー、シビックシャトル、アコードワゴン、いすゞ自動車よりOEM供給を受けたジャズ、ホライゾン、ローバーグループ(現・ランドローバー)よりOEM供給のクロスロードしか存在せず、バブル期のF1ブームや好景気を追い風とする幅広い層のホンダユーザー増加によるさまざまなニーズに応えられない状況にあった。
しかしながら、余暇における有意義な時間の創出と日常での利便性の両立を追求した初代オデッセイの登場以降、CR-V、S-MX、ステップワゴンと続く一連のクリエイティブ・ムーバーシリーズの発売前後から、RVやミニバン、ワゴンなどのファミリー向け製品の開発を進め、昨今では、3.5L V6エンジンも選択可能なフルサイズミニバン エリシオン及びエリシオンプレステージ、ステップワゴンに新たなデザインテイストを加えたステップワゴン・スパーダ、7人乗りも選択可能なコンパクトミニバンフリードなど幅広い商品ラインナップを揃えている。
オデッセイの誕生以前、OEM供給を受けるなど自社開発が遅れていたRV/SUV部門に措いては、CR-Vの大ヒットにより遅れを一気に挽回し、5代目となる現在では、「ホンダのRV=若者向け」といった市場の固定観念を覆すミディアムクラス高級SUVといった趣となっている。
ステーションワゴンにおいても、各国でロングセラーモデルとなったアコードワゴン(現・アコードツアラー)を中心に、2011年に登場したエントリークラス ステーションワゴンのフィットシャトル、2000年に7人乗りのステーションワゴンとして5ナンバーセグメントに新たな流行を生んだストリームなどが発売されている。アコードツアラーにおいては、尿素を用いずに欧州排出ガス規制(Euro5)をクリアさせた、CO2排出量において優位性を持つクリーンなディーゼルエンジン(i-DTECエンジン)を搭載し、環境に配慮した製品を欧州にて販売するなど国際市場での環境対応も計っている。
RV、SUV、ミニバン、ワゴンといった収容性や利便性を優先的に追求されるファミリー向けの製品に対し、セダン並の操縦安定性や運転する楽しさを兼ね備えさせている事が全体を通してのホンダ車の特色である。
またこれらの車両を用い、同社が福祉車両製品として長年研究、開発している製品群の中で 介護車[注釈 6]、および 自操車[注釈 7]と分類される製品を、今後増加するシルバー世代の生活の質の向上や、身体に障害を持っている方々の積極的な社会参加や快適な生活を送るための支援を目的に販売している。
コンパクトカーの分野では、2002年、フィットがトヨタ自動車のカローラを販売台数を上回りトップとなり、2003年にも一時追い抜くなど躍進した。現在も月別販売台数で1 - 6位(2004年1 - 8月データによる)の成績を維持している。
2006年(平成18年)度、日本国内のエネルギーの使用の合理化及び非化石エネルギーへの転換等に関する法律(省エネ法)改正などの車両の省エネ対策の法的強化を受けて、フィットを土台にしたハイブリッド車2代目インサイトも開発された。
軽自動車の分野においては、N-WGN、スーパーハイトワゴンのN-BOX、快適で確実なワークタイムをサポートする軽商用バンのN-VANなど、快適性などを犠牲にすることなく、高い環境性能を達成している。なお、1998年にトゥデイが生産終了となってからは、一般的な機械式立体駐車場に入庫可能な軽自動車(全高1,550mm以下)は2015年にN-ONEのローダウンモデルが発売されるまでの間生産していなかった。
現在日本国内で販売されているホンダ車は新車販売時に一部他社が設定する寒冷地仕様を設定せず、全国共通仕様にすることで基本的に日本全国価格が均一である[注釈 8]。
2021年04月23日、三部敏宏社長が、2030年に国内で販売する全ての四輪車を、電気自動車(EV)やハイブリッド車(HV)、燃料電池自動車(FCV)といった電動車に切り替えると発表した。海外では、今後1 - 3年以内に主要市場の米国や中国で新型EVを発売。40年には世界で販売する全ての車種をEVかFCVにする。電動化目標の達成に向け、次世代電池の研究開発に今後6年間で約5兆円を投じると言う[133][134]。
ハイブリッドカーにおいては、パラレル式と分類されるハイブリッドシステム(Honda IMA)をCO2排出量の削減及び燃費向上を目的に幅広い普及を目指して自社開発し、現在販売しているハイブリッド専用車インサイトに、昨今これらの環境車需要が増加している中、比較的安価なコストで搭載している。
ホンダのハイブリッドシステムは、走行状況に応じてエンジンの燃焼を休止させるi-VTECエンジンと、加速時における単一の薄型ブラシレスモーターからの出力の利用、および同一モーターによる減速時の回生発電を行い、比較的容量の小さい専用二次電池へのエネルギー回収を行う軽量でコンパクトなシステムであるため、幅広い車種への安易な搭載が可能とされている。シリーズパラレル式と分類される他社系の採用しているハイブリッドシステムは、加速用電気モーターでの動力補助および、減速時に於ける回生発電装置によるエネルギー回収をする仕組みであり、加速用電気モーターと回生用発電装置を別に必要とする。
2009年4月1日、同社が本格的な普及に対する若干の足踏み状態の要因として抱えていた二次電池供給元からの供給可能量などの経営コンセンサス的問題を解決するために、ハイブリッドカー用リチウムイオン電池の製造・開発を専門とする「株式会社ブルーエナジー」をジーエス・ユアサコーポレーションとの共同出資により設立し、二次電池調達体制の再構築を行った。
2020年10月にはホンダ初のEVとしてホンダ・eを発売した。同車は街中での小回りを重視するため、21世紀の量産自動車としては異例となるリアエンジン・リアドライブ方式を採用している。
2022年3月4日、ソニーグループとEV事業で提携すると発表した[118][135]。年内に共同出資会社を設け、両社で開発したEVを2025年に発売する。共同出資会社がEVの設計や開発、販売を手掛け、生産はホンダの工場に委託する。ソニーが車の頭脳にあたるソフトウエアや車内でのエンターテインメントを開発し、ホンダが駆動装置や安全機能などの機械的な技術を提供する。
2025年1月、ラスベガスで開催されたテクノロジー見本市「CES」において、ソフトウェア「ASIMO OS」を搭載したEV「ゼロシリーズ」を発表した[136]。
また、世界に先駆けて走行時に排出ガスを全く生み出さない水素燃料電池自動車(FCV)の本格普及を目指し、2008年から米国と日本にてリース販売を開始した燃料電池自動車「FCXクラリティ」の年間数十台程度の需要状況に合わせ、ホンダ新機種開発センター(栃木県塩谷郡高根沢町)に燃料電池車専用の小規模組み立てラインを設置した。2016年には量販車として「クラリティ FUEL CELL」を投入するも、5年間で販売台数1900台と苦しみ、2021年に生産終了を発表した[137]。2023年に第2世代を投入予定[138]。
自動車業界においてメーカー連合が形成されるのは珍しくない中、ホンダは「独立独歩」を維持し続けているメーカーとして認識されてきた[139][140]。近年はある程度の提携にも乗り出しているが、大きな資本提携はない。
とはいえ、協業が全くなかったわけではない。1980 - 90年代には英ローバーへの技術供与をおこなっており、代わりに「ランドローバー・ディスカバリー」を「クロスロード」の名で国内販売していた。
1999年末にGMと提携し、エンジンやトランスミッションの取引をした。しかし、数年で役割を果たし解消した。同社とは2013年にFCV分野、2018年にバッテリーモジュールと自動運転分野で提携を発表している[141]。GM開発のバッテリーとプラットフォームをベースにEV2車種を開発するという。とはいえ、ここまではあくまでも開発の一部での行力であった。しかし、2020年9月3日に「北米での戦略的アライアンスに向けて合意」したとの発表を行い、驚きをもって受け止められた。北米で売るEVの共通化に動き、両社は原価ベースで過半の部品が同じEVを売るという[142]。これにより競争力を高め、世界市場での規模を確保する。もっとも、現時点では両社とも資本提携や経営統合の可能性は明確に否定している[143]。
2019年にはトヨタとソフトバンクの共同出資会社であるMaaS事業のモネ・テクノロジーズ(MONET)と資本・業務提携し、MONETに出資した[144]。
2020年7月、車載電池の世界大手の中国・CATLと資本提携したと発表した[145]。中国の現地法人を通じてCATLに約1%出資した。
2022年3月4日、異業種の電機メーカーを主体とするソニーグループとEV事業で提携すると発表し、注目を集めた[135]。
最近では、一般ユーザーが休日にサーキットまで自走して、安全かつ気軽にサーキット走行を楽しめることをコンセプトに開発された「タイプR」というスポーツモデルをシビック(インテグラ、NSXは生産終了)に設定している。
また、現行シビックタイプRをベースとした安価なレース専用車を一般向けに販売すると共に、ホンダの車を使用したアマチュア - プロ志望者向けの年間シリーズレース「ホンダ エキサイティングカップ ワンメイクレース」を1981年から現在まで長きにわたって開催している。
4ドアセダンの分野においては、世界各国でロングセラーとして現在まで販売されているシビックおよびアコード、走行状況に応じて燃焼気筒数を切り換える可変シリンダーシステムを採用するレギュラーガソリン仕様のV6エンジンを持つインスパイアなどがある。
ホンダのイメージアイコンとして1990年から2006年の長きにわたり生産・販売されたNSXは、特別な思い入れを持つ多くのユーザーの「NSXに長く乗り続けたい」という求めに応じて、メーカー製造工場にて経年車へのエンジンや内装、足回りなどの念入りな機能修復サービスを受けられるNSXリフレッシュプランを1993年から実施している。なおNSXは2016年から新型が生産・販売が開始されたが、初代のリフレッシュプランも引き続き継続して実施している。
近年、過去に同社から販売されていたS800などのイメージを継承し、ホンダ創立50周年記念車として発売されたS2000は、1970年以降に発売されたホンダ車では唯一のFR車である。このS2000は、高出力高回転型に改良された自然吸気のF20C・VTECエンジンを用い“排気量リッター当たり125PS”、2.0Lで250PSの性能を誇っていた。さらにこのS2000は、他のホンダ車と部品を共用していないなど(他メーカーの車両[注釈 9]と部品を共用している部分はある)収益があまり見込めない趣味性の高い車に、独自の車台やコンポーネンツを専用設計として開発されている。
北海道鷹栖町に巨大なテストコース(鷹栖プルービンググラウンド)を持つ。寒冷地テストはもちろんのこと、世界各地の路面を再現するため、石畳や、あえて路面に亀裂(クラック)が入った舗装路など54種類の路面を持ち、中にはドイツ・ニュルブルクリンクをモデルとしたワインディングコース、ロサンゼルス郊外を再現したUSコースなどがある[146][147]。鷹栖で熟成され鍛えられた車種も数多い。
2004年10月7日に発売されたレジェンドは新開発の四輪駆動システムSH-AWDを採用し、出力のメーカー自主規制の緩和にともない、国産の量産車では初めて280PSを超える300PSとなった。レジェンドに搭載されているSH-AWDは、単純な前後の駆動力配分の制御だけでなく、後輪左右駆動輪間において可変駆動配分制御を行う事を目的に、リアデフ内のプロペラシャフト後端部分の動力伝達経路に増速機構と、後輪の左右駆動輪間に駆動力差を生み出すために小型電磁クラッチをデフ側の左右ドライブシャフトのエンドエリアに搭載し、コーナリング時に意図的に外周側の駆動輪に多くの駆動力を伝達する高度な動的制御を行う事により、より自然な感覚での旋回性能の向上および、滑りやすい路面状況下での走行安定性の向上を図っている。
メカニズムの独自性が目立つ一方、世界中の自動車メーカーが近年開発生産過程に導入している「コモンアーキテクチャー戦略」がこれまでのホンダには導入されていなかった。しかし2019年、「ホンダアーキテクチャー」としてコモンアーキテクチャー戦略を導入[148]。次世代の新モデルを当該設計で開発生産することとなった。
なお、タクシー・パトカー専用車両(市販車と異なる仕様で製造された車両)は過去も現在も全く生産していない。また、同業のスズキと同じく軽自動車クラス以上のトラックやバスを生産していない[注釈 10]。
自社製の汎用ガソリンエンジン(汎用エンジン)を利用した耕うん機、芝刈機、運搬車、ポンプなどの農業機械、除雪機、発電機、電動カート「モンパル」、船外機、家庭用ガスコージェネレーションユニット、太陽電池パネルなどを生産している。
ホンダの汎用事業は、創業者の宗一郎がオートバイで培ったガソリンエンジン技術で「世の中の人々の重労働を軽減したい」という思いからスタートした。ホンダ初の汎用製品は1959年に開発・発売した耕うん機「F150」であり、小型ガソリンエンジンを搭載した耕うん機を低価格で提供したことによって、1959年当時、ケロシンエンジンやディーゼルエンジンが主流であった農機業界において大ヒット商品となった。
その後、ソニーの創業者井深大の要望を受けて超小型の発電機を開発したり、世界の環境規制に先駆けて4ストローク船外機にチャレンジしたりと、各分野で業界に先駆けた取り組みを続けている。
1980年、誰でも簡単に取り回しができる超小型耕うん機「こまめ」を発売。業界の常識を覆したこまめは後の家庭用ミニ耕うん機市場を創出するきっかけとなり、2003年「サラダ」、2009年「ピアンタ」を中心に、相次いでヒット商品を開発している。
かつては太陽電池事業にも参画。独自のCIGS薄膜太陽電池の開発を進め、子会社のホンダソルテックが熊本県にソーラーパネルの量産工場を持っていた(国外メーカーとの価格競争に敗れ2014年に撤退)[149]。日本国内を中心に事業を展開。甲子園球場の屋上にもHondaのソーラーパネルが設置されている。
創業者である宗一郎は航空機開発の夢をもっており、二輪車用に翼をイメージしたマークを採用したのもこのためとされる。しかし三菱重工や川崎重工など戦前からの航空機メーカーと異なり航空関連の技術者がおらず経験も無いため、基礎技術から習得する必要と判断し1962年ごろから行動を開始した。
1962年ごろ、航空機技術者を確保するため、学生向けの軽飛行機の設計コンテストのスポンサーとなったり、新聞に軽飛行機技術者の求人広告に掲載するなどし、吉野浩行は前者で川本信彦は後者で入社した。またジェットエンジンの開発を目指しガスタービンエンジンやガスタービン自動車の研究も行った。
1964年、航空事業のノウハウを収集するため本田航空を設立、ホンダエアポートを整備した。
その後小型機の改造などで技術開発を継続したが、この時点では大々的に公表していなかったが、本田技術研究所に航空用エンジンや機体の開発部門を集約するなど体制を強化していった。
2006年7月25日、超軽量ジェット機への本格参入を表明し新型機HondaJetを公表した。当初は2013年の販売を目指すとした。
2006年8月、航空機部門をホンダ エアクラフトとして独立させ、航空機開発の拠点をアメリカに移す。
2019年から小型人工衛星の開発を開始。2020年代の打ち上げを予定している[115]。
JAXAと共同で月面探査ロボットや月面基地の環境システムの開発も行っている[115][150]。
本田技術研究所は再使用型ロケットの打ち上げ実験のため大樹町に専用実験設備を有している[151]。
食品分野には参入していないが各事業所にある社員食堂にて金曜日限定で販売されるカレーうどん(レシピは各事業所ごとに異なる)のスープ部分をレトルト化した「ホンダ社食のカレーうどんの素」を2017年よりホンダの関係者向けに販売(製造はホンダ開発)していた[152]。2020年からはホンダウェルカムプラザなどでの一般販売も行われるようになった[153]。2020年現在は埼玉製作所、浜松工場、鈴鹿製作所、栃木研究所、熊本製作所の5種類が販売されている[154]。
2025年5月現在
本田技研工業、本田技術研究所、ホンダ・レーシング、ホンダアクセス、学校法人ホンダ学園の5法人は、同一の労働協約を適用し、給与体系や福利厚生などの労働条件は同一となる。特記無き企業形態は全て株式会社である。
過去にはフォード・モーター車(1975年 - 1979年)やジープ(1990年 - 1997年)車を扱っていた時期があった。
2008年秋に「アキュラ」ブランドの国内進出が予定されていたが[161]、2010年以降へと一旦延期[162]、結局、急激な不況のあおりを受け、最終的に国内進出自体が白紙撤回された[163]。
2023年4月、他メーカーと同様の「地域ディーラー広域合併」を実施する。北関東・中部・近畿・中四国の各地域においてホンダ直営の販売会社を越境合併で1社に統合し、統合後の社名を「ホンダモビリティ(地域名)」に変更する[164]。
かつての販売系列
2009年から2010年にかけて、インスパイア、アコード、シビックなど国内外の計約95万台に対して、エアバッグに関するリコールを行った。内容としてはエアバッグの膨張装置に不具合があり、エアバッグ展開時に膨張装置が破裂して金属片が飛散し、運転者を負傷させるものであった。米国では本件に絡んだ事故が計7件報告されており、うち死亡事故については飛散した金属片が運転者の首に刺さり、致命傷となった[167][168]。
2010年5月、中国広東省仏山市にあるホンダ系列の部品工場にて、大規模なストライキが発生、 直後に他系列工場にも飛び火、江蘇省の台湾系機械工場では警官隊と従業員が衝突、50人が負傷する事態に至った[169]。 この影響により同国内の4つの組立工場が操業停止に追い込まれ、約2週間に渡るストライキによる損失は生産高ベースで400億円以上に達した[170]。 事件の背景として、現地の日本人駐在員との50倍にのぼる給与格差が挙げられる。当該工場の女性従業員の手取り給与が平均1千元であるのに対し、日本人駐在員は5万元であることが指摘された。従業員側は経営側に日本人駐在員の給与を公表するよう迫ったとされる[171]。
1968年から1969年にかけて子会社工場で勤務していた男性が、当時アスベストを吸ったことが原因で中皮腫を患ったとして、後に子会社を吸収したホンダに対して約9,600万円の損害賠償請求を起こした。2010年12月の判決ではアスベストと中皮腫の因果関係が認められ、男性に対して約5,400万円(うち約2,000万円が慰謝料)の支払いが命じられた。自動車業界において、アスベスト被害が認定された初のケースとなった[172]。
2010年12月、米国における同社のインターネットサイト利用者のうち、約490万件の個人情報が、外部からの不正アクセスにより流出していたことが判明した。個人情報には名前、メールアドレス、車両番号が含まれる。約490万件のうち、約220万件がアキュラ所有者の車両番号など、残る約270万件がニュース配信を受けている者のメールアドレスとされる[173]。
同年5月、約28万人分の顧客情報がカナダで流出したことが判明した。流出した情報は、2009年に登録された顧客の名前と住所、車両番号などとされる[174]。
2021年10月、2015年に自殺した男性社員(当時27歳)の労働データを巡り、ホンダが遺族に虚偽の説明を続けていことが分かった[175]。
男性は2010年にホンダに入社し、2014年から部品の調達や交渉を担当していたが、2015年1月に社員寮で自殺した[175]。遺族は勤務状態を知るため、業務で使用していたパソコンのデータやメールの送受信履歴の開示を求めたが、ホンダは「データを削除したうえでパソコンは廃棄した」と虚偽の説明をし、その後の遺族の問い合わせに対しても同様の回答を約1年間に渡って繰り返していた[175]。
遺族は長時間労働が自殺の原因だったとして労災認定を申請[175]。2016年6月、労働基準監督署の要請で社内調査を行なったところ、別の担当者により男性社員のデータが保管されていることが発見され、隠蔽が発覚した[175]。隠蔽には7人が関与しており、社内調査に対して、労災と疑われることを懸念して虚偽の説明をしたと釈明した[175]。2016年8月、ホンダは総務部門の係長ら4人を降格、労政企画部長や法務担当ら3人を停職10日の懲戒処分とした[175]。なお、勤怠管理に違法性や不適切な点もなかったとし、労基署は労災と認めていない[175]。
2022年5月31日、国土交通省関東運輸局は必要な検査をせずに車検を通していたとして、自動車ディーラー「ホンダカーズ東京中央」の王子店について、道路運送車両法に基づき民間車検の指定を取り消した。整備士2人の車検の検査員資格も実質的に取り消した。違反台数は計1187台に上る[176]。
2024年2月7日、ホンダが法人契約していたクレジットカードを私的に使ったとして、警視庁は元社員の男を背任容疑で逮捕した。警視庁は2018年8月以降、約5000回にわたって計約7000万円を使い込んだとみている。主にインターネットの動画配信者に送金する「投げ銭」などに使ったという。社内調査で不正が発覚し、2023年4月に懲戒解雇されていた[177]。
2024年9月、東京地裁は「単純な手口で、会社内部の管理体制が十分に機能しなかったことが発覚の遅れや被害の拡大につながった面はある」と指摘したが「犯行を正当化する理由にはならない」として、元社員に懲役2年6月の実刑判決を言い渡した[178]。
2025年4月7日、取締役代表執行役副社長の青山真二が、業務時間外での懇親の場において不適切な行為があったとの訴えを受けていることが発覚し、同日辞任した[179]。
1995年に発生した東住吉事件では当社に過失があったと被害者は主張したが、業務上過失致死傷罪では2005年に公訴時効が成立しており、民事賠償請求でも2015年に時効が成立しているため不明。
2006年9月20日にフォード・モーター、ゼネラルモーターズ、ダイムラー・クライスラー、トヨタ自動車、日産自動車と共にカリフォルニア州検事総長のビル・ロッキヤーによってオークランド地方裁判所に地球温暖化の対策を講じてこなかったとして起訴されている[180]。
2020年10月改編で、多くの番組のスポンサーから撤退し、2021年3月をもって一時「SUPER GT+」(テレビ東京)以外のスポンサーを全て降板した。現在は固定スポンサーとして提供する番組が少なく、不定期枠でPT扱いの出稿が多い。
他
ローカル
他社と比較し、テレビコマーシャルに有名芸能人をあまり起用しない[注釈 28]。CMソングも邦楽[注釈 30]ではなく、CM専用に制作したものや海外の楽曲が使われるケースが多い。芸能人を起用しない理由としては、安易に芸能人のイメージに頼らない独自路線に加え、テレビコマーシャルに芸能人を起用すると、販売不振に陥るというジンクスがあるためとされている。2010年代以降はCMに有名芸能人が出演したり[注釈 31]、邦楽を使用することも多くなっており[注釈 32]、話題を呼ぶCMも多い[186]。
本社公認
同好会扱い
海外法人によるスポンサード
廃部・休部・改称
| ホンダ車種年表 1960年代-1980年代 (1990年代以降 →) | |||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1960年代 | 1970年代 | 1980年代 | |||||||||||||||||||||||||
| 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | |
| 軽自動車 | N360 | ライフ | トゥデイ(乗用) | ||||||||||||||||||||||||
| Z | |||||||||||||||||||||||||||
| アクティストリート | ストリート | ||||||||||||||||||||||||||
| ライフワゴン | |||||||||||||||||||||||||||
| LN360 | ライフバン | トゥデイ(商用) | |||||||||||||||||||||||||
| ライフステップバン | アクティバン | アクティバン | |||||||||||||||||||||||||
| T360 | TN360 | TNアクティ | アクティトラック | ||||||||||||||||||||||||
| ライフピックアップ | |||||||||||||||||||||||||||
| バモスホンダ | |||||||||||||||||||||||||||
| ハッチバック | シティ ジャズ |
シティ | |||||||||||||||||||||||||
| シビック | シビック | シビック | シビック | ||||||||||||||||||||||||
| クイント | クイント インテグラ |
インテグラ | |||||||||||||||||||||||||
| コンチェルト | |||||||||||||||||||||||||||
| アコード | アコード | アコード | |||||||||||||||||||||||||
| アコードエアロデッキ | |||||||||||||||||||||||||||
| セダン (5ナンバー) |
N600E | シビック | |||||||||||||||||||||||||
| 1300 | 145 | シビック バラード |
シビック バラード |
シビック | |||||||||||||||||||||||
| クイント インテグラ |
インテグラ | ||||||||||||||||||||||||||
| コンチェルト | |||||||||||||||||||||||||||
| アコード | アコード ビガー |
アコード ビガー |
|||||||||||||||||||||||||
| レジェンド | |||||||||||||||||||||||||||
| セダン (3ナンバー) |
レジェンド | ||||||||||||||||||||||||||
| クーペ・オープンカー | シティカブリオレ | ||||||||||||||||||||||||||
| 1300クーペ | 145 | バラードスポーツCR-X | CR-X | ||||||||||||||||||||||||
| プレリュード | プレリュード | プレリュード | |||||||||||||||||||||||||
| アコードクーペ | |||||||||||||||||||||||||||
| レジェンド ハードトップ |
|||||||||||||||||||||||||||
| トールワゴン・ワゴン | シビック カントリー |
シビック シャトル |
シビック シャトル |
||||||||||||||||||||||||
| バン | シティプロ | ||||||||||||||||||||||||||
| L700/L800 | シビックバン | シビックバン | シビックプロ | シビックプロ | |||||||||||||||||||||||
| トラック | P700/P800 | ||||||||||||||||||||||||||
| スポーツ | S500 | S600 | S800 | ||||||||||||||||||||||||
| 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | |
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