出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 05:42 UTC 版)
| 「Hi-Hi-Hi」 | ||||
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| あおい輝彦 の シングル | ||||
| 初出アルバム『Hi-Hi-Hi』 | ||||
| B面 | 君、ただ一人 | |||
| リリース | ||||
| ジャンル | アイドル歌謡曲 | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | テイチクレコード | |||
| 作詞・作曲 | 森雪之丞(作詞・作曲) | |||
| チャート最高順位 | ||||
| あおい輝彦 シングル 年表 | ||||
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「Hi-Hi-Hi」(ハイ・ハイ・ハイ)は、1977年3月5日に発売されたあおい輝彦の13枚目のシングル。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/27 21:24 UTC 版)
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HiHiHi(ハイハイハイ)はRKBラジオで1986年(昭和61年)4月7日から1993年(平成5年)4月30日までに放送された夜ワイド番組である。
番組のサブタイトルは「おとなは・いけない・課外授業」[1][2]。
KBCラジオの平日帯 夜ワイド番組『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』がスタートした影響で、リスナーが離れていった[3]RKBラジオの平日帯 夜ワイド番組『スマッシュ!!11』の後番組として開始した。
1986年度は山崎銀之丞(月、木、金曜日)と坂口卓司アナ(火、水曜日)のパーソナリティ 2人体制だったが、1987年4月改編で、坂口アナが同局の平日帯 昼ワイド番組『歌謡曲ヒット情報』の担当となったため番組を離れ、山崎が月 - 金曜日の担当となった。この番組はニッポン放送の平日帯 夜ワイド番組『三宅裕司のヤングパラダイス』を手本として製作されたと言う[3][4]。
初期の1年間は軌道に乗れなかったが、山崎が月 - 金曜日の担当となった 1987年より人気が出始め、日替り定食、うまか情報局などの葉書ネタ コーナーより、街角収録コーナーの突撃ティーンズクラブ、番組主催のキャンプ、クリスマス パーティーを始めとしたイベントの多さ[4]で、リスナーの心を掴んでいた。
しかし、1990年のPAO~N終了まで牙城は崩せず[4]、その頃からは街角収録中止・イベント激減といった下降線をたどるようになり、リスナーが離れ始めた。
1991年10月、山崎が劇作家のつかこうへいにスカウトされ、番組を降板して上京。『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』で名を馳せた、ロックバンド・たけのうちカルテットのボーカル、足達ヒデヤ(現・安達ひでや)が山崎の後任のパーソナリティを務めた。
この頃は深夜ラジオブームが既に去り、かつての勢いを取り戻せず、1993年4月に番組は終了した。足達は不満を抱きながら、番組終了前に怒りの自主降板をしており、残りの期間は女性アシスタントが代役を務めた。
番組の7年間の歴史の中で様々なコーナーが生まれては消えたが、クイズBOKANだけは放送開始から終了まで続いた。
(参考:[2])
番組開始当時(1986年4月)のタイムテーブル
上記の他は以下のようなコーナーがあった。
1986年12月4日放送に出演。当日は、『ザ・ベストテン』(TBS制作でRKBテレビでもネット放送)にランクインし出演した為、RKBではテレビ・ラジオ同時放送の状態になった。
| RKBラジオ 平日帯 夜ワイド番組 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
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HiHiHi
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(Hi-Hi-Hi から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 14:48 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| 「ハイ・ハイ・ハイ」 | ||||
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| ウイングス の シングル | ||||
| A面 | C・ムーン(両A面) | |||
| リリース | ||||
| 規格 | 7インチシングル | |||
| 録音 | 1972年 | |||
| ジャンル | ロック、ブギー | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | アップル・レコード | |||
| 作詞・作曲 | ポール・マッカートニー リンダ・マッカートニー |
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| プロデュース | ポール・マッカートニー | |||
| チャート最高順位 | ||||
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| ウイングス シングル 年表 | ||||
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「ハイ・ハイ・ハイ」(Hi, Hi, Hi)は、ウイングスが1972年に発表したシングル曲。
ポール・マッカートニーがスペイン滞在中に作曲。『レッド・ローズ・スピードウェイ』のセッションでレコーディングされ、1972年12月1日、同アルバムに先立ち「C・ムーン」との両A面扱いでリリースされた。ウイングスのシングルでは3枚目に当たる。「歌詞の一部に性的で猥褻な表現がある」との理由でBBCから放送禁止処分を受けた[1]。またBBCはハイハイハイが、ドラッグでハイになるという、ダブル・ミーニングではないかという見方もしていた[2]。シングル発売前のライヴで披露されていたこともあってイギリスで5位、アメリカで10位を記録[3]。ウイングス初のベスト10シングル入りを果たした。70年代のウイングスのライブでは、定番曲として演奏された
なお、日本盤シングルのジャケットでは、見開きの両面にそれぞれマッカートニーとウイングスそれぞれの写真を配しているが、誤っていずれも写真が裏焼き印刷され、左利きのマッカートニーが右手で弦を弾く、となっていたが[4]、のちに修正された。
オリジナル・アルバムには未収録だったが「ポール・マッカートニー・コレクションシリーズ」のCD『レッド・ローズ・スピードウェイ』にボーナス・トラックとして収録。ベスト・アルバムでは『グレイテスト・ヒッツ』及び『ウイングスパン』に収録されている。また『ウイングスU.S.A.ライヴ!!』にライヴ・バージョンが収録されている。
| # | タイトル | 作詞・作曲 | 時間 |
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| 1. | 「ハイ・ハイ・ハイ」(Hi, Hi, Hi) |
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| 2. | 「C・ムーン」(C Moon) |
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合計時間:
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