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新語時事用語辞典新語時事用語辞典

ベーシスポイント

別名:bp
英語:basis point

金利債券利回りなどの変動幅を表す単位のこと。

1ベーシスポイントは0.01%に相当する10ベーシスポイントならば0.1%ということになる。例えば、金利3.0%から2.5%へ引き下げられ場合0.5%の引き下げになるので、50ベーシスポイント引き下げたことになる。

債券利回りでは、ベーシスポイントの他に、ベーシスポイントの半分であるハーフ・ア・ベーシスポイント用いることもある。

ちなみに金利が1ベーシスポイント変化した時の金融商品変動額をベーシスポイントバリューという。


デジタル大辞泉デジタル大辞泉

ビー‐ピー【BP】

読み方:びーぴー

bills payable支払手形。B/P。⇔ビー‐アールBR)。


ビー‐ピー【BP】


ビー‐ピー【bp】

読み方:びーぴー

base pair塩基対のこと。デオキシリボ核酸DNA)の長さを示す単位としても用いられるベースペア


出典:財務省ホームページ

BOP(BP)


独立行政法人科学技術振興機構独立行政法人科学技術振興機構

ほう化りん

分子式BP
その他の名称りん化ほう素Boron phosphide、ほう化りん、Phosphinidyneboron
体系名:ホスフィニジンほう素


ブロモプロピラート

分子式C17H16Br2O3
その他の名称ネオロン、アカロール、ブロモプロピラート、ブロモプロピレート、フェニソブロモラート、フェニソブロモレート、Acarol、Neoron、GS-19851、Geigy-19851、BP【Pesticide】、Bromopropylate、Phenisobromolate、Bis(4-bromophenyl)glycolic acid isopropyl、4,4'-Dibromobenzilic acid isopropyl esterBis(4-bromophenyl)glycolic acid isopropyl ester、Folbex VA、ホルベックスVA、ジブロモベンジル酸イソプロピルIsopropyl dibromobenzylate、エイカロール
体系名:ビス(4-ブロモフェニル)グリコール酸イソプロピル、4,4'-ジブロモベンジル酸イソプロピル


ベンゾ[a]ピレン


ホスフィノほう素

分子式BP
その他の名称Phosphinoboron
体系名:ホスフィノほう素


ホスフィノボラン

分子式BP
その他の名称Phosphinoborane、Borylphosphine
体系名:ホスフィノボラン、ボリルホスフィン


JabionJabion

塩基対

英訳・(英)同義/類義語:bp, base pair

二本鎖DNA中の、A/T、G/C塩基組み合わせDNA長さを表す単位としても使われる

沸点

英訳・(英)同義/類義語:boiling point, bp

液相蒸気圧外圧一致したときの温度

バイテクコミュニケーションハウスバイテクコミュニケーションハウス

塩基対

【英】: Base Pair, BP
DNA二本鎖の間は、塩基塩基が頭をつきあわせアデニン(A)チミン(T)グアニン(G)シトシン(C)というように決まったになって水素結合により、対合している。この組を塩基対という。

RNAではアデニン(A)ウラシル(U)グアニン(G)シトシン(C)対合する。
DNA二本鎖の間は、塩基塩基が頭をつきあわせアデニン(A)チミン(T)グアニン(G)シトシン(C)というように決まったになって水素結合により、対合している。この組を塩基対という。

RNAではアデニン(A)ウラシル(U)グアニン(G)シトシン(C)対合する。
塩基対
拡大表示

デオキシリボ核酸

リボ核酸

アデニン

チミン

グアニン

シトシン

塩基

ウラシル


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BP

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/01 05:41 UTC 版)

BPbp

単位・記号

正式名称

略語・略称

一般名詞

固有名詞

その他

コード・形式名

形式名

他の記号等を付して用いられるもの

  • B-P - ボーイスカウトの創設者、ベーデン・パウエルを指す。
    • 2月22日はボーイスカウトの創始者ベーデン=パウエル卿の誕生日であり「世界友情の日」とさだめられ、全国各地この時期のボーイスカウト活動は創設者の誕生日をたたえたお祭り、B-P祭を行うところが多い。

脚注

関連項目


bp

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 04:37 UTC 版)

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bp
生誕 (1981-10-05) 1981年10月5日(40歳)
日本東京都清瀬市
出身地 日本埼玉県所沢市
ジャンル J-POP
職業 音楽プロデューサー
ラッパー
シンガー
担当楽器 シンセサイザー
ピアノ
活動期間 2000年 -
レーベル AKASICK Records(2000年 - )
公式サイト 公式Facebookアカウント

bp(ビーピー、1981年10月5日 - )は、日本音楽プロデューサーラッパーシンガー

アメリカ合衆国ニューヨークで活動していた頃にはbp a.k.a hayato名義を用いていたが、日本でテツandトモのシングル「大田区でプロポーズ」をプロデュースした時よりbp名義を用いている。他にNELO(ネロ)という名義も使用している。

来歴

本名は非公開。東京都清瀬市生まれ、埼玉県所沢市出身。AKASICK Records 所属。身長188cm、体重60kg、血液型A型。堀越高等学校を卒業後、単身ニューヨークへ渡る。

ニューヨーク滞在中には、地元のバー等でピアニストとして地元ミュージシャンとのセッションをした。また、自らの活動として自主レーベルを立ち上げ、ニューヨークに滞在中の日本人アーティスト[誰?]を数多くプロデュースした。そしてインターネットを通じて日本でのプロモーションも開始。メディア出演を果たし、またレーベル所属アーティストとともにライブにレギュラー出演した。2002年9月には、日本で自身のレーベル Honey Entertainment からチャリティーアルバム『Dear Mama/September Eleventh』をリリースした。

その後、テツandトモ安倍なつみ等のメジャーアーティストの楽曲にラッパーとして参加。日本のメジャーレーベルプロダクションでのコンペティション参加およびプロデュースワーク等をこなす。帰国後にはホテルやテレビ番組などのBGMのプロデュース、新人アーティストへの楽曲提供、ボーカルディレクション等をする傍ら、自身のプロダクションをマネージメントしながらアーティストとしても活動している。

参加作品

アルバム

  • 『Love Songs』(2000年末) - トータルプロデュース
  • Dear Mama Project『9.11 September 11th』(2002年) - トータルプロデュース。bp a.k.a.hayato名義で参加。
  • Ito-musen『AKIHABARAP』(2011年) - トータルプロデュース

シングル

テレビ番組

関連人物

外部リンク


ビシュエシュワル・プラサード・コイララ

(Bp から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/06 09:47 UTC 版)

ビシュエシュワル・プラサード・コイララ

ビシュエシュワル・プラサード・コイララネパール語: बिश्वेश्वर प्रसाद कोइराला: Bishweshwar Prasad Koirala1914年9月8日 - 1982年7月21日)は、ネパール王国政治家。第24代ネパール首相(在任:1959年5月27日 - 1960年12月15日)。B・P・コイララ、あるいは単にB・Pと呼ばれる。

ネパール会議派に所属。ネパール史上初めて国会から選ばれた首相。「B・P」の名で親しまれ、今も国民的な尊敬を集める政治家である。弟のギリジャー・プラサード・コイララは兄の名にちなんで「B.P.コイララ保健・科学大学」を設立している。

生涯

ビシュエシュワル・プラサード・コイララ

首相就任前はラナ家の独裁体制と戦い、会議派を率いてきた。ラナ家打倒後、国王との対立もあって首相には任命されなかった。

1959年、総選挙の結果、会議派が第一党となり、首相に選出された[1]。 首相就任に当たり、マヘンドラ国王は妨害するが、インド政府に使者を送って助けを求め、その圧力で無事首相に就任する。

就任すると封建的土地制度の改革に着手、シャハ家ラナ家への課税、西ネパールのラージャ(地方権力)への課税など、民主的な改革を次々と推し進めた結果、封建勢力の反発を買い、マヘンドラ国王と対立。

1960年12月15日、マヘンドラ国王はクーデターを決行、内閣を罷免、コイララは投獄される[2]

1968年、釈放されるがインドに亡命。1976年ネパールに帰国。後半生は健康が悪化し、大部分が獄中生活と亡命生活であった。晩年の医師団の一員に、のちの大統領ラーム・バラン・ヤーダブがいた。

1982年7月21日カトマンズで死亡した。

親族

兄のマートリカ・プラサード・コイララ、弟のギリジャー・プラサード・コイララもネパール首相を務めている。

脚注

  1. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.645
  2. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.648

参考文献

  • 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』 明石書店、2003年 

関連項目



ロバート・ベーデン=パウエル

(Bp から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/04 22:16 UTC 版)

ロバート・ベーデン=パウエル
Robert Baden-Powell
ベーデン=パウエル
渾名 ベーデン=パウエル卿
インペーサ(眠らない狼)
マフェキングの英雄
世界の総長
B-P
生誕 1857年2月22日
イギリス
イングランド
ロンドンパディントン
死没 (1941-01-08) 1941年1月8日(83歳没)
ケニア植民地 ニエリ
所属組織 イギリス陸軍
軍歴 1876 - 1910
最終階級 陸軍少将
指揮 騎兵総監
第5竜騎兵連隊長
戦闘 マタベルの反乱
ボーア戦争
除隊後 英国ボーイスカウト連盟総長
署名
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初代ギルウェルのベーデン=パウエル男爵ロバート・スティーヴンソン・スミス・ベーデン=パウエル英語: Robert Stephenson Smyth Baden-Powell, 1st Baron Baden-Powel of Gilwell, OM, GCMG, GCVO, KCB, DL1857年2月22日 - 1941年1月8日)は、イギリスの軍人、作家で、スカウト運動ボーイスカウトガールガイド)の創立者[1]

人物

ベーデン=パウエル卿(Lord Baden-Powell)と呼ばれることも多く、またB-Pの愛称でも知られる。ロバートの名は蒸気機関車の発明者ジョージ・スチーブンソンの一人息子の鉄道技師ロバート・スチーブンソンが名付け親(了解を得て名付けられた)である。父ベーデン・パウエルはオックスフォード大学の幾何学教授、牧師であった。リベラル神学者でもあり、当時の保守的な英国国教会と戦っていた。彼の主張は、科学的進歩はキリスト教の教義に反するものではなく合致するものである、というもので、チャールズ・ダーウィンは自著『種の起源』第三版の序でパウエル師の学説を高く評価している。母はヘンリエッタ・グレイス・スミス。海軍の名家であるスミス家の出身であった。ロバートは10人兄弟の8番目だった(うち3人は夭折)。妹はアグネス・ベーデン=パウエル。妻はオレブ・ベーデン=パウエル(愛称はレディ・B-P)。オレブとの間に一男二女(ピーター(命名は『ピーター・パン』から)、ヘザー・グレイス、ベティ・セントクレアー)を授かる。

軍人として最初期から、それまでの懐中時計に代えて積極的に腕時計を利用した人物でもあり、自著『マタベレの戦い』(1897年)にはリストウォッチに対する言及があり、これはこの言葉の用例としては最古のもの。また1895年7月に撮影されたとおぼしき彼の写真にはレザー・キャップ(革サック)型の腕時計をした姿が残っており、これは写真に残った男性用腕時計の記録としては最古のものと思われる[2]アフガニスタンにおいて、手旗信号を初めて陸上で使用した軍人でもある(それまでは海軍で用いられていた)[3]

ボーイスカウトでは、創始者である彼への敬意を表すため、彼の誕生日である2月22日に近い活動日に、B-P祭という団集会をする慣例がある。

絵画や彫刻にも長け、自筆の水彩画やペン画のイラストは自著の挿絵として数多く用いられた。

年譜

  • 1857年 2月22日イギリスロンドン市内パディントンで生まれる。
  • 1860年 父が死亡。父を称えて家族は姓をパウエルからベーデン=パウエルに改めた。B-Pの母は35歳にして6男(ワリントン、ジョージ、アウグスタス、フランシス、彼、ベーデン)1女(アグネス)の7人の子供達を養うことになる。
  • 1868年 ローズ・ヒルスクールへ入学。
  • 1870年 サリー州ゴダルミングのチャーターハウス・スクールへ入学。
  • 1876年 俳優になりたいという夢を母親に反対されて受験したオックスフォード大学ベリオール・カレッジクライストチャーチ・カレッジへの入学に失敗(この時の数学の試験官はルイス・キャロルで、B-Pのテストの出来について酷評した記録が残っている。[4])。イギリス陸軍に入隊。第13軽騎兵連隊と共にインドラクナウに駐在。
  • 1877年 中尉に昇進。
  • 1878年 健康状態の悪化のため帰国。
  • 1880年 第13軽騎兵連隊へ再任し、アフガニスタンカンダハールへ移駐。
  • 1881年 連隊がムトラへ移動。大尉に昇進。
  • 1884年 最初の著書「偵察と斥候術」が出版される。連隊は南アフリカダーバンへ。
  • 1885年 ドラケンスバーグ山脈への独行偵察(3週間、600マイル)に成功。連隊はイギリス・ノリッジへ帰還。
  • 1886年 ロシア陸軍ドイツ陸軍の演習を個人的にスパイし、新型の機関銃サーチライト飛行船の情報を収集して持ち帰る。
  • 1887年 1月、ドイツ陸軍・フランス陸軍の演習をスパイ。の収集家に変装して偵察旅行を行い、蝶の羽根のスケッチに偽装して敵の軍事施設の見取り図を描いたエピソードは有名。12月、叔父のヘンリー・スミス将軍の副官として再びアフリカへ。
  • 1888年 ナタールにおけるズールー族との戦いで、ズールーの族長ディズニル(ディニズールー)が放棄した集落から戦利品として、木製(アカシア・イエロー製)のビーズ数千個に紐を通した3mを超える長さの首飾りを手に入れる(このビーズが後のウッドバッジトレーニング(ボーイスカウトのリーダー研修)の修了した証である「ウッドバッジ」となった)。2008年現在では、当時のオリジナルビーズは、数か国でナショナルディレクターの証として使われており、英国連盟では6ビーズが制定されている。
  • 1895年 フランシス・スコット卿の副官としてナタール州に移駐。マタベルの反乱においてズールー族、アシャンティの諸部族との戦いに参加。部族民たちは、B-Pの勇気、斥候技術、驚くべき追跡能力を見て、敵である彼を尊敬し、眠らないオオカミを意味する「インペーサ」の名を与えた。中佐に昇進。
  • 1897年 大佐に昇進。彼は第5竜騎兵部隊を指揮するためインドに戻った。彼がここで発揮した斥候技術と教育システムは上層部に強い感銘を与えた。
  • 1899年 ボーア戦争におけるマフェキングの包囲戦南アフリカマフェキングで8000人以上の敵軍に217日間(1899年10月13日 - 1900年5月17日)包囲され、これに対して極少ない手勢(2個大隊及びマフェキングの一般市民)で勇戦。この時、9歳以上の少年達をサー・エドワード・セシル少佐を司令官とした「マフェキング見習い兵団」として組織。軍事情報の伝達、普通郵便の配達などの伝令業務と、当番兵、見張り役などとして重用した。少年達は徒歩、あるいは自転車を用いて任務を果たし、B-Pはその勇気と機知に感銘を受ける。
  • 1900年 5月16日深夜から17日早朝にかけて、救援部隊がボーア軍の包囲を突破し、マフェキングが解放される(この救援部隊にはB-Pの弟、ベーデン・ベーデン=パウエルも配属されていた)。この軍功により史上最年少の陸軍少将に昇任。南アフリカ警察隊の創立に着手。帰国後、“マフェキングの英雄”と呼ばれ、国中から賞賛される。その後、英国は同戦争で勝利する。
  • 1903年 陸軍監察長官に就任(1907年まで在職)。
  • 1904年11月 イートン校での講演で、ドイツの脅威と祖国防衛の必要性を訴え、日本武士道への賞賛、中世騎士道の復活を提唱した。
  • 1906年6月 雑誌「ボーイズ・ブリゲード・ガゼット」に「スカウティング・フォア・ボーイズ」の第一回が掲載される。これは編集者による大幅なカットがされたダイジェスト版であったが、それでも少年達に大好評を博し、これに影響された彼らは自主的に班を作り、“パトロール”活動を始める。これがボーイスカウトの基礎となった。7月、「シートン動物記」の作者アーネスト・トンプソン・シートンと知遇を得、互いの著書についての意見交換を行った(後にシートンは米国ボーイスカウト連盟の総長となる)。B-Pは、技能賞のバッジシステム、班名に動物の名前をつかうこと、各種のゲームなどについてをシートンの著作から採用している。
  • 1907年6月 新聞・雑誌界の大立者アーサー・ピアスンから資金的な協力を取り付ける。8月1日ブラウンシー島にて様々な地域や階層出身の21名の少年と共にブラウンシー島キャンプを行い、ボーイスカウトの実験を行う(スカウトの最初のキャンプ)。叙勲。
  • 1908年1月28日 ロンドンに事務所を開設し、ボーイスカウト英国本部を設置。隔週発行で1冊4ペンスの「スカウティング・フォア・ボーイズ」を6分冊として発刊。
  • 1909年 いわゆる「無名スカウトの善行」によりスカウト運動がアメリカ合衆国へ伝わる(ただし、既に米国でもスカウティングそのものは行なわれていた)。
  • 1910年5月7日 陸軍を退役。その後、ボーイスカウト運動に専念する。米国ボーイスカウト連盟結成。妹のアグネス・ベーデン=パウエルがガールガイド(ガールスカウト)を創設する。
  • 1911年 ジュリエット・ローと知り合う。乃木希典大将と会見。
  • 1912年1月 国王ジョージ5世が法人設立国王勅許状に署名し、英国ボーイスカウト連盟が公認される。B-P、世界一周旅行に出発。アメリカ、パナマを経て日本を訪問する。ジュリエット・ローとの婚約を破棄、10月30日に当時23歳だったオレブ・セントクレア・ソームズと結婚(この時B-Pは55歳)。結婚式は、お祭り騒ぎになるのを嫌った2人の意向により、ドーセット州パークストーンのセント・ピータース教会で、ごく親しい友人のみで執り行われた。
  • 1919年 自らの地所ギルウェル・パークに隊長訓練所を開設。これは後にギルウェルコース、現在のウッドバッジコースに発展する(諸外国におけるウッドバッジコースとは日本における実修所に相当する)。
  • 1920年 第1回世界ジャンボリーにおいて、参加しているスカウトから「世界の総長(チーフ・スカウト・オブ・ザ・ワールド)」に推挙される。
  • 1921年5月17日 ロンドンにおいて、イギリス訪問中の昭和天皇(当時は皇太子)に謁見し、英国ボーイスカウト連盟の最高功労章であるシルバー・ウルフ章を贈呈する。
  • 1922年 準男爵に叙任される。
  • 1923年 ビクトリア十字勲章を授与される。
  • 1927年 ノーベル平和賞の最終候補まで残るが、受賞を逃す。
  • 1929年 イギリス国王ジョージ5世から初代ベーデン=パウエル男爵に叙される。
  • 1934年 前立腺摘出の手術をうけ、一時危篤状態となる。
  • 1935年 国際委員会(当時、現在の世界スカウト委員会)によりブロンズ・ウルフ章が贈られる。
  • 1937年 8月9日、第5回世界ジャンボリー(オランダハーグ)において、参加した2万7000人のスカウトに別れのスピーチを行う。
  • 1938年 ケニアニエリコテージを購入。そこをパックス・トゥ(Paxtu)と名づけ、転居。
  • 1939年 ノーベル平和賞の受賞が決定されたが、第二次世界大戦のためノーベル平和賞自体が取り消される。
  • 1941年1月8日 午前5時45分、激務で弱った心臓が鼓動を止めた。遺体はケニア山の麓ニエリに葬られたが、墓碑はロンドンのウェストミンスター寺院にあり、現在もボーイスカウトとガールスカウトの旗で飾られている。

称号

  • マフェキングの英雄
  • 初代ベーデン=パウエル男爵(マフェキング男爵にとの声が高かったが、本人の強い希望によりギルウェル男爵となった)
  • ボーイスカウトの「世界の総長」(チーフ・スカウト・オブ・ザ・ワールド)
  • ノーベル平和賞候補

著作

  • Reconnaissance and Scouting (偵察と斥候術)1884年
  • Calvary Instruction(騎兵教範) 1885年
  • Pig-Sticking or Hog-Hunting (猪突き、または豚狩り) 1889年
  • The Downfall Prempeh (プレンペの没落) 1896年
  • The Matable Campaign (マタベレの戦い) 1897年
  • Aide to Scouting for N.C.Os and Men (下士官と兵士のための斥候術の手引き) 1899年
  • Sport in War (戦争におけるスポーツ) 1900年
  • Notes and Instructions for the South African Constabulary (南アフリカ警察隊のための指導要領) 1901年
  • Sketches in Mafeking and East Africa (マフェキングと東アフリカのスケッチ) 1907年
  • Scouting for Boysスカウティング・フォア・ボーイズ) 1908年(初版)
  • Yarm for Boy Scouts (ボーイスカウトのための冒険談) 1909年
  • Scouting Games (スカウティング ゲーム) 1910年
  • Handbook for Girl Guides(ガールガイドのためのハンドブック) 1912年…妹アグネス・ベーデン=パウエルと共著
  • Boy Scouts Beyond the Seas (海外のボーイスカウト) 1913年
  • Quick Training for War (戦争のための緊急訓練) 1914年
  • Indian Memories (インドの思い出) 1915年
  • My Adventure as a Spy/ The Adventure of a Spy(スパイとしての私の冒険) 1915年
  • Young Knights of the Empire (帝国の若き騎士たち) 1916年
  • The Wolf Cubs Handbook (ウルフカブズ ハンドブック) 1916年
  • Girl Guiding(ガール ガイディング) 1918年
  • Aids to Scoutmastership(隊長の手引き) 1920年
  • What Scouts can Do(スカウトが成し得る事) 1921年
  • An Old Wolf's Favourites(ある老ウルフのお気に入り) 1921年
  • Rovering to Successローバーリング・ツウ・サクセス) 1922年…元々は息子ピーターへの遺言として書かれた
    • 『ローバーリング・ツー・サクセス』ボーイスカウト日本連盟 (日本語訳版)
  • Life's Snag and How to Meet Them(人生の障害とその対応の仕方) 1927年
  • Scouting and Youth Movements(スカウティングと青少年運動) 1929年
  • Lessons from the Varsity of Life(人生という大学からの教訓) 1933年
  • Adventure and Accidents(冒険と事故) 1934年
  • Scouting Round The World(世界をめぐるスカウティング) 1935年
  • Adventuring to Manhood(一人前の男への剣路) 1936年
  • African Adventure(アフリカでの冒険) 1937年
  • Birds and Beasts of Africa(アフリカの鳥獣) 1938年
  • Paddle Your Own Canoe(自分のカヌーは自分で漕げ) 1939年
  • More Sketches of Kenya(ケニアのスケッチ 第2集) 1940年

Baden-Powellの発音

ベーデン=パウエル自身が自著「The Scoutmasters Guide from A to Z」に、

  • 「Baden」を「Maiden」のように発音する
  • 「Powell」を「Noel」のように発音する

と書いている。[5]

  • 日本のガールスカウトでは、ロバートベーデン=ポウエルとも呼んでいる

関連事項

  • ボーイスカウト
  • ガールスカウト
  • ベーデン=パウエル・ハウス
    ロンドンのクイーンズゲートにはベーデン=パウエル・ハウス (Baden-Powell House) というスカウト協会が運営する宿泊施設があり、B-Pの生涯について展示した私立博物館が併設されている。
  • ベーデン=パウエル山Mount Baden-Powell
  • ベーデン=パウエル・ピーク
    2007年のボーイスカウト発祥100周年記念に合わせ、ネパール王国とボーイスカウトネパール連盟などが協力し、Baden-Powel Peakという山(標高5825m)と、Baden-Powel Trekという登山エリアを設定した。

参考文献

  • 『ベーデン・パウエル 英雄の2つの生涯』(ウィリアム・ヒルコート、根岸眞太郎監修、安齋忠恭監訳、産調出版)
  • 『疾走のメトロポリス 速度の都市、メディアの都市』(永瀬唯、INAX叢書)
  • 『腕時計の誕生 女と戦士たちのサイボーグ・ファッション史』(永瀬唯、廣済堂出版
  • 『ボーイスカウト 二〇世紀青少年運動の原型』(田中治彦中公新書

脚注

  1. ^ 動画:「スカウト運動」創始者の銅像守れ、撤去発表で住民ら集まる”. AFPBB News (2020年6月13日). 2020年7月28日閲覧。
  2. ^ 『腕時計の誕生 女と戦士たちのサイボーグ・ファッション史』永瀬唯 著,廣済堂ライブラリー、2001
  3. ^ 『疾走のメトロポリス 速度の都市、メディアの都市』永瀬唯 著,INAX叢書、1993
  4. ^ ウィリアム・ヒルコート 著 根岸眞太郎 監修 安齋忠恭 監訳『ベーデン・パウエル 英雄の2つの生涯』産調出版
  5. ^ ウィリアム・ヒルコート 著 根岸眞太郎 監修 安齋忠恭 監訳『ベーデン・パウエル 英雄の2つの生涯』産調出版

外部リンク


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Bp

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メルクストーリア - 癒術士と鈴のしらべ -」の記事における「Bp」の解説

ギルドバトルの際に使用するポイント。「Battle Point」の略。レベル関わらず上限1000Ap違って時間による回復はしないアイテム勇気」で200不思議な泉後述)では貯まっている分が、ギルド所属時の貯水庫からは「1000-(現在値)」分だけ回復現在値回復値の合計1000超えたら、1000まで回復し残りギルド所属時かつ貯水庫上限値以下であれば貯められる。

※この「Bp」の解説は、「メルクストーリア - 癒術士と鈴のしらべ -」の解説の一部です。
「Bp」を含む「メルクストーリア - 癒術士と鈴のしらべ -」の記事については、「メルクストーリア - 癒術士と鈴のしらべ -」の概要を参照ください。

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