Development Group (DEVGRU)
アメリカ海軍の特殊部隊「SEALs」を母体とした対テロ特殊部隊。
本隊は、1979年に発生した「在イランアメリカ大使館員人質事件」におけるいわゆる「イーグル・アロー作戦」の失敗を教訓として設立された。
1980年10月、初代指揮官にリチャード・マルシンコ中佐を迎えて"SEAL Team6"として発足し、6ヵ月後には実戦投入が可能な状態になった。
そして1987年、「DEVGRU」に名称変更された。
ちなみに、本隊は母体のSEALsとは違い、デルタフォースと同様「統合特殊作戦コマンド」に所属しており、陸軍のデルタフォースと同様、アメリカ政府は本隊の存在を公式に認めていない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/28 14:15 UTC 版)
| 海軍特殊戦開発グループ | |
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DEVGRUのパッチ
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| 創設 | 1980年11月 |
| 所属政体 | |
| 所属組織 | |
| 兵種/任務 | 特殊部隊 |
| 人員 | 1787人(2015年時点)[1] |
| 所在地 | バージニア州バージニアビーチ |
| 愛称 | DEVGRU,Seal Team6 |
| 上級単位 | 統合特殊作戦コマンド |
| 戦歴 | トランス・ワールド航空847便テロ事件 グレナダ侵攻 アキレ・ラウロ号事件 パナマ侵攻 湾岸戦争 ソマリア内戦 アフガニスタン侵攻(2001) イラク戦争 |
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DEVGRU(英: Development Group)またはアメリカ海軍特殊戦開発グループ(United States Naval Special Warfare Development Group)は、アメリカ海軍の特殊部隊Navy SEALsから独立した対テロ特殊部隊である。
DEVGRUは元々1979年に発生したイランアメリカ大使館人質事件において、アメリカ陸軍の対テロ特殊部隊のデルタフォース主導である人質救出作戦「イーグル・クロー作戦」(1980年4月24日~同25日)の任務失敗を教訓として同年10月に海軍中佐であるリチャード・マルシンコにより便宜上、Seal Team6として発足した[2]:26,137。そして1987年に現在のDEVGRUに名称が変更された。本部についてはバージニア州ダムネックに所在する。
部隊管理上はアメリカ海軍特殊戦コマンドの直下におかれるが、作戦上はNavy SEALsと違い、デルタフォースと同じく統合特殊作戦コマンド(JSOC)の指揮を受ける[2]:26 。DEVGRUは公式の活動内容としては、アメリカ海軍特殊戦コマンドで運用される陸・海および空挺における戦術や技術の試験・開発・評価を担うものとされているが[1]、アメリカ政府ではDEVGRUがJSOCの指揮下で実際の特殊作戦に従事していることを公式には認めていない。 しかしその任務内容は、対テロ作戦、大量破壊兵器の拡散阻止、人質救出、敵国内における高価値目標の確保または排除であると推測されている[3]。
1978年よりNavy SEALsのチーム1(西海岸)のエコー小隊、チーム2(東海岸)のMOB-6小隊が試験的に対テロユニットとして存在していた[2]:138。イランアメリカ大使館人質事件での作戦失敗に伴い、陸軍のデルタフォースが技能的にカバーしきれない船舶や海上油田のテロに対応するためのユニットが必要となった[2]:138。そこで元チーム2の指揮官、リチャード・マルシンコに白羽の矢が立ち、チーム2MOB-6小隊主体に編成が始まった。
選定基準は実戦経験、体力や実射技能、言語能力などに及んだ。優秀な隊員たちを引き抜かれたチーム1とチーム2は当然快く思わず、しかも予算の限られた両海岸のチームに比べてチーム6は湯水のように予算を使っていたことからその後暫く確執を生むこととなる。
1年目の訓練は年間365日、休暇が半日2回のみといわれ、東海岸の拠点に留まらず国内数箇所を転々としていた。海上における船舶強襲、海上油田の制圧、高高度パラシュート降下、そして実射訓練等実戦さながらの訓練が続けられた。射撃訓練にかけては1日に数千発を射撃することもあり、9ミリ拳銃の弾薬の経費は1年間でアメリカ海兵隊全体を上回ったといわれる[2]:6 。初期の頃CQB訓練中銃の誤射で1人が死亡、パラシュート降下訓練で1人が死亡している[2]:206。現役のSEALs隊員が選抜されるが、それでも選抜訓練で脱落していく者も多く、元DEVGRUのハワード・E・ワーズディンによれば6カ月の訓練期間中で30人中4、5人が脱落したとされる[2]:206。
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| 職名 | 在任期間 | 氏名 | 階級 |
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| 司令官 | 1980年~1983年 | Richard Marcinko | 中佐 |
| 司令官 | 1983年~1986年 | Robert A. Gormly | 中佐 |
| 司令官 | 1986年~1988年 | Thomas E. Murphy | 中佐 |
| 司令官 | 1988年~1990年 | Richard T.P. Woolard | 大佐 |
| 司令官 | 1990年~1992年 | Ronald E. Yeaw | 大佐 |
| 司令官 | 1992年~1994年 | Thomas G. Moser | 大佐 |
| 司令官 | 1994年~1997年 | Eric T. Olson | 大佐 |
| 司令官 | 1997年~1999年 | Albert M. Calland III | 大佐 |
| 司令官 | 1999年~2003年 | Joseph D. Kernan | 大佐 |
| 司令官 | 2003年~2005年 | Edward G. Winters III | 大佐 |
| 司令官 | 2005年~2007年 | Brian L. Losey | 大佐 |
| 司令官 | 2007年~2009年 | Scott P. Moore | 大佐 |
| 司令官 | 2009年~2011年 | Perry F. Vanhooser | 大佐 |
| 司令官 | 2011年~2013年 | Hugh W. Howard III | 大佐 |
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