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GAZ-55

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/06 04:34 UTC 版)

GAZ-55
エカテリンブルクの博物館にあるGAZ-55(2021)
種類 軍用救急車
原開発国 ソビエト連邦
運用史
配備期間 第二次世界大戦
開発史
製造業者 GAZ
製造期間 1938–1946年
製造数 9,130輌
派生型 GAZ-AA
諸元
重量 2.3t
全長 5.4m
全幅 2.0m
全高 2.3m
要員数 2名

装甲 なし
変速機 3速
速度 70km/h
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GAZ-55ロシア語: ГАЗ-55)は、1930年代GAZによって開発された、GAZ-MMベースの救急車である。

1938年から1950年にかけて12,044輌が生産された。

歴史

開発

労農赤軍は、GAZ-AAZIS-5トラックの運用経験を通し、重傷者の後方搬送により適した車両を要求した。1938年には、ユーリ・ナウモヴィチ・ソロチキン主任設計者の指導のもと、GAZは特殊救急車の設計を完了した。車両は「GAZ-55」(ГАЗ-55)の名称を付けられ、正式化された[1]

キャビン内には、ストレッチャーに横たわる4名と折りたたみ式座席に座る2名の計6名、もしくは吊り下げ式ストレッチャーに2名と折りたたみ式座席に5名の計7名を乗せることが可能であった。暖房用ヒーター、換気システムも設置され、後輪にはアーチ沿いにフランジ付きのフェンダーが取り付けられた。

量産と変遷

1938年にゴーリキー自動車組立工場(1940年にGAZのバス部門に編入)で量産が開始された。量産開始後すぐの1938年7月にはハサン湖における関東軍との戦いに投入された。

1941年6月、GAZ-55は必要定数の半分に満たない数しか配備されていないまま、大祖国戦争開戦を迎えた。

1942年には車両の設計が大幅に簡素化された。フロントフェンダーやリアマッドガードはGAZ-MM-Vに準じた仕様になり、1943年に製造されたGAZ-55ではヘッドライトが左側のみ搭載され、フロントブレーキは装着されなくなった。

大祖国戦争を通じて多くの負傷兵が戦場から病院へ搬送され、多くの命が救われた。GAZ-55は前線兵士の間で「前線救急車」(фронтовая неотложка)という愛称で呼ばれるようになった。

また、1輌のGAZ-55がドイツ空軍の部隊によって鹵獲されている[2]

GAZ-55の生産は戦後まで続いたが、GAZにおける生産は1946年に終了した。この時までに9,130輌が生産された[3]。1946年から1950年にかけてはゴーリキーバス工場(GZA)で生産が続いたが、GAZ-51をベースとしたGZA-653救急車が登場し、徐々に置き換えられていった。

登場作品

出典


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GAZ-55

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 15:24 UTC 版)

GAZ-AA」の記事における「GAZ-55」の解説

GAZ-AAおよびGAZ-MMベース作られ救急車1938年から1945年にかけて生産された。第二次大戦中赤軍で最も多く使われ救急車だった。

※この「GAZ-55」の解説は、「GAZ-AA」の解説の一部です。
「GAZ-55」を含む「GAZ-AA」の記事については、「GAZ-AA」の概要を参照ください。

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