(Estate から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 05:38 UTC 版)
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| 中国語 | 鄂 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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鄂(がく、IPA: /ɤ̂/)は、殷・周の諸侯国(紀元前12世紀 - 紀元前863年)。金文では噩とも表記される。現在の河南省南陽市臥竜区・方城県・南召県の一帯を領し、臥竜区石橋鎮が中心の地域であった。黄帝の姞姓の子孫が封じられ、国君は殷の侯爵の席に並んだ。殷末には鄂侯は西伯昌・九侯(鬼侯)とともに三公に列された。
鄂はもともと現在の河南省の南部にあったが[1]、その後湖北省に移った。鄂は現在湖北省の省の略称としても使用されている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 01:53 UTC 版)
「ブルーノ・マルティーノ」の記事における「Estate」の解説
マルティーノの曲の中で、後世まで長く歌われることになった唯一の曲が、1960年にブルーノ・ブリゲッティの詞に作曲した「エスターテ」である。愛の記憶が去来する「夏」という季節への愛憎を、哀調をこめて歌ったバラードであるが、当時イタリアではさほどのヒットにならなかった。 ジャズのフィールドでは、アメリカ合衆国の歌手だが一時ヨーロッパで活動していたヘレン・メリルが、1962年にイタリアRCA社での録音によりイタリア語で歌唱したEP盤を出したものの、それ以降のカバー事例はイタリア国内以外では一時ほとんど見られなかった。 ボサノヴァ創始者の一人であるブラジルのミュージシャン、ジョアン・ジルベルトは、1960年代にイタリアを訪れ、ここでマルティーノの「エスターテ」を耳にして、自ら取り上げてみたいと考えるようになった。しかし実際に彼がこの曲をアルバムに録音するに至ったのは、はるか後年の1977年で、アルバム「Amoroso」でクラウス・オガーマンのオーケストラによるストリングス伴奏を得て、イタリア語の原語のまま、マルティーノの朗々とした歌声とは反対に、我流の訥々たる歌唱法で歌った。 このジョアン・ジルベルトの歌唱によって「エスターテ」は世界的に知られることになり――反面、ジルベルトという巨大な存在が独自解釈で歌ったことによって、作曲者本人の手になる原曲の存在感は著しく薄らいでしまったのであるが――、ボサノヴァとジャズのジャンルで好んで歌われ、演奏される曲となった。ジルベルトが敢えてボサノバ向けにポルトガル語歌詞を用意せず、ブリゲッティ作のイタリア語歌詞で歌ったことで、爾来ブラジル音楽のミュージシャンたちは、この曲をイタリア語歌詞で歌うのがほぼ慣例となっている。 ジャズ・ピアノでもっとも有名なのはミシェル・ペトルチアーニのバージョンで、イタリア系フランス人の彼はこの曲をたいへんに好み、ライブでも度々演奏した。またブリゲッティの原語歌詞に基づいて、ジョエル・シーゲルによる「Estate」、ジョン・ヘンドリックスによる「In Summer」という2つの英語版歌詞が作詞されており、ジャズ歌手にはこれらの英語歌詞で「エスターテ」を歌う者も多い。 なお、この曲は元々「夏は嫌い、あのひとを思い出させるから」という内容の歌詞に沿ったタイトル"Odio l'estate" (私は夏が嫌い)というわかりやすすぎるタイトルだったが、歌手のレリオ・ルタッツィがテレビショーで悪戯に"Odio le statue"(私は像が嫌い)と題名をもじったパロディソングにしてしまい、これに懲りたものか、以後は(マルティーノ、ブリゲッティいずれの意志によるものかは不明であるが)単に"Estate"という題名になった。
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