(FELT から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/07 05:20 UTC 版)
|
|
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
|
フェルト(felt)とは、ヒツジやラクダなどの動物の毛を圧縮してシート状にした繊維品の総称。不織布。フエルトとも表記する。化学繊維を使った製品もある。
哺乳類の体毛の表面は、ウロコ状のキューティクルで覆われている。そのため、熱や圧力、振動を加えることでキューティクルが互いに噛み合い、絡み合って離れなくなる性質がある。この現象を縮絨(しゅくじゅう)あるいはフェルト化と呼ぶが、水、特に石鹸水のようなアルカリ性の水溶液を獣毛に含ませるとキューティクルが開いて互いに噛み合いやすくなり、縮絨はより促進される。この性質を利用して獣毛を広げて石鹸水などを含ませて圧力をかけ、揉んだり巻いて転がしたりすることでフェルトが作られる。
性質としては、引っ張りや摩擦に対する抵抗力は比較的弱いが、断熱、保温、クッション性に優れている点が挙げられる。用途としては、多くの産業用や工業製品、服飾製品・絨毯・カーペットなど、幅広い分野で用いられている。ピアノのハンマーのカバーも代表的なフェルト製品である。また芸術分野では、フェルト彫刻にも使用されている。
いったん毛織物に織ったものを通常のフェルト(圧縮フェルト)状になるまで縮絨したものを織フェルトと呼び、これは圧縮フェルトに比べて、引っ張りや摩擦に比較的抵抗力がある。
古代から作られていたと考えられ、考古学的な最古の遺物はアルタイ地方のパジリク古墳群の古墳のひとつから出土した紀元前5世紀-紀元前4世紀のもので、鞍覆いや帽子、靴下などに加工されている。
北アジア、中央アジア、西アジアの遊牧民のテントはモンゴルのゲルに代表されるように、フェルトで作られているものが多い。またテント内の敷物も、絨毯と並んでフェルトで作ることが多い。家畜に衣食住の多くを依存する遊牧民の「住」の部分を保証する技術が、正にフェルトであると言える。
フェルト製作には、羊毛の山をよくしなる杖で念入りに叩いて膨らませる。繊維には粗なうろこ状の結節があるので、叩くうちにもつれ合い、やがて軽い屑綿のようになる。これを50cm位の厚さにして筵の上に広げ、乳漿を散布する。
この敷物の両側に男女数人ずつが向かい合って並び、両側から一本の棒杭を芯にして捲いたり戻したりしながら、筵ともども固く巻き込む。これが終わると、馬毛の編索でぐるぐると縛り上げ、さらに両端にはしっかりと綱をかける。これを一人もしくは二人の騎手がひきずりつつ原野を走り回るのであるが、このときには好んで元気のよい種牡馬が用いられる。
一時間ほどすると、筵をほどいて女たちが新しいフェルトの表面を毛でこすって滑らかにし、再び乳漿をふりかけ、捲き込んで馬に引かせる。この作業を四、五回反復した後、フェルトだけを固く捲いてそのまま乾燥させれば、風雨に耐える堅牢な製品に仕上がる。
フェルトは用途に応じて大小厚薄自由に作られるが、帳幕の覆いにするものは最も厚いものを用いる。古くなるほど締まって雨水を通さなくなるといわれる。
現存する日本最古のフェルトは、正倉院所蔵の毛氈(もうせん)である。奈良時代に新羅を通じてもたらされたとされる。近世以後は羅紗・羅背板なども含めて「毛氈」と呼ばれるようになるが、中国や朝鮮半島のみならず、ヨーロッパからも大量の毛氈が輸入され、江戸時代後期には富裕層を中心とした庶民生活にも用いられるようになった。現在でも、畳大の大きさに揃えられた赤い毛氈は緋毛氈(ひもうせん)と呼ばれ、茶道の茶席や寺院の廊下などに、和風カーペットとして用いられている。
工業製品としては帽子や敷物、履物、緩衝材、吸音材、断熱材、自動車の内装材に利用されている[1]。フェルトは紡績(ぼうせき)織布などの工程を省いてシート状に加工できることから、低コストで生産できる製品である[1]。
(FELT から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/25 05:15 UTC 版)
|
|
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2020年10月)
|
フェルト(Felt Bicycles LLC )はアメリカ・カリフォルニア州アーバインに拠点をおく自転車メーカー。FRシリーズ、ARシリーズに代表されるロードバイク、VRシリーズなどのエンデュランス、グラベルロードバイク、トライアスロンバイク、TTバイクやクロスバイクを生産、販売している。
創設者であるジム・フェルトはもともとヤマハ、カワサキ、スズキ、ホンダなどのメカニックとしてモーターレース用のオートバイフレームを製作していたが、1989年、自身が乗るためのトライアスロン用自転車フレームのデザインを始めた。このフレームの出来に驚いたプロ選手たちがジムにフレームの製作を依頼するようになる。
やがて自転車業界では新興メーカーであったイーストン・スポーツから声がかかり、ジムはイーストンの依頼で製品開発に携わることになる。特にトライアスロンとシクロクロスの分野では彼の製作したフレームが幾多のチャンピオンを生み、その評価を確固たるものとした。
1994年イーストンを離れたジムは2000年までアンサー・プロダクツと提携して製品開発を続け、2001年独自ブランドを立ち上げた。これに際し、従来ハイエンドのレース用機材が中心であったものを、世界的マーケットで幅広いラインアップを擁する総合自転車メーカーへの転換をビジョンとして、ジムのパートナーとなったのがアメリカ人ビル・デューリングとドイツ人ミヒャエル・ムルマンである。
ビル・デューリングはワシントンD.C.で3代続く自転車店経営者の家庭に生まれ、大手自転車問屋に就職する。そこでBMXを中心とした自転車の流通・販売ノウハウを得た。一方ミヒャエル・ムルマンは大学で経営学と経済学を学ぶかたわら学費を捻出するためにスポーツ用品の輸入販売を営み、自ら自転車店を開業したり、のちにはBMXやマウンテンバイクの製造をも手がけるようになった。2人はBMXの販売を通じて知り合い、フェルトブランドの立ち上げに資金面および人材面で協力することとなる。
その後はアメリカとヨーロッパの二極体制で事業を展開し、現在ではロードバイク、トライアスロンバイク、シクロクロス、BMX、マウンテンバイク、トラックレーサー、軽快車などラインアップを拡大し、27か国に140モデルを供給する中堅メーカーとなっている。
当ブランドについて,日本ではしばしばドイツのメーカーと紹介されることがある。これはジムが2人のパートナーと共にブランドを設立した地がドイツであった[1]という点、また過去に日本語版メーカーカタログにて「機能美溢れるドイツの高品質ブランド」と記載されていたという点[2]からであると思われる。しかしジムはアメリカ人であり、現在の本部もアメリカ・カリフォルニア州内に置かれている。また、ヨーロッパにおける本部についても2017年のロシニョールによる買収以来フランスに置かれている。
日本においてはGTバイシクルズと同じく、ライトウェイプロダクツジャパンが総輸入代理商社となっている。
フェルトはもともと大規模な宣伝を打たず口コミでシェアを伸ばしてきた経緯から、日本のスポーツ車マーケットでは地味な印象を拭えなかった。しかし2007年にはアメリカのUCIコンチネンタルプロチーム、チーム・スリップストリーム・パワード・バイ・チポートレ(現、チーム・キャノンデール・ガーミン)に機材供給を開始、2010年まで同チームに機材を供給した。2008年にはジロ・デ・イタリアのチームTTで優勝し、同年のツール・ド・フランスにワイルドカード枠で出場した。2009年のブエルタ・ア・エスパーニャでは3つのステージ優勝を、更に2013年のツール・ド・フランスにてマルセル・キッテルがマーク・カベンディッシュ等の強豪スプリンターを抑え1日目にはマイヨ・ジョーヌを着るなど合計4勝をチームにもたらし、その認知度は着実に上昇している。