出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 03:43 UTC 版)
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| Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 | ||
|---|---|---|
| イベント詳細 | ||
| シリーズ | PRIDE[1](Dynamite!) | |
| 主催 | TBS | |
| 開催年月日 | 2002年8月28日 | |
| 開催地 | 東京都新宿区 |
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| 会場 | 国立霞ヶ丘競技場 | |
| 開始時刻 | 午後6時30分 | |
| 試合数 | 全8試合 | |
| 放送局 | パーフェクト・チョイス(PPV) TBS(地上波) |
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| 入場者数 | 91,107人 | |
| PPV購入数 | 10万件 | |
| イベント時系列 | ||
| THE BEST Vol.2 | Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 | PRIDE.22 |
史上最大の格闘技ワールド・カップ Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立[2](ダイナマイト サマー ナイト フィーバー イン こくりつ)は、日本の総合格闘技イベント「PRIDE」の大会。2002年8月28日に国立霞ヶ丘競技場で開催された。TBSが主催し、大会運営をDSEが担当。PPVにおける大会名は「PRIDE Shockwave」[3]。
2001年にTBSで放送された格闘技イベント「INOKI BOM-BA-YE」の流れを汲み、放送局であるTBSが主催し、PRIDEを運営するDSEが運営を担当。これにK-1とアントニオ猪木が協力する形で行われ、K-1とPRIDEの対抗戦というコンセプトが組まれた。総合プロデューサーの名目はK-1の石井和義となった。
開催前は、格闘技史上初の国立競技場での興行であることや、日本テレビが放送する格闘技イベント「UFO LEGEND」がDynamite!と競合するにもかかわらず猪木がプロデュースしたこと、柔道オリンピック金メダリストの吉田秀彦がPRIDEと契約し、総合格闘家としてデビューすることなどが注目を集めた。
対戦カードは当初発表されたものと異なり、ヴァンダレイ・シウバの対戦相手がジェレル・ヴェネチアンから岩崎達也に変更。結果、ジェレル・ヴェネチアンの対戦相手も松井大二郎へと変更。さらに、マーク・ハント対ドン・フライのK-1ルールでの対戦も、ハントが前戦で拳の負傷を悪化させたことから中止され、ジェロム・レ・バンナ対ドン・フライに変更されるなど、カードの変更が相次いだ。
大会中唯一、純正のPRIDEルールにて行われた第6試合ではボブ・サップがPRIDEヘビー級王者だったアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに善戦したことで格闘技ファンから認知されることになった。試合後、サップのセコンドに付いていたジョシュ・バーネットが「オマエハモウ、シンデイル」とノゲイラとの対戦を要求し、ノゲイラもこれを受諾した[4]。
第7試合の吉田秀彦対ホイス・グレイシーは、頭部への打撃なし、引き込みおよびグラウンド打撃の禁止など、ホイス側の要望により特別ルールで行われた[5]。試合では吉田が袖車絞めの形に入った際にホイスが動かなくなったと感じたことから、「(ホイスが)落ちた!」とアピールしたことで、レフェリーがレフェリーストップのないルールながら安全面の判断から試合をストップした。ホイスはすぐに立ち上がり「落ちていない!」と猛抗議してレフェリーを突き飛ばすなど激昂し、試合後も抗議したが判定が覆ることはなかった[6]。
屋外での開催のため、天候の関係上、予備日も2日用意されていたが、28日当日は晴天で予定通り開催された。
試合前のセレモニーには猪木、エリオ・グレイシーが登場し、聖火台に点火して大会が開会された。猪木は第5試合終了後に上空からパラシュートで降下し、恒例の「1・2・3、ダーッ!」のパフォーマンスを行った。
パーフェクト・チョイスでの視聴料金2,000円のPPVによる生中継に加え、TBSで9月1日に14時30分から16時54分の時間帯に録画放送されて、10.6%の視聴率を獲得した(ビデオリサーチ調べ)。PPVの売り上げは当時の日本記録となる10万件を記録した[7]。実況は古舘伊知郎、解説は石井和義と高田延彦が務めた。
(Dynamite! から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 03:25 UTC 版)
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Dynamite!! 〜勇気のチカラ〜(ダイナマイト ゆうきのチカラ)は、日本の格闘技イベント。主催はFEG。通称はDynamite!!(ダイナマイト)。2003年から2010年まで、毎年大晦日に開催された。
K-1が大晦日興行に初めて関わったのは2001年の「INOKI BOM-BA-YE(猪木祭)」で、K-1 vs 猪木軍として行われ、TBSテレビでの中継も実施された。
翌2002年にはPRIDEを主催するドリームステージエンターテインメント(DSE)も加わり、8月に「Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立」を国立競技場で開催し、観客動員9万人・PPV売り上げ10万件を記録して大成功を収めた。同様の体制で大晦日に猪木祭を開催し、K-1ルールも一部取り入れた。
石井和義の逮捕など、相次ぐ格闘技界のトラブルが影響し、2003年は大晦日興行が3つに分裂した。同年よりK-1を引き継いだFEGは「Dynamite」を興行名に使用して「K-1 PREMIUM Dynamite!!(ケイワン プレミアム ダイナマイト)」として最初の単独興行が開かれた。
2003年限りで猪木祭は撤退、その後は「PRIDE男祭り」→「やれんのか! 大晦日! 2007」と競合関係を持ちつつ開催を継続した。
2008年より興行名を「Dynamite!! 〜勇気のチカラ〜」とした。それまでK-1ルール中心で開かれていたが、FEGおよび元PRIDEスタッフが参加するDREAMが旗揚げされたため、K-1の看板を外すに至った。
以降、2010年まで唯一の大晦日格闘技興行として行われていた。特に、2005年をもって日本レコード大賞が12月30日に繰り上がったことから、TBSでは「ダイナマイト」の放送枠を拡大し(2008年はプロボクシングの世界タイトル戦生中継を交えた)大晦日の長時間特番として5時間半にわたって撮って出し(2007年は「やれんのか」生中継あり)で放送していたが、2010年は「ダイナマイト」の21時からの2時間半放送だけに留め、21時までは『8時だョ!全員集合』の特番にあてた。地上波放送終了後にはスカチャンでの完全中継も行われた[1]。
2011年も開催を目指していたが、TBSの格闘技班の解散[2]、FEGの経営難により興行が困難となり、2010年限りで終了。なお、2011年の大晦日興行はDREAMとイノキ・ゲノム・フェデレーションが合同で「元気ですか!! 大晦日!! 2011」を開催した。
2015年9月19日、K-1 USAのプロモーターを務めていたスコット・コーカー率いるBellator MMAとGLORYの合同興行に「DYNAMITE」のタイトルが採用された[3]。
K-1・総合ルールを始め、ミックスルールなど特別ルールの試合も組み込んでいた。
※2002年8月28日に開催されたDynamite!はドリームステージエンターテインメント運営の大会のため含めない。
| 大会名 | 開催年月日 | 会場 | 開催地 |
|---|---|---|---|
| Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜 | 2010年12月31日 | さいたまスーパーアリーナ | |
| Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 | 2009年12月31日 | ||
| Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 | 2008年12月31日 | ||
| K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! | 2007年12月31日 | 京セラドーム大阪 | |
| K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 | ||
| K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! | 2005年12月31日 | 大阪ドーム | |
| K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! | 2004年12月31日 | ||
| K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! | 2003年12月31日 | ナゴヤドーム |
以下はDynamite!!と同様に大晦日に行われた格闘技イベントである。
以下はDynamite!!と関連を持つイベントである。
(Dynamite! から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/15 01:45 UTC 版)
ダイナマイト(英: dynamite)は、ニトログリセリンを主剤とする爆薬の総称。アルフレッド・ノーベルが最初に発明したのはニトログリセリンを珪藻土にしみ込ませたもの。現代の日本においては、一般社団法人火薬学会の規格では6%をこえるニトロゲル(後述のゼリグナイト)を含有する爆薬の総称と規定されている。
1846年に発見されたニトログリセリンは、鋭敏な爆発物で爆薬としての実用は困難であった。実用できる爆発物には、多少の衝撃に反応せず、経時劣化を起こしたり化学変化を起こしたりしない安定性が必要となる。
1866年にアルフレッド・ノーベルは、ニトログリセリンを珪藻土にしみ込ませ安全化し[† 1]、さらに雷管を発明して爆発のコントロールに成功した。
1875年にはニトログリセリンと、同様に爆薬である低硝化綿薬(弱綿薬)を混合してゲル状とし、珪藻土を用いたときと同様に安定化するのに成功した。これはゼリグナイト(ブラスチングゼラチン)と呼ばれる発明品であり、不活性物質である珪藻土の使用をやめ、爆薬の威力を高めるものであった。
彼はこれらの製品を事業化し、多大な利益を得た。ダイナマイトという名前は「力」を意味するギリシア語δύναμις(dunamis)に由来する。
ノーベルは本来は土木工事の安全性向上を目的としてダイナマイトを発明したのであり、それが戦争に用いられたのはその意志に反していたという風聞があるが、実際にはノーベルにとってダイナマイトが戦争目的で使われることは想定内であった。
むしろノーベルは、ダイナマイトのような破壊力の大きな兵器が使われることで、それが戦争抑止力として働くことを期待した[2]。しかし実際は戦争の激化を招き、ノーベルの名は「死の商人」として世に知られる事となり、この事がノーベル賞設立の動機となった。
日本では明治に入ると、外国から輸入され琵琶湖疏水の工事などで使用されていたが、当時は貴重な外貨を消費して輸入される貴重品であった。日露戦争では大量のダイナマイトが使用され、旅順攻囲戦における坑道戦にて、ロシア軍の東鶏冠山北堡塁を2,300kgものダイナマイトで吹き飛ばしたのが初めての本格的な使用である。
1906年(明治39年)から、東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所(群馬県岩鼻村(現・高崎市岩鼻町))において国産ダイナマイトの製造が始まった[3]。東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所の跡地は現在では群馬の森になっており、「我が国ダイナマイト発祥の地」と刻まれた記念碑が建っている。
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歴史的にノーベルが発明した最初のダイナマイトで、危険なニトログリセリンを珪藻土にしみ込ませて安全化した。珪藻土は不活性物質で、爆力には不利である。珪藻土ダイナマイトは後にゼリグナイトに置き換えられ、既に100年近く作られていない。
ニトログリセリンを硝酸ソーダと木粉等の活性吸収剤にしみ込ませたもので、綿薬を使用しない。ニトログリセリンの含有量を適宜変えて各種の威力のダイナマイトが作れる。研究用途であり、産業用には使用されない。
現在の産業用ダイナマイトはニトロゲルに各種酸化剤と燃料を混合したもので、ニトロゲルのパーセンテージが高いと膠質(ゲル状の固体)になり、低いと粉状になる。目的・用途により各種製造されている。
桐、榎、梅などには製造会社や配合の小変化に伴い白、新などの語を付け加えることが多い。
産業用ダイナマイトの多くは直径32または25 mmの円柱状に成型し、薬包紙で包み、溶融パラフィンに浸漬して外側に耐水、耐湿の皮膜をつくり保護する。粉状ダイナマイトは薬包紙筒かポリエチレン袋に充填包装する。
近来はニトログリセリンの一部がニトログリコールで置き換えられている。かつてニトログリコールは不凍ダイナマイトに少量使用されるのみであったが、石油化学技術の発達により原料となるエチレングリコールが天然油脂の加水分解で作るグリセリンよりも安価に製造できるようになったため、ニトログリコールの使用量が増した。
ダイナマイトよりも安全かつ安価な含水爆薬やアンホ爆薬への置き換えが進み、またダイナマイト並みの威力を持った代替品も開発されたため、日本の各メーカーでの廃品種化も進みつつある[5][6][7]。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 08:11 UTC 版)
詳細は「Dynamite!! 〜勇気のチカラ〜」を参照 2003年よりTBS系列で放送。 2001年・2002年の大晦日にTBS系列で放送していた『INOKI BOM-BA-YE(猪木祭)』が2003年は日本テレビに移り、代わって登場したイベント。これによって、2003年の大晦日は日テレ系=猪木祭、TBS系=K-1、フジ系=PRIDEと、3局で格闘技イベントが放送された。 K-1 WORLD MAXシリーズ・DREAMと同様に、フジテレビが主に扱うヘビー級選手の出場もある。 開催地は、2003年のみナゴヤドーム、2004年からは大阪ドーム、2008年からはさいたまスーパーアリーナ。
※この「Dynamite!!」の解説は、「K-1」の解説の一部です。
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