エコノミーまたはエコロジーの略。以前はおもに、燃費経済性やこれを競うエコノミーラン(エコラン)をいっていたが、最近では環境そのもの、あるいは環境を配慮したクルマ(エコカー)や、環境と省エネに配慮した運転方法(エコドライブ)をいうことが主流となっている。
参照 エコドライフ(Ecology から転送)
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エコロジー(英語: Ecology)は、狭義には生物学の一分野としての生態学のことを指すが、広義には生態学的な知見を反映しようとする文化的・社会的・経済的な思想や活動の一部または全部を指す言葉として使われる。後者は英語の Ecology movement や Political ecology などに相当する。以下の記事では主に後者の説明をする(狭義のエコロジーの説明は生態学を参照)。後者の内容は、「環境に配慮していそう」なファッションなどから、「地球に優しい」と称する最先端技術や企業活動、市民活動、自然保護運動、「自然に帰れ」という現代文明否定論まで、きわめて広範囲にわたる。
エコロジーの省略形「エコ」は和製英語である。
本項目の生態学 (eco-logy) と経済 (eco-nomy) の双方の意味がかかっている。 環境と経済は双方に影響し合うという意味がある[1]。
エコロジー(Ecology)とは本来は「生態学」を意味するが、近年では人間生活と自然との調和などを表す考え方として、「eco」が接頭語としてしばしば用いられている。さらに生態学 (Ecology) は、生物学の一分野と見なされている。ただし、生態系として生物を取り巻く物理化学的環境を扱う場合もあるので、生物学の範囲を超える場合もあり得る。いずれにせよ、生態学は生物と環境の関係を取り扱う学問である。ここで言う環境は生物の主体の取り扱いによって変わり、同種の他個体、他種の個体、周辺のさまざまな生物、物理化学的環境までを含む。
生態学は自然の中での集合としての生物を対象とする生物学であると言ってもよく、その意味では非常に古い伝統を持つが、一つの学問であるとの立場が成立したのはごく新しい。生態学の名そのものは、ドイツのエルンスト・ヘッケルが1866年に手紙の中で使用した Ökologie が最初であるとされる。これは、自然界の生物の生存のための活動を、古代ギリシアの市民の家政機関である οἶκος(オイコス)にたとえて、オイコスを成立せしめる λόγος(ロゴス:理論)を究明する学問を意味する。この点で、生態学は同じオイコスを語源とする経済学(エコノミー)との共通性も大きい学問なのである。
しかし、20世紀以降の現代生物学においては、生物体内の物理化学的過程の解明と、その側面を探求する分野が急成長すると、生物学の研究の主流は生理学・生化学・遺伝学に重心が移り、生態学は分類学・解剖学・博物学などとともに、もはや古くさい学問であるとの印象を持つ傾向も生じた。
ところが、環境破壊や公害問題が表面化するにつれ、それを解決する学問分野であるとして生態学が注目を受けるようになった。そこから、生態学的判断によって、それらの問題に対して必要と考えられる対抗策や、それまでの方法論への変更、見直し等を行なう運動が起こり、それらをまとめて表す言葉としてエコロジー運動(エコロジズム、エコロジスト)といった言葉が使われるようになった。そこから、次第にそれらの方向における運動や活動にエコロジーという言葉が使われるうちに、次第に生態学そのものとは必ずしもかかわらない言葉として一人歩きするようになり、現在に至る。
エコロジーという言葉そのものではなく、それをもじった造語や、その頭を取ってエコとのみ単独で用いる例もある。あるいはそれを頭につけた造語なども多く使われる。特に日本ではエコが21世紀に入ってよく使われるようになった。
20世紀前半から中盤にかけては、人間の工業技術の発達とその成果が、自然環境に大きな影響を与えるようになった時期といってよいだろう。具体的には化学、特に有機化学の進歩による、取り扱う物質の多様化と、新たな合成物質の増加、そして電気や動力関係の進歩による人間の活動の大規模化の影響が大きい。
たとえばプラスチックの合成はポリ塩化ビニルが1835年に合成されたのが最初といわれるが、商業的に生産が始まったのは1910年以降になる。DDTの合成は1873年だが、農薬として効果が認められたのは1939年である。DDTはしばらく後に抵抗性を持つ害虫の出現によって使えなくなり、より強力な農薬の開発と害虫側の抵抗性の出現とのいたちごっこが続くことになる。
そのような原因の蓄積によって、様々な環境問題が表面化し始めるのは、少し遅れて1960年代に入ってからである。先進国周辺の各地で、工場廃液による汚染や農薬汚染などが様々な形で表面化し始めた。それにつれて、これまでは成功を収めていた従来の方法への疑問や異議の声も出始めた。
特に海洋生物学者レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(1962年)が与えた影響はとても大きかった。それらの問題や疑問の声が無視できなくなったとき、その解決手段として生態学が浮上したのである。たとえばDDTのいわゆる生物濃縮には食物連鎖や生態ピラミッドの概念がなければ説明が難しい。農薬に代わる害虫駆除法と言えば、天敵利用や不妊虫放飼など、生態学的知識を必要とするものであったからであり、これまで考慮されなかった立場からの新しい見方を提示できるものと期待されたからである。
ただし、当時の生態学は生産生態学・生理生態学や個体群生態学が主流であった。それぞれの生態系における物質循環やエネルギーの流れを調べ、生産力を測定する、あるいは生物の増加速度や個体数・生物量の決定要因を探求する等の研究からは、上記の問題意識に関しては個体群生態学が不妊虫放飼の理論的支柱になったほかはこの分野に貢献する所は必ずしも多くなく、食糧危機に係わって地球全体の生産力を求める世界的プロジェクトが実現した程度である。勢い、エコロジー運動は生態学の学問的実態を離れて行くことになる。
そうした中で、一方ではエコロジーは現代文明を否定するヒッピー運動などと一定の流れを作る。その極端は、現代の文明のあり方を否定し、古くからのやり方へと戻ることを求めるものとなり、あるいは非西欧的な、世界各地の先住民族の伝統的な生活や思想への共感への傾倒へと向かう。他方では、それまでの公害や環境問題を生み出したやり方に対する新たな道として、あるいはその外見を変えるために、経済界や行政が打ち出すさまざまな部分を飾る看板ともなっていった。
1970年代から1980年代にかけての時期には、欧州を中心にエコロジーは政治的な動きとなり、その多数派は緑の党を結成した。また、この時期には反原発・反核や反捕鯨などがエコロジーの主要なテーマであった。同時期には日本でも複数の大学などに「エコロジーを考える会」といったサークルが組織され、その主な主張は反原発だった。
地球温暖化の問題が表面化した後は、いわゆる温室効果ガスの削減が新たな重点となった。フロンガスの代替については、専門的部分が大きく、一般市民は係わる面が少ない。しかし、二酸化炭素については、それを削減できればエコであるとの風潮が生まれた。こうした観点から原子力発電所は発電時の温室効果ガス排出が相対的に少ないと評価されるが、放射性廃棄物の処理という新たな問題も生み出し、別の点で環境に負荷を与えているのではないかとする懸念もある。
地球環境問題がブームとも表現されるほど広く高い関心を集めたことで、それまでのエコロジー、エコロジストという言葉が持っていた、反企業・反政府・反体制という印象も薄れ、逆に企業や政府が環境配慮を積極的に商品や政策として、エコという言葉とともに利用するようになってきた。持続可能な開発という概念に基づいた自然の商品化の手法のひとつがエコツーリズムである。循環型社会という方向が打ち出されて以降は、リサイクルがまた新たな重点として浮上した。そこから、再利用商品や、再利用しやすい仕組みを含んだものをエコという場合も生まれた。2000年頃より、このような活動を推進するものとして、「地球に優しい」という表現が盛んに喧伝されるようになった[注 1]。ただ、このような風潮をグリーンウォッシングだとして批判する声もある。
人間と自然との間の互恵的な関係に関する知識の普及を目的として、1971年、ユネスコは「人間と生物圏計画 (Programme on Man and the Biosphere, MAB)」と呼ばれる研究計画を開始した。その後1994年に、生物圏保護の概念が定義された。
1972年、国際連合はストックホルムで人間と環境に関する最初の国際会議を開いた。準備には Rene Dubos とその他の専門家が関わった。「地球規模で考え、地域で活動しよう」というフレーズはこの会議が起源である。
続く1980年代における主要なイベントは、生物圏の概念の発展と、生物多様性という用語の登場であった。 1992年リオ・デ・ジャネイロで開催された環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)中で、これらの用語が発展した。また、同サミットにより生物圏の概念が主要な国際機関に認知され、生物多様性の減少に伴う危険が広く知られることになった。
1997年の京都会議では、生物圏が直面している危機が(特に温室効果に焦点を絞って)国際的な観点から認識された。 世界のほとんどの国家は、地球規模の視野で生態学を考えることや、人間の活動が地球環境に与える影響の重要性を認識した。
公害を出さない(最近では「環境への負荷」を減らすという)ための活動を指し以下のようなものがある。
自然保護に関わる活動として
(Ecology から転送)
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生態学(せいたいがく、英語: ecology)は、生物と環境の間の相互作用を扱う学問分野である。
生物は環境に影響を与え、環境は生物に影響を与える。生態学研究の主要な関心は、生物個体の分布や数にそしてこれらがいかに環境に影響されるかにある。ここでの「環境」とは、気候や地質など非生物的な環境と生物的環境を含んでいる。
なお、生物群の名前を付けて「○○の生態」という場合、その生物に関する生態学的特徴を意味する場合もあるが、単に「生きた姿」の意味で使われる場合もある。
非常に頻繁になされる定義、とくに人類生態学で用いられる定義では、以下の三角関係についての研究が生態学とされている。
ecology(生態学、エコロジー)という語は、誰がその語を用いているかによって意味するところが異なる。多くの科学者にとって、ecology は基本的な生物科学に属しており、生物個体やそれ以上の生物の集団、およびその環境を研究対象とする。
たとえば、いわゆる生物濃縮の現象は、生態学の理論によってのみ説明が可能な現象である。
科学者でない多くの人にとって「エコロジー」は科学の一分野ではなく、何よりもまず人間およびその活動から自然と環境を保護することであるが、これは人間対自然という二項対立の見地によるものである。
必ずしも一般的ではないが、生態学を科学としての生物学以上のものとする見方もある。その考えによると、生態学とは、自分たち以外の生物と調和して存在し、また我々を取り巻く他の生物群を単なる物として利用すべきではなく、むしろより大きな一貫したシステムに属するそれぞれの要員ととらえ、ひとつの組織であると考える、ある種の世界観である。
古代ギリシャのアリストテレスの動物に関する研究やテオプラストスの植物、植物群落についての研究にはじまり、ローマの大プリニウスの自然史などをへて、ロバート・ボイルの呼吸についての研究、ルネ・レオミュールの昆虫の生活史や社会生活に関する研究、さらにリンネの分類学や地理学的研究、ビュフォンの自然史と環境と生物の関係についての研究を生態学の前史にアリー(1949)[1]は位置づけた。
英語の "ecology" は、1866年にドイツのダーウィン主義生物学者エルンスト・ヘッケルにより作られた。ギリシア語の οἶκος(オイコス=ポリスの市民を家長とする家政機関共同体)と λόγος(ロゴス=理論)とを組み合わせたものである[2]。
18世紀から19世紀初頭にかけて、フランスやイギリスといった大きな海事力をもつ国々は、他国との海洋商業確立、新しい自然資源の発見と目録作成を目的に、多くの遠征に出帆した。18世紀初頭に知られていた植物種はおよそ2,000種であったが、19世紀初頭になるとその数は4,000種に増え、現在では400,000種に達している。
これらの遠征には多くの科学者が参加し、中には植物学者も含まれていた。ドイツの探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトもその一人であり、エメ・ボンプランと組んで1799年から1804年にかけて行ったスペイン領アメリカの探検によって知られる[3]。フンボルトは生物-環境間の関係に初めて着目したという点から、しばしば生態学の真の父と考えられている。彼は観察された植物種と気候、緯度・経度を用いて記述された植生区分との間に関連があることを明らかにした。このような領域は、現在では植物地理学として知られている。1805年に出版された『Idea for a Plant Geography』はフンボルトの代表著作の一つとされる。また、彼は同時に動物の垂直分布をも明らかにした[4]。
他の重要な植物学者としては、オイゲン・ワルミングなどがいる。
1850年ごろ、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」出版に伴う革新が起こった。また、ダーウィンは生物個体間や種間、環境との関係を重視して、その仕組みに基づいて進化論を主張したが、その内容は生態学的と言って良いものである。また、こうした進化論は生態学の進歩に対し、一般に大きな影響を与えたと見なされている[5]。
生態学は、反復のある機械的なモデルを、生物学的・有機的な、そしてそれゆえに進化的なモデルへと受け渡した。
同じ時代にダーウィンの競合者であったアルフレッド・ラッセル・ウォレスは、初めて動物種の"地理"について提案をした。当時の何人かの科学者は、種は互いに独立したものではないということを認識し、生物を植物、動物、後には生物群集 (biocenose) に分類した。この生物群集という語は、1877年にカール・アウグスト・メビウスによって作られたものである[6]。
生物地球化学的循環という考え方は、1789年にラヴォアジエが水循環を認識したことに始まるとされ[7]、テオドール・ド・ソシュールの研究によって進展した。一方窒素循環については19世紀中盤から研究が進められていった[8]。
地球の大気圏・水圏・岩石圏の中で生物が発展しているという事実から、1875年オーストリアの地理学者エドアルト・ジュースは「生命が生息する地球表面の場所」という概念を表す用語として「生物圏」を提案した[9]。
1926年、フランスに亡命したロシアの地質学者ウラジミール・ベルナドスキーは、著書『生物圏』の中で「生態学を生物圏の科学」と再定義した[10]。同書では生物地球化学的循環の基本原理が述べられており、生物圏を生物・非生物の作用を含めた循環系として記述した[11]。
史上初めて報告された生態学的な損傷は、18世紀における植民地の増加による森林破壊である。この森林破壊は学者によって警告され、いくつかの植民地では保護林が設定されるとともに森林保護が法制化された[12]。産業革命に伴い、19世紀に入ってからは、人間の活動が環境に与える影響について差し迫った関心が寄せられた。また、景観保護[13]や動物愛護[14]などの考え方とも結びついて、19世紀にはヨーロッパやアメリカにおいて自然保護の考え方が広まり始めた[15]。生態学者という用語は、19世紀の終わりから使われはじめた。
19世紀を越え、生物地理学の基礎となるべく、植物地理学と動物地理学が結びついた。種の生息地・生育地を扱う生物地理学は、しばしば生態学と混同される。生物地理学は、ある種が特定の生息地・生育地になぜ存在するか、その理由を説明する試みである。
1935年、イギリスの生態学者アーサー・タンズリーは、生物群集と生息空間 (biotope) との間に成り立つ相互作用の系を生態系 (ecosystem) と名付けた[16](実際はアーサー・クラファム(Arthur Roy Clapham)という説もある)。こうして生態学は、"生態系の科学"になったのである。
第二次世界大戦後、地球上での人間の役割と立場に関する人間生態学の一分野では、核エネルギーや工業化、人口の社会的意義、工業国による天然資源の濫用、第三世界の国々で起こっている指数関数的な人口増加などの新しい課題に取り組んでいる。
ジェイムズ・ラブロックが彼の著作『The Earth is Alive』の中で提唱した「ガイア」(Γαῖα) という世界観は、地球をひとつの巨大な生物に喩えている[17]。議論になるところではあるが、このガイア仮説は一般人の生態学への興味を増加させた。"母なる大地"であるガイアが「人間と人間の活動のせいで病気になりつつある」ととらえる者もいた。科学的視点では、この仮説は生物圏と多様性を世界規模の観点からとらえる新しい生態学とつじつまがあっている。
人類生態学はシカゴにおける植生遷移変化の研究を通して1920年代に始まり、1970年代にひとつの研究分野として確立した。人類生態学では「地球上に広く生息する人間も主要な生態学的な要因(ecological factor)である」という認識に注目した。生息地の開発(特に都市計画)、集約的な漁業、あるいは農業・工業活動を通じて人類は大きく環境に手を加えるからである。
人類生態学は、人類学者、建築家、生物学者、人口統計学者、生態学者、人間工学研究者、民族学者、都市計画研究者、医師といった研究者が参画する分野として始まった。
人類生態学は生態学の支流であり、人間、その組織的な活動、人間をとりまく環境についての研究を行う。これを human ecology や ecological anthropology 等と言う。
学問的研究と環境保護運動の過程における相互関係や、新宗教的なエゾテリック派によって思想/宗教/世界観に環境保全的な価値観が存在し、自然と人間との関係が深く影響されていると仮定する環境保全主義的イデオロギー(environmentalism)が近年の一般的な議論で目立ち始めている。この派閥は特に欧米の文化人類学者によって批判されてきたが、その理由として、仏教徒が元々自然保護派であり、キリスト教は単に世界征服を目指したモノテイズムである等と言った単純な理論立てが「環境」から「価値」へ議論テーマをそらしてしまう様であり、民族主義的な対立を引き起こす可能性が含まれているからである。仮に environmentalism の提言する宗教基盤の価値観が人間と自然の関係を左右するとしたら、日本特有である自然界を対象とする「神道」は環境保全に効果があるはずであるが、現実は違う。環境保全主義的イデオロギーの「パラダイム」(environmentalist paradigm)と呼ばれている派閥には多数の流れがあり、中には環境保全的アジアニズムといったナショナリストや欧米人であり、欧米社会環境で社会化した人が「反欧米的価値観」を主張するといった複雑な面もあり、environmentalism 研究と言う新たな分野が注目されている(Berkes 2001, Ingold 1993, Kalland 2003, 2005, Pedersen 1995)。生態学における知見は上記の「内心面的」なものに限らず、個人や集団の諸外部への関係へも発展した。その中で、例えば政策や都市経営に適用しようとする政治生態学(political ecology)が1920年代から研究されたが、この場合の「政治」は社会と経済も含まれている意味合いがある。なお、Roy Rappaport(1984)をはじめとする人間と生態系の関わりに見られる細かな関数的な相互影響のシステム論(サイバネティックス)と解釈する学派も存在する。後者は自然科学と文化研究の結合として発展していったが、メカニックな生態系解釈は批判の対象にもなっている。
生態学は生物学の一分野である。生態学で扱う対象は生物体、個体群、群集、生態系や生物圏などである。 生態学では、生物とそれをとりまく環境間の相互の関係に焦点を当てた研究を行う。そのため、地質学・生化学・地理学・土壌学・物理学・気象学などの他の学問分野とも関連をもち、総合的な(=非還元主義的な)学問とされる。
以下に、生態学における諸分野を、スケールの小さな物から大きい物の順に列挙する。[18]
現代の生態学者にとっては、
といった幾つかのレベルで研究がなされ得る。
個体レベルで生態学的な視点と言えば、古くは生理生態学的なアプローチ、と言うことになろう。たとえばある種の海岸生物の分布域を、個体の耐塩性と関連づける、といったものである。近年では、行動生態学の進歩によって、行動や生活史の上での特徴までもが個体を単位に考える必要が示されている。
個体群レベルでは、対象は個々の生物の種、あるいはその一部である。ただしその個体を取り上げ、研究室内でその機能と構造を調べるのではなく、その生物が生存している場に於いて、さまざまな特性について考える。当然ながら対象とする地域は狭く、その生物の活動圏がひとつのまとまりである。
生物圏レベルの視点に立った場合、地球は水圏・岩石圏・大気圏といった構成要素から成っている。大気圏の外側に磁気圏を置き、水圏と大気圏を流体圏として統合することもある[19]。ときに第四の要素として扱われる生物圏は、惑星上で生命が発展できる部分である。生物圏から人間活動部分を分け、人間圏とすることもある[19]。
生物の大多数は-100~+100mの間に位置する区間に生息しているが、生物圏は深さ11,000m、海抜15,000mまでの非常に薄い表層である。
生命の起源はおよそ40億年前であると考えられている[20]。生命は当初、深海の熱水噴出孔や海水内など嫌気的な環境で発生し繁栄したが、27億年前に光合成能力を持つシアノバクテリアが誕生し、繁栄していくことで地球環境が大きく変化した。シアノバクテリアが放出する酸素の増大に従い、まず大気圏内の二酸化炭素やメタンが消費され、温室効果が消失して24億年前にはヒューロニアン氷期とよばれる最初の全球凍結期に突入した。22億年前にこの氷期は終結するが、この時期には海中でも鉄の酸化が活発となり、縞状鉄鉱床がさかんに生成された。19億年前にこの酸化も終わると大気中の酸素分圧が目立って増加し、窒素と酸素からなる現在の地球の大気となっていった。生物圏の活動が大気圏や水圏におよぼした、最も大きな影響のうちの一つである。この変化は生物圏内にも巨大な影響を与え、それまでの嫌気性生物は海中深くなど特殊な環境を除いて大量に絶滅し、かわって酸素を必要とする生物が主流となった。この変化は生物の複雑化につながり、19億年前には真核生物が登場し[21]、やがて多細胞生物が現われた。酸素分圧の上昇は紫外線から生物を守るオゾン層の上空への移動と拡大をもたらし、生物の陸上への進出と発展をもたらした[22]。地上の生物の多様性は、大陸が分離・衝突することによって増大したと考えられている[23]。大陸移動によって取り残された地塊には大陸で絶滅した古い種が残存しやすく、さらに孤島では新しい種の侵入も少ないことから固有種が多く存在する場合がある[24]。
生物圏と生物多様性は、地球の特徴として不可分なものである。生物圏は、生物が存在する領域として定義されるが、生物多様性はその多様さを指す概念である。例えるなら、生物圏が容れ物であるならば、多様性はその内容物の状態を表している。多様性は、生態系レベル、個体群レベル(遺伝的多様性)、種間レベル(種多様性)といった異なる枠組みでとらえることができる。
生物圏は、炭素・窒素・酸素といった、多くの生物にとって必要な元素を非常に多量に含む。リン・硫黄・カルシウムなどのその他の元素も、生物には不可欠である。生態系・生物圏レベルでは、これらの要素は無機・有機の状態間で変化しながら、常に循環している[25]。
生態系が機能するための主要なエネルギー源は、太陽光である。植物は光合成により、光を化学エネルギーに変換する[26]。この過程で糖が生成され、生態系を動かす第二のエネルギー源となる。糖のうちいくつかは、エネルギー源として他の生物に利用され、その他の糖もアミノ酸などの高分子を形成する材料となる。動物媒を行う植物の場合、糖から蜜を作り送粉者を誘うことで、繁殖を可能にしている[27]。
細胞呼吸は、哺乳類などの生物が糖を二酸化炭素や水に変換し、エネルギーを得る過程である[28]。他の生物の呼吸活動に対する植物の光合成活動の割合は、大気中の成分構成(特に酸素)を決定する。気流は大気を攪拌することで、生物活動が濃密な地域と希薄な地域との間での大気バランスを保つ役割を持つ。極地方の寒気と赤道地方の暖気は、低緯度帯のハドレー循環・中緯度帯のフェレル循環・高緯度帯の極循環の3つの空気循環からなる、いわゆる大気大循環によって攪拌されており、熱の不均衡を緩和する役割を持っている[29]。
水もまた水圏・岩石圏・大気圏・生物圏の間でやり取りされる存在である。海洋は水を蓄えた巨大なタンクであり、熱的・気候的安定性を請け負う[30]とともに、海流によって化学物質の輸送も担っている。深海では熱塩循環と呼ばれる長期的な海水の大循環が起こっており、熱や物質の均一化をもたらしている[31]。
生物圏がどのように働いているか、また人間の活動によって生じる機能不全をより深く理解することを目的とし、アメリカのアリゾナ州にバイオスフィア2と呼ばれる密閉型人工生態系が1991年に建設され、同年から2年間を1サイクルとして長期実験が行われる予定だった。しかしこの実験は酸素分量の低下などのさまざまな問題によって[32]、最初の2年間の実験のみで打ち切られた。1994年にも短期実験が行われたものの打ち切られ、この実験は失敗に終わった[33]。
生態学の第一の原理は、各々の生物は、それを取り巻く環境を作りあげる他のあらゆる要素との間に、進行的・継続的な関係をもつということである。「生態系」とは、「生物・環境間の相互作用の存在するあらゆる状況」として定義することができる。
生態系は、生物(生物群集)と、その生物が存在するための媒体(生育地・生息地)という、2つの構成要素から成る。生態系内では、種は食物連鎖において互いに関係し、依存し合っている[34]。実際にはこれらの複数の連鎖が複雑に絡み合うことで食物網 (food web)を形成している。また、生物同士や環境との間で、エネルギーと物質をやりとりする。
生態系という概念は、さまざまなスケールの単位 --- 1つの池、1つの草地、あるいは1個の木片といった --- に適用できる。
微小な生態系の単位として ミクロエコシステム microecosystem という言葉が使われる。例として、1個の石とその下に存在するすべての生物との関係を考えることができる。同様に、メソエコシステム mesoecosystem は森林、マクロエコシステム macroecosystem は全ての生態地域というように使い分けられる。
生態系はしばしば以下のような、関連する生息空間に基づいて分類される。
生息空間は、地質、地理、気候といった非生物的な環境要因によって、その範囲が規定される。非生物的な環境要因としては、以下のものが挙げられる[35]。
ただし、このような非生物的要因に、生物が全く関与できないかと言えば、そうではない。一般の見方としては、気候的要因などは緯度や標高などによって決定されるものと思われるが、そのようなものであっても、生物の存在によってある程度の変化は生じる。例えば、過度の伐採によって砂漠化している地域があるとする。一度砂漠化すると回復は難しいが、それではなぜ以前には樹木があったのかという疑問が生じる。これは、樹木が過度の攪乱(かくらん)を受けなければ、砂漠にならなかった、つまり砂漠の気候になるのを植物が止めていたことを意味する。一般的に、植物がよく生育していた環境を、過度の攪乱によって裸地化した場合、気温の変動幅が大きくなり、乾燥化する傾向がある。このように、非生物要因によって生物群集が影響を受けることを作用、逆に生物群集が非生物要因に影響を与えることを反作用という[37]。
生態系は環境の変化によって大きな損害を受けることがあるが、ある程度の摂動や攪乱であれば回復力によって徐々に原状に近い状態へと回復する。こうした様子は二次遷移と呼ばれ、遷移が頂点に達すると極相と呼ばれる安定した状態となる[38]。しかしながらある一定の限度(閾値)を超えると生態系が大きく損なわれ、原状回復が困難となる。過去においては地球規模の環境変化によって大規模な生態学的危機が起こり、幾度か生物の大量絶滅が発生している。これまでの大量絶滅は大陸移動による気候の寒冷化[30]や温室効果の消失、巨大隕石の衝突[39]といった自然現象によるものだったが、人類がその活動を活発化させるに伴い生態系の破壊が進み、人類活動によって大量絶滅期が引き起こされている。こうした影響を最小限にとどめるため、持続可能性に基づく持続可能な開発の概念が提唱されている[40]。
1986年、チェルノブイリ原子力発電所で発生したメルトダウン事故では、放射線への大量被曝の影響を受け、多くの人々と動物が癌によって死亡し、多数の奇形が発生したと報告されている。現場周辺の土地は、事故により生じた多量の放射性物質のため、現在では放棄されている。
2012年6月6日、地球の生態系は気候変動、人口増加、環境破壊の要因により、今後数世代で崩壊し、その転換点が今世紀中に訪れるという報告が『ネイチャー』に発表された。しかし、持続不可能な成長パターン、資源の消耗などを止めることで回避することは可能としている[41]。
政治的生態学(英語: political ecology)とは、政治的・経済的・社会的要因がどのように環境に影響を与えているかを研究する領域である。近年の環境悪化の結果として、エコロジー運動の機運が高まっているが、政治・イデオロギーと科学としての生態学の基本的な違いを理解することは重要である。
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