読み方:ふぁいぶ
数の5。五つ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/27 21:08 UTC 版)
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この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2014年7月)
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| FiVE | |
|---|---|
| ジャンル | テレビドラマ |
| 脚本 | 野尻靖之 橋本以蔵 大川俊道 酒井直行 |
| 演出 | 猪股隆一 大谷太郎 長沼誠 |
| 出演者 | ともさかりえ 鈴木紗理奈 篠原ともえ 遠藤久美子 知念里奈 榎本加奈子 唐渡亮 |
| エンディング | MOON CHILD「ESCAPE」 |
| 製作 | |
| プロデューサー | 小杉善信 佐藤敦 北島和久 |
| 制作 | 日本テレビ |
| 放送 | |
| 放送国・地域 | |
| 放送期間 | 1997年4月19日 – 6月28日 |
| 放送時間 | 土曜 21:00 - 21:54 |
| 放送枠 | 土曜ドラマ (日本テレビ) |
| 放送分 | 54分 |
| 回数 | 11 |
『FiVE』(ファイブ)は、1997年4月19日から6月28日まで、日本テレビ系の『土曜グランド劇場』枠(毎週土曜日21:00 - 21:54)で放送された日本のテレビドラマ。主演はともさかりえ。
「ある男=淀橋幸世と彼の部下になったアウトローな5人の少女たち=アサミ、ナナカ、カヨ、イヅミ、マドカ」と犯罪組織との戦いを描く。
主役に当時旬であった5人の女優を起用し話題となった[1]。
第1話のTRAP-1と第3話のTRAP-003以降ではタイトルバック・エンディングが若干異なる。TRAP-1・TRAP-2のタイトルバックには人数が6人いる。
TRAP-1・TRAP-2での紹介順
並び順は左からマドカ・エリ・アサミ・イヅミ・ナナカ・カヨだがはっきりと分からず、ぼやけた映像になっている。エンディングクレジットにはタイトルバック順にキャストが表記される。ただし、映像的にはエリ(榎本加奈子)は途中一瞬アップで写るのみで、他の5人のアップや走りがメインになっている。
TRAP-003以降(第3話のみ003表記 正式にはTOKYO TONIGHT/1997.05.03 TRAP-003)は以下の5人になり、タイトルバック・エンディングにエリ(榎本加奈子)のカットはなくなる。
TRAP-003以降の紹介順
並び順は左からマドカ・アサミ・イヅミ・ナナカ・カヨとなる。
このオープニングに使用されている身長、年齢、血液型は本人とほぼ同じ(ただし、ナナカ役の鈴木紗理奈は当時19歳でA型、イヅミ役の遠藤久美子は当時19歳でO型)。
第4話のTRAP-4から表記が簡素化に戻り、最終話はFINAL-TRAPと表記された。エンディング終了後のTRAP-1とFINAL-TRAPのみ、キャストの素のカットコメントが5秒程ある。
| 放送日 | 映像上のサブタイトル | 新聞などでのサブタイトル | 脚本 | 演出 | 視聴率 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1997年4月19日 | TRAP-1 | 大脱獄 | 野尻靖之 | 猪股隆一 | 17.9% |
| 1997年4月26日 | TRAP-2 | 死の絆! | 17.7% | ||
| 1997年5月3日 | TRAP-003 | 悪魔の密売 美少女失跡の罠 | 橋本以蔵 | 大谷太郎 | 17.0% |
| 1997年5月10日 | TRAP-4 | 死の旋律! 毒ガスの恐怖!! | 長沼誠 | 18.8% | |
| 1997年5月17日 | TRAP-5 | 永遠の別れ 第1部完結編! | 猪股隆一 | 16.3% | |
| 1997年5月24日 | TRAP-6 | イジメ少年暗殺計画! 幻の名画盗難の謎!!遂に死闘が始まった |
大川俊道 | 大谷太郎 | 15.0% |
| 1997年5月31日 | TRAP-7 | 完全犯罪!湖底に消えた謎 | 橋本以蔵 | 長沼誠 | 13.5% |
| 1997年6月7日 | TRAP-8 | 殺人VTR 仮面の女の牢獄犯罪 | 猪股隆一 | 14.6% | |
| 1997年6月14日 | TRAP-9 | 復讐の切札!スキャンダル報道の罠!! | 酒井直行 | 大谷太郎 | 14.8% |
| 1997年6月21日 | TRAP-10 | 裏切りの十字架!友が泣きながら死す時 | 橋本以蔵 | 長沼誠 | 17.2% |
| 1997年6月28日 | FINAL-TRAP | 悪魔に勝利する日! 愛する友が燃え尽きる…香港マネー強奪作戦 |
大川俊道 | 猪股隆一 | 13.4% |
| 平均視聴率16.0%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ) | |||||
| 日本テレビ 土曜グランド劇場 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
|
サイコメトラーEIJI
(1997年1月11日 - 3月15日) |
FiVE
(1997年4月19日 - 6月28日) |
D×D
(1997年7月5日 - 9月20日) |
(FiVE から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/17 07:43 UTC 版)
| 5ive | |
|---|---|
| 出身地 | |
| ジャンル | |
| 活動期間 | |
| レーベル | |
| メンバー | |
5ive(ファイヴ、Five)は、1997年に結成されたイギリスのボーイズグループ。
ポップ、ラップ、ロックなどジャンルを問わない音楽性が特徴で、全世界で2000万枚を売り上げる[2][3]など世界的な人気を博す。
2001年に解散、その後は4人体制や3人体制での再結成や活動を経て、2025年にオリジナルメンバー5人で本格的に再始動することを発表し、アリーナツアーを開催。
| 名前 | プロフィール | 担当 | 在籍期間 |
|---|---|---|---|
| ショーン・コンロン (英語: Sean Conlon) |
1981年5月20日(44歳) | ボーカル | 1997-2001,2012- |
| スコット・ロビンソン (英語: Scott Robinson) |
1979年11月22日(46歳) | ボーカル | 1997-2001,2006-2007,2012- |
| リッチー・ネヴィル (英語: Ritchie Neville) |
1979年8月23日(46歳) | ボーカル | 1997-2001,2006-2007,2012- |
| ジェイソン・"J"・ブラウン (英語: Jason "J" Brown) |
1976年6月13日(49歳) | ボーカル、ラップ | 1997-2001,2006-2007,2025- |
| アブズ・ラヴ (英語: Abz Love) |
1979年6月29日(46歳) | ボーカル、ラップ | 1997-2001,2006-2007,2012-2013,2025- |
1997年、スコット、J、リッチー、アブス、ショーンの5人はスパイス・ガールズの生みの親であるボブ・ハーバート、クリス・ハーバート、サイモン・コーウェルによって、約3,000人の中からオーディションで選ばれた。選ばれた後、5人はBMGとRCAレコードと契約する。同年12月に"Slam Dunk (Da Funk)"をリリースしデビュー。UKチャート10位を記録し、NBAの1998年公式テーマソングにも選ばれた。この次にリリースされたWhen The Lights Go Outは彼らにとって初の世界的なヒットとなり、UKチャートで4位、USチャートで10位を記録した。その後、予定されていた1stアルバムのプロモーション活動のため、ディズニー・チャンネル、MTV、TRLなどさまざまな番組に出演する。結果、UKアルバムチャート、オーストラリア・アルバムチャート、ニュージーランド・アルバムチャートで1位、USアルバムチャートで27位を獲得するなどアルバムも世界的にヒットした。1998年には"Everybody Get Up"、"Got The Feelin'"、"Until The Time Is Through"をリリースしどれもイギリスでトップ5を記録した。
1999年8月、2ndアルバム『Invincible』からのファーストシングル、"If Ya Gettin' Down"をリリース。世界中で大ヒットとなり、10月にリリースした"Keep On Movin'"で初めてのUKチャート1位を記録する。そして、同時にアルバムもUKアルバムチャートで4位を記録する。2000年3月に"Don't Wanna Let You Go"をリリース、UKチャート9位を記録。同年3月3日にブリット・アワードで"We Will Rock You"をクイーンとパフォーマンスした、またこの年のブリット・アワードではベスト・ポップ・アクト賞を受賞した[4]。"We Will Rock You"はシングルとしても発売され、2作目のUKチャート1位を記録。更に2000年上半期はUK、ヨーロッパ、ロシア、オーストラリア、南アメリカをツアーでまわり成功をおさめた。
このツアーの後、5iveはUKでいくつかのコンサートをひらいた。また、5iveとアジアのレコード会社の間に何らかの問題が生じ、アジアツアーはキャンセルされた。このような苦難もあり、5iveは次のアルバム制作に熱を入れることとなった。この間、彼らはヨーロッパでいくつもの賞を受賞しつづけ、2000年12月には母国イギリスで2度目のツアーを開始。2001年1月にはリオ・デ・ジャネイロで開催される世界的な音楽フェスティバルRock In Rioに参加、約50万人の観客の前でパフォーマンスをし大盛況を収めた[4]。
2001年5月、当初『XL』という名前で制作が進められていた3rdアルバム『Kingsize』が完成し、8月にリリース。この頃にメンバーのショーンが腺熱で休養する事が発表され、5iveは4人で活動することとなり、アルバムからのファーストシングル、"Let's Dance"のプロモーション・ビデオではショーンの等身大のパネルが代わりに登場した。"Let's Dance"はUKチャートで2週連続1位を記録。
ショーンはこの時期にうつ状態に陥っており、7月にはメンバーから脱退。更にスコットは婚約者であるケリー・オーカーが妊娠したという知らせを聞き、一時的に5iveから離れることを決断。7月のベルギーでのコンサートでは、リッチーが左足の激しい捻挫をした事もあり、5iveはついに活動を休止。将来を考えた結果、2001年9月27日にMTVセレクトを通して解散を発表した。解散発表の次の日に、スコットはケリーと結婚した。
解散後の11月には"Closer To Me"と"Rock The Party"をダブルAサイド・シングルとしてリリース。Closer To Meのミュージック・ビデオは彼ら自身がデビューから撮り溜めていたビデオを繋げて制作され、[Rock The Partyのビデオではアニメーションの5iveが登場する。そして集大成として初のベスト盤『Greatest Hits』が発売された。
この時点でイギリスで発売した全てのシングルが全作トップ10入りを果たしており、これはイギリス人歌手としては初の記録だった[5]。
2006年9月17日、5iveのオフィシャルページを通して、5iveがなんらかの告知をするという情報が流れた。そして、同月27日、解散からちょうど5年、5iveはまた活動を再開すると発表。しかしメンバーにはショーンは含まれておらず、解散時と同じ4人での活動を予定していた。
2007年3月8日の深夜には新曲"'70 Days"と"Settle Down"を彼らのMyspaceで公開するが、再結成発表後たった7か月で5iveは再び解散することを公式ページで発表。
2012年10月、イギリスのリアリティ番組、"The Big Reunion"の企画でまたもや再結成することが決まった。ショーンが復帰した代わりにJは参加せず。2014年8月にアブスが脱退を発表[6]。活動の規模は縮小するものの、2022年には自主レーベルから3人体制でのアルバム『Time』を配信限定で発表。Keep On Movin'のリメイクを除いて全曲3人の作詞作曲によるアルバムとなった。
2025年、オリジナルメンバー5人で本格的な再結成と再始動を行うことを発表[4]。再結成アリーナツアー"Keep on Movin' Tour"も開催されることになり、10月からイギリス全土で公演を開催。先駆けて2025年度のブリット・アワードにゲストとして招かれた。
イギリスではO2アリーナを含む最初に発表された12公演のチケットが3時間以内に完売[7]、その圧倒的な需要を受けて新たに追加公演も開催[8]。2026年からはオーストラリアとニュージーランドで公演を開催する[9][10]。
デビュー当初、他のアーティストのサポート・アクトはしないと決めていた[11]。
デビュー当初からメンバー全員が曲作りに参加しており、活動が進むにつれよりその割合も増えていった、その中でもショーン、J、アブズが多い。
2025年の再結成の発表前日はメンバー全員が眠れなかったといい、スコットは真夜中に妻に電話し「人々が興味を持ってくれなかったらどうしよう」と漏らしたという[12]。
2025年に再結成するまで5人揃って集合した事がスコットの結婚式以来無く、それぞれ交流を保っているメンバーはいたものの、連絡を取っていないメンバー同士もいた。連絡を取っていなかったメンバー同士についても不仲という訳ではなく相手の事をずっと気にはかけており、再び友達に戻りたいという気持ちから集まったところ、一気に話が加速し5人での再結成に繋がった[13]。
2025年のブリット・アワードにゲストとして招かれた際の感想としてスコットは「昔は忙しかった為じっくり雰囲気を味わう事が出来なかったが、今回は落ち着いて楽しめたので素晴らしかった」、リッチーは「25年経っても現役のアーティストやジャーナリスト達からリスペクトを受けた事が嬉しかった」と語っている[13]。
| 年 | シングル | アルバム | 最高位 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| UK [14] |
US [15] |
AUS | NZ [16] |
NED | SWE [17]
|
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| 1997年 | "Slam Dunk (Da Funk)" | 5ive | 10 | 86 | 51 | 28 | 10 | 28 |
| 1998年 | "When the Lights Go Out" | 5ive | 4 | 10 | 2 | 20 | 32 | 7 |
| 1998年 | "Got The Feelin'" | 5ive | 3 | -- | 4 | 3 | 4 | 12 |
| 1998年 | "Everybody Get Up" | 5ive | 2 | -- | 3 | 1 | 9 | 5 |
| 1999年 | "It's The Things You Do" | 5ive | -- | 53 | -- | -- | -- | -- |
| 1998年 | "Until The Time Is Through" | 5ive | 2 | -- | 9 | 14 | 15 | 11 |
| 1999年 | "If Ya Gettin' Down" | Invincible | 2 | -- | 2 | 1 | 6 | 6 |
| 1999年 | "Keep On Movin'" | Invincible | 1 | -- | 9 | 7 | 3 | 10 |
| 1999年 | "How Do Ya Feel"(プロモーショナル・シングルとして発売) | Invincible | -- | -- | -- | -- | -- | -- |
| 2000年 | "Don't Wanna Let You Go" | Invincible | 9 | -- | 17 | 5 | 13 | 22 |
| 2000年 | "We Will Rock You (with Queen" | Invincible | 1 | -- | 3 | 29 | 20 | 35 |
| 2001年 | "Let's Dance" | Kingsize | 1 (2週間) | -- | 3 | 11 | 22 | 20 |
| 2001年 | "Closer To Me"(多くの国でRock The Partyと両A面扱い) | Kingsize | 4 | -- | -- | -- | -- | -- |
| 2001年 | "Rock The Party"(多くの国でCloser To Meと両A面扱い) | Kingsize | -- | -- | 56 | 44 | -- | -- |
シルバー・クレフ・アワード
スマッシュ・ヒット・ポール・ウィナー・パーティー
TMF アワード
TV ヒット・アワード
(FiVE から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/16 16:06 UTC 版)
FiⅤe(ファイブ)は日本のジャニーズ事務所所属の4人編成バンドで、ジャニーズJr.内のユニットの一つ。
1999年(平成11年)[1]、テレビ朝日『8時だJ』内にて、「Ⅴ(ローマ数字の5)」の名前で結成が発表された[2]。 後に「FIⅤE」に変更、その後、2007年(平成19年)5月16日に行われたLIVEより、「FiⅤe」と更に変更された。2011年12月30日のライブをもって活動停止した。
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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2018年12月)
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バラエティ番組『8時だJ』で、小原・上里・牧野・小場の4人編成でバンド系新ユニットとして結成され、5人目のメンバーを募集するプロジェクトも進行していた[2]。小原が脱退した同時期に中江川が加入。さらに2001年1月に小場が脱退し、翌2月に石垣が加入。2004年に1stライブ[7]、2005年に2ndライブを行った際はジミーMackeyをゲストボーカルとして迎えた[8]。2007年より石垣はQuestion?のメンバーとしても活動し、2つのバンドをかけもちすることになった[9]。
2008年9月、関ジャニ∞の渋谷すばるとFLAT FIVE FLOWERSを結成[10]。
バンドではあるがメンバー全員ダンスレッスンを受けたことがあり、機会があれば踊りたいと話していた[11]。演奏する楽曲のほとんどは、メンバーが作詞作曲編曲したオリジナル曲であった。
2011年3月2日の名古屋でのコンサートで、中江川が一般女性と結婚することをファンに発表し、翌日3月3日に婚姻届を提出した。ジャニー喜多川社長に結婚の相談をした際には「いいんじゃない?今を逃したら結婚できなくなっちゃうよ」と言われOKが出たという。なお、届けの証人にはタッキー&翼の2人や渋谷すばるが名を連ねた。[1]
同年11月13日のSHIBUYA AX公演にて、2011年(平成23年)をもってバンドの活動を休止し、また石垣はQuestion?の活動に専念するためにバンドを脱退することを発表した。
2011年12月30日の東京公演をもって、活動停止(事実上の解散)した。またQuestion?のメンバーとして残る石垣以外は、同日付でジャニーズ事務所を退所。2012年に新しいバンドPlan-Bを結成し、音楽活動を行っている[12]。
JASRAC 作品データベース検索サービスにて検索可能な楽曲を記載。アーティスト名は「FIVE(内国)」検索時はFIVEは全角文字で。
曲名の後に記述の無い作品は、作詞・作曲 中江川力也、出版者は全曲ジャニーズ出版。
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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2019年8月)
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※ 「You Gotta Rock」公演については、表の下に記載。
| 年 | タイトル | 公演日程 | 会場 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 2004年 | FIVE&ジミーMackey「1st Live」 | 8月13日 | SHIBUYA-AX | ジミーMackeyをゲストボーカルに迎えた、初の単独ライブ。 |
| 2005年 | FIVE&ジミーMackey「2nd Live」 | 9月2日 | ステラボール | 単独ライブ。前回同様ジミーMackeyをゲストボーカルに迎えた。[8] |
| 2006年 | 渋谷すばるwith大倉BAND 2006 | 8月29日・30日・9月17日 | 東京国際フォーラム ホールA | 渋谷すばる・大倉忠義のライブに「BAND」として参加。バックバンドを務めただけではなく、披露した楽曲のアレンジもすべてFIVEが行った[16]。このライブにリハーサルの時間を割けなかった渋谷・大倉は、FIVEが事前に準備を進めていたおかげでバンドとしてすぐに取り掛かれる事が出来たと発言している[17]。セットリストの中には牧野・大倉によるツインドラム対決や、FIVEとしてのコーナーも組み込まれてあった[18]。 |
| 2008年 | FiVe @ WEST LIVE | 3月21日 | 神戸 WYNTERLAND | 東京以外で行われた、初の単独ライブ。 |
| FiVe First Live House Tour | 6月26日-7月29日 | 仙台HooK、札幌KRAPS HALL、大阪MUSE HALL、金沢AZ、福岡DRUM Be-1 | 「You Gotta Rock」公演の功績が認められ、初の単独ライブハウスツアーを開催。 | |
| 渋谷すばる with FiVe LIVE 2008 「FLAT FIVE FLOWERS」[19] | 2008年9月4日-10月6日 | 大阪 梅田芸術劇場、お台場・青海J地区特設会場「Johnnys Theater」 | 渋谷すばると組んだ『FLAT FIVE FLOWERS』として出演[10][20][21]。 | |
| 2008年-2009年 | FiVe LIVE TOUR 2008-2009[22] | 11月14日-1月13日 | 札幌cube garden、広島 BACK BEAT、熊本BATTLE-STAGE、福岡DRUMLOGOS、大阪SUN HALL、大阪FANJ twice | "JAPANツアー"第2弾[13]。 |
| 2008年 | FiVe・Question? 2008 年忘れLIVE[23] | 12月30日・31日 | JCBホール | 同じ事務所所属のバンド・Question?との対バンライブ。FLAT FIVE FLOWERSも出演。 |
| 2009年 | ロックな仲間たち2009 初日の出 LIVE[24][25] | 1月1日 | JCBホール | ジャニーズ史上初めて深夜から行なわれたQuestion?とのライブ。FLAT FIVE FLOWERS、安田章大、内博貴、錦戸亮がゲスト出演。[24] |
| J Rock Dream MATCHY '09[26] | 2月13日 - 2月22日 | 日本武道館、大阪城ホール | 近藤真彦プロデュースによる、ジャニーズのロックイベント。近藤真彦、Question?、FLAT FIVE FLOWERSと共演し、野村義男、今井翼がゲスト出演した[27]。 | |
| FiVe White Day LIVE OSAKA[28] | 3月14日 | 梅田芸術劇場 | 当初は14時公演だけだったが18時公演も追加された[28]。 | |
| QUESTION FIVE FLOWERS[29] | 3月29日 - 5月28日 | 北海道厚生年金会館、Zepp Sendai、JCBホール、SHIBUYA AX、名古屋市公会堂、梅田芸術劇場、広島ALSOKホール | Question?、FLAT FIVE FROWERSと共に行われたツアー。当初11公演であったが、6公演を追加[29]。名古屋公演には今井翼がゲスト出演した[29]。 | |
| FiVe LIVE TOUR '09夏[30] | 7月30日 - 8月20日 | 仙台CLUB JUNK BOX、広島BACK BEAT、新潟CLUB JUNK BOX、札幌cube garden | 石垣は『PLAYZONE 2009』へ出演していたため、本ツアーには参加しなかった。 | |
| 2009年 - 2010年 | 内博貴 with FiVe & Question?[31] | 12月2日 - 1月4日 | Zepp Sapporo、国立代々木競技場 第一体育館、名古屋市公会堂、大阪城ホール、Zepp Fukuoka | 内博貴、Question?とのジョイントライブツアー |
| 2010年 | Rockな仲間たち 2010 初日の出LIVE[32] | 1月1日 | JCBホール | 午前2時30分から始まった、Question?との対バンライブ。内博貴がゲスト出演。 |
| FiVe LIVE 2010 OSAKA KIN賀 新NEN[33] | 1月5日 | 心斎橋クラブクアトロ | 当初19時開演のみであったが、15時30分追加された。 | |
| FiVe LIVE TOUR 2010 | 5月29日 - 6月24日 | 広島 BACK BEAT、札幌 SUSUKINO 810、熊本 BATTLE-STAGE、大阪 心斎橋クラブクアトロ | 大阪公演が3公演追加され、全5公演が全8公演に。 | |
| MOUSE PEACE uniting with FiVe TATSUYA UEDA LIVE 2010[34] | 8月4日 - 10月3日 | 北海道立総合体育センター(北海きたえーる)、マリンメッセ福岡、広島グリーンアリーナ、国立代々木競技場 第一体育館 | ||
| FiVe LIVE in SEOUL | 8月8日 | 韓国 ソウル Rolling Hall | グループ初の単独海外公演。 | |
| FiVe LIVE in TAIPEI | 8月26日 | 台湾 台北 The WALL 公館 | ||
| FiVe・Question? 年忘れLIVE 2010[35] | 12月31日 | JCBホール | ||
| 2011年 | 初日の出LIVE 2011[36] | 1月1日 | JCBホール | Question?との対バンライブ。今井翼と内博貴も出演[36]。 |
| Five Live Asia 2011 in Hong Kong | 1月31日 | 香港 九龍湾国際展望センター オーディトリウム | ||
| Five Live Asia 2011 in Osaka | 2月3日 | 森ノ宮ピロティホール | ||
| FiVe Live Asia Tour 2011[37] | 3月2日 - 5月27日 | 名古屋 THE BOTTOM LINE、大阪 クラブクアトロ、福岡 DRUM Be-1、札幌 cube garden | 3月17日の札幌公演は東日本大震災の影響により[要出典]、5月27日に延期となった[37]。 | |
| Five Live Asia 2011 in SEOUL | 4月18日 | 韓国 ソウル Rolling Hall | ||
| Five Live Asia 2011 in Bankok | 4月25日 | タイ バンコク Mello Yello RCA | 初のバンコク公演 | |
| FiVe Live Asia 2011 Taipei | 5月23日 | 台湾 台北 The WALL 公館 | 東日本大震災の影響により、3月28日から公演延期となった。 | |
| FiVe Live 2011[38] | 9月15日 - 11月13日 | 名古屋 THE BOTTOM LINE、森ノ宮ピロティホール、福岡 DRUM Be-1、札幌 cube garden、金沢 AZ、SHIBUYA-AX | 石垣は、11月13日の東京公演のみ、4人での挨拶の時のみ参加(演奏は無し)。またその挨拶の場で、2011年をもって活動を停止することを発表した。 | |
| FiVe Live 2011 〜Thank You FiVe Family〜[39] | 11月26日 - 12月30日 | 高知 キャラバンサライ、高松 DIME、青森 Quauter、盛岡 CLUB CHANGE WAVE、仙台 darwin、福島 C-moon、TOKYO DOME CITY HALL | FiVe最後のコンサートツアー。石垣は12月30日の東京での最終公演のみ参加。東京公演では、ストリングスやホーンセクションも参加し、またQuestion?の後藤泰観がゲストで参加した。 |
2007年-2008年に渋谷で、定期的に行われていた単独ライブ。大々的な告知はされないシークレットライブ扱いかつ抽選方式による入場であった[40]。2007年5月16日に公演ではゲストにQuestion?と今井翼が登場した[40]。
2007年10月公演以降は、「コンサート事務局」が管理するチケット販売サイト「Jticket」(ジェイチケット)のホームページにて、開催告知およびチケット販売が行われた。また公演によっては、ライブを見に来たタレント(亀梨和也、他)がゲストとして紹介された。
なお、タイトルの「You Gotta Rock」はダブルミーニングで、バンドのFiVeが「Rockする」という意味と、「夕方、6(ろく)」時開演という意味があった(しかし実際に2回公演があっても、開演時間は17時と19時30分な為、夕方6時(18時)には開演しなかった)[要出典]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/26 03:59 UTC 版)
ファイブ(five)は、英語で5のこと。以下はこれに由来する。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 13:48 UTC 版)
「ジャニーズJr.解散グループ (1990年以降)」の記事における「FiVe」の解説
1999年に「Ⅴ」のユニット名で結成発表された。 詳細は「FIVE (バンド)」を参照
※この「FiVe」の解説は、「ジャニーズJr.解散グループ (1990年以降)」の解説の一部です。
「FiVe」を含む「ジャニーズJr.解散グループ (1990年以降)」の記事については、「ジャニーズJr.解散グループ (1990年以降)」の概要を参照ください。
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