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実用日本語表現辞典実用日本語表現辞典

bar

別表記:酒場バー

「bar」とは、英語に由来し横木あるいは棒状のもの、特に高飛び棒高跳び用い横木バレエ練習用い支え木や、カウンター形式酒場などのことを意味する表現

barの発音・読み方

「bar」の発音は英語、スペイン語イタリア語3種類ある。英語圏では「バー」、発音表記アメリカ英語では/bάɚ/イギリス英語では/bάː/となっている。これらをカタカナ発音を表すとアメリカ英語は「バァア」、イギリス英語では「バァー」に近い音になる。音節ではbar・(o)‐tなる。

スペイン語での発音は「バル」で発音表記は/ˈbaɾ/となり、これはカウンター形式のスペインバルを表す言葉として用いられている。イタリア語での発音は「バール」で、こちらはエスプレッソサンドイッチなどを提供する喫茶店を表す言葉として用いられている。ちなみに、英語でも「バール」という読み発音表記は英語の「バー」と同じ)があるが、これは圧力単位を表す「bar」を用いる際に発音される

barの語源

「bar」の語源様々だが、元々はフランス語から借用され言葉であるとされている。当時用いられていた意味としては「(門を固定させるかんぬき」など棒状の木という意味で使用されていたが、後にそれが転じてフェンス」「柵」という意味を付与させた。さらにそれらの意味が「二つのものを隔てるもの」という点から「カウンター」という意味が追加され、それが「酒場としての「bar」という意味合いへと発展させていったこのように、「bar」という言葉一つの意味から時代の変化などによって様々な意味を持つようになった多義語という特色持ち合わせている。

barのその他の意味・用法

「bar(圧力の単位)」とは


圧力を表す単位としての「bar」は、1平方メートルにつき10万ニュートン(N/m2)の圧力を表す。ノルウェー気象学者ビヤークネスによって提唱され語源は「重さ」を意味するギリシャ語βάρος(ros)に由来している。国際単位系SIにおいてはその他の非SI単位」とみなされており、日本の気象分野においては1945年からミリバールmbar)という単位1992年ヘクトパスカル置き換えられるまで使用されていた。ちなみに単位表記は「b」で表すこともある。

「BAR(省略文字)」とは


上記の意味とは別にBarbados」「Browning Automatic Rifle」 と二つ言葉省略文字として「BAR」が存在する。まず、「Barbados」とは、カリブ海西インド諸島内にある小アンティル諸島にある国「バルバドス」のことである。公用語は英語で首都ブリッジタウン国名ポルトガル語の「髭のはえたもの」という意味のOs Barbadosから由来している。1536年ポルトガル人のペドロ・ア・カンポスに発見されたのが始まりで、17世紀にはイギリス人占領され新世界での3番目の議会設立された。1958年ジャマイカと共に西インド諸島連邦結成し1966年イギリス連邦一員として独立する2021年11月までは立憲君主制だったが、現在は共和制移行している。商品作物としてはサトウキビ栽培しており、そのプランテーションは全耕地面積半分以上占めている。「BAR」はバルバドスの国としてのコードとして表記されている。

Browning Automatic Rifle」は、ブローニングM1918自動小銃という20世紀においてアメリカ合衆国などで使用され自動小銃のことである。1917年ジョン・M・ブローニングによって設計され容易に持ち運べ機関銃のような小銃を必要としていたため当時自動小銃機関銃合わせたような形状M1918製造された。銃身加熱によって交換不可能でかつ弾数少ないという欠点があった。制式採用後はコルト社、ウィンチェスター社、そしてマーリン・ロックウェル社によって製造され第一次世界大戦時ムーズ=アルコンヌ攻勢はその銃を装備した部隊動員されている。その後改良され第二次世界大戦朝鮮戦争使用された。

デジタル大辞泉デジタル大辞泉

バル【Bar】


バル【(スペイン)bar】

読み方:ばる

スペイン式の飲食店カウンター備えられており、料理・酒類・コーヒーなどを出す。スペインバル。


バー【bar】

読み方:ばー

横棒また、棒状のもの。特に、高跳び棒高跳び横木や、バレエ練習のとき、つかまってからだを支え横木

カウンター形式洋酒酒場転じて洋酒飲ませる酒場

レストランなど設けたコーナー。「サラダ—」

五線譜小節区切るための縦線また、小節

「バー」に似た言葉

バール【bar】

読み方:ばーる

圧力単位。1バールは10万ニュートンの力が1平方メートル作用するときの圧力記号bar →パスカル


バール【(イタリア)bar】

読み方:ばーる

喫茶店エスプレッソカプチーノ清涼飲料水サンドイッチなどを出す店。


航空軍事用語辞典++航空軍事用語辞典++

【BAR】(ぶろーにんぐおーとまてぃっくらいふる)

Browning Automatic Rifle

アメリカジョン・M・ブラウニング氏が設計・開発した自動火器
名前の通り20連の着脱箱型弾倉使用する自動小銃であるとも言えるが、重量オープンボルト作動といった特徴機関銃寄りであり、実際火力生かしたフルオート中心運用為された
当時で言うと、英軍ブレン軽機関銃現代で言うと分隊支援用のLSWが近い。
歩兵用い小火器としてはかなり重量があったが、堅牢トラブル少なく、非常に重用された。

第一次/第二次世界大戦のほか、朝鮮戦争ベトナム戦争使用された。
また、NATOいくつかの国やアメリカ対外援助対象国などにも輸出され、国によっては1990年代まで使用していた所もある。
日本でも陸上自衛隊1960年代まで使用していた。

M1ライフルM1903上回る火力発揮でき、重量も一応携行使用可能な範囲収まっていたので、単発5連、乃至セミオート8連が主力だった当時には圧倒的であったことは想像に難くない

スペックデータ

種別自動小銃分隊支援火器
口径:7.62mm
全長:1,214mm
銃身長:610mm
重量:7.2~8.8kg
装弾数:20発(着脱箱型弾倉
使用弾薬.30-06スプリングフィールド弾
ライフリング:4条右回り
作動方式ガス利用オープンボルト
銃口初速:805m/s
発射速度300650発/分
有効射程:548m

バリエーション


三栄書房三栄書房

BAR

※「大車林」の内容は、発行日である2004年時点の情報となっております。

石油技術協会石油技術協会

バール Bar

  パイプまたは鋼鉄製の棒で一端曲がった平坦に処理された0.5mから1.5m位のもの。その先端には釘抜きタガネ様のものが付いているものもある。隙間差し込んで重量物の移動使ったり,パイプ様のものは工具差し込んでてこの原理利用してより大きな力を加えることが出来る。
バール
分野 櫓下工具
同義語 ばり
関連用語  
類似語 てこ棒, グースネックバール, クローバー, 直バール, タガネ
略語
バール
バール 出展 ABIT社のホームページ
バール
バール  
バール

ダイキン工業ダイキン工業

バール crawbar, bar, var

①重い物を持ち上げ場合そのものの下に差し込んで「てこ」として用い鉄製工具釘抜きしてまた型枠ばらすときにも使われる。「かなてこ」「かじや」「クローバー」ともいう。 ②その他圧力単位(bar)、無効電力大きさを表す単位(var)、などもある。

ヤマハミュージックメディアヤマハミュージックメディア

小節[bar]

縦線により区切られ部分。その中の拍数の合計はその曲の拍子等しくなる

Be.BIKEBe.BIKE

bar

圧力を示す単位
1bar=14.5PSI
1bar=1kgf/cm2
1bar=100Kpa

交通エコロジー・モビリティ財団交通エコロジー・モビリティ財団

バー Bar

バー (画像をクリックする拡大します)  

日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社

Bar

名前 バーバールバル

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BAR

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BAR, bar

BAR

bar

単語

関連項目


B・A・R

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B・A・R
エントリー名 ブリティッシュ・アメリカン・レーシング(1999年)
ラッキーストライク・BAR・ホンダ(2000年 - 2005年)
チーム国籍 イギリス
チーム本拠地 イギリス ノーサンプトンシャーブラックレー
主なチーム関係者 クレイグ・ポロック
エイドリアン・レイナード
デビッド・リチャーズ
ニック・フライ
主なドライバー ジャック・ヴィルヌーヴ
ジェンソン・バトン
ミカ・サロ
オリビエ・パニス
佐藤琢磨
アンソニー・デビッドソン
以前のチーム名称 ティレル・レーシング
撤退後 ホンダ・レーシング・F1チーム
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度 1999 - 2005
出走回数 118
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズ
タイトル
0
優勝回数 0
通算獲得ポイント 227
表彰台(3位以内)回数 15
ポールポジション 2
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1999年オーストラリアGP
初勝利 -
最終レース 2005年中国GP
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B・A・R(ビーエーアール)は、かつて存在したイギリスF1コンストラクター。 1999年から2005年までF1世界選手権に参戦した。当初はチーム名をブリティッシュ・アメリカン・レーシング (British American Racing) とし、2003年からB・A・Rに改称した。「BAR」もしくは「B.A.R」と表記される場合もある[1]

2005年末に本田技研工業がチームの全株式を取得したため、2006年よりコンストラクターとしてF1参戦を再開したホンダF1に移行した。

歴史

チーム発足

ジャック・ヴィルヌーヴ

チーム発足への流れは、ジャック・ヴィルヌーヴCARTでチャンピオンを獲得した1995年に始まる。ヴィルヌーヴの個人マネージャーを務めていたクレイグ・ポロックと、ヴィルヌーヴが所属するチーム・グリーンにシャシーを供給していたレイナード、プレイヤーズブランドでチームを支援していたインペリアル・タバコの営業部長トム・モザーの間で、F1チームを設立する意見が交わされた[2]1996年、モザーがブリティッシュ・アメリカン・タバコ (British American Tobacco, BAT) のスポンサーシップ総責任者に就任し、資金提供を約束したことで、プロジェクトは実現に向けて動き出す[2]

1997年11月、ポロックは資金難にあったティレルを買収することを発表。1998年はティレルのままで参戦し、翌1999年からチーム名をブリティッシュ・アメリカン・レーシング(コンストラクター名はBAR)に変更した。BAT、ポロック、レイナードの3者が株式の共同所有者となり、ポロックがチーム代表に就任。BATが5年間で3億USドル(当時の為替レートで360億円)[2]という巨額の予算を計上し、レイナードがシャシー設計を担当した。チームはティレルの施設やスタッフを引き継がず、シルバーストン近郊のブラックリーに新ファクトリーを建設し[3]、既存チームのスタッフへヘッドハンティングを行って人材を集めた。エースドライバーには、当然のことながら1997年のF1チャンピオンドライバーであるヴィルヌーヴを迎えた。

「チーム・ヴィルヌーヴ」ともいえる誕生経緯、以前から噂されていたレイナードのF1進出の実現、世界第2位のタバコメーカーの全面支援など、チーム発足当初から話題性には事欠かなかった。一方、「初年度から優勝を狙う」という宣言やマシンのカラーリング問題(後述)など、ルーキーチームらしからぬ態度が批判や中傷を招くことになった。体制構築に際しては、経験値や開発時間などの既存のチームとの差を埋める方法を模索したが、新興チームとしての苦労が伴った。

1999年

参戦初年度はレイナードのマルコム・オースラーを中心に設計された01に、ルノーのカスタマー仕様であるスーパーテックV10エンジンを搭載。元F1チャンピオンのヴィルヌーヴと元国際F3000選手権チャンピオンのリカルド・ゾンタがレギュラードライバー、パトリック・ルマリエがテストドライバーという体制で出発した。

1999年はチーム力・マシン性能など、あらゆる面でF1の厳しさを学ぶシーズンとなった。レイナードはフォーミュラカー・コンストラクターとして参戦したすべてのカテゴリで初戦に優勝するという「デビューウィン伝説」を誇っていたが、量販シャシーとF1マシンでは勝手が違った。また、1997年のルノーワークスエンジン最終型をモディファイした実質2年落ちのスーパーテックエンジンは、技術革新のスピードが速いF1の世界ではすでに競争力を失っていた。ドライバーはエンジンのパワー不足や振動などの問題を指摘し、運転しにくい上に車体に負担がかかり、さまざまな悪い影響が出ていると語った。

エースドライバーのヴィルヌーヴは予選トップ10に7度食い込んでみせたものの、開幕戦から11レース連続リタイアという不名誉な新記録を残してしまった。ゾンタはF1デビュー2戦目のブラジルGPで負傷し、続く3戦を欠場。この間、F1浪人中のミカ・サロが代役出場し、サンマリノGPで記録した7位が、チームの年間最高成績となった。ベルギーGP予選ではゾンタ、ヴィルヌーヴとも超高速コーナー「オー・ルージュ」で相次いで大クラッシュを喫し、マシンを大破させた。

シーズンを通じてマシンの信頼性不足に悩まされ続け、2台で合計31回出走したうち、完走扱いは10回しかなかった(2台揃ってチェッカーを受けたのは日本GPのみ)。優勝どころか年間通じて1ポイントも獲得できず、資金難にあえぐミナルディにさえ遅れをとり、コンストラクターズランキング最下位に甘んじた。

2000年

ホンダエンジンを搭載した002

2年目となる2000年はスーパーテックとのカスタマー契約を解消し、F1第3期活動を開始するホンダからワークスエンジンの供給を受けることになった。ホンダは当初予定していたフルコンストラクターとしての参戦計画を撤回し、車体の共同開発まで関与できるパートナーとしてBARを選んだ。ドライバーラインナップは前年と変わらず、ダレン・マニングがテストドライバーに加わった。日本GPにゾンタに代わり高木虎之介をスポット起用する予定だったが、契約がまとまらず断念している。

開幕戦は2台揃ってポイントを獲得。ヴィルヌーヴは予選でトップ10内に定着し(イタリアGPでは予選4位)、決勝では4位4回を含めて7戦で入賞した。シーズン合計20ポイントを獲得し、コンストラクターズランキングは5位に浮上した(4位のベネトンと同点)。

2001年

003を駆るヴィルヌーヴ(カナダGP)

3年目となる2001年は、リカルド・ゾンタに替え前年マクラーレンのテストドライバーとして高い評価を得ていたオリビエ・パニスを獲得した。また、イギリスF3選手権に参戦中のアンソニー・デビッドソン佐藤琢磨をテストドライバーに加えた。

第5戦スペインGPではヴィルヌーヴがチーム初の表彰台3位を獲得し、第12戦ドイツGPでも3位に入ったものの、全体としてチームの成績は低迷した。年間獲得ポイントは前年を下回る17ポイント、コンストラクターズランキングは6位でシーズンを終えた。

他方、ホンダはこの年からエンジン供給先を2チームに拡大し、ジョーダンにもカスタマー契約で同スペックのエンジンを供給した。結果を求めるエンジンメーカーとチームの間にしこりを残し、共同開発に影響を及ぼすことになった。

2002年

4年目の2002年は開幕前から激震に見舞われる。2001年12月にポロックがチーム代表を辞任し、代わってスバルWRC活動を統率してきたプロドライブの会長デビッド・リチャーズが新代表に就任した[4]。また、シーズン開幕後の2002年3月末には経営難に陥っていたレイナードが倒産し[5]、BAR創設者のうちBATを除く2者がチームを去ることになった。

ドライバーはヴィルヌーヴとパニスを継続したが、ポロックの離脱でヴィルヌーヴの地位は安泰ではなくなった。テストドライバーはジョーダンのレギュラーシートを獲得した佐藤に代わり、フランスF3チャンピオンの福田良が加入した。

2001年にウィリアムズから加入したジェフ・ウィリスが開発責任者となったが、体制刷新の効果はすぐには表れなかった。004は入賞わずか4回(決勝最高位は4位)、獲得ポイントは7点にまで落ち込み、コンストラクターズランキングは8位に転落した。

ホンダはジョーダンとの3年契約を1年残して打ち切り、B・A・Rとのパートナーシップを2004年末まで延長して、チーム運営により深く関わることになった。

2003年

005を駆るヴィルヌーヴ(アメリカGP)

2003年のシーズン開幕前にチーム名称を「ブリティッシュ・アメリカン・レーシング」から「B・A・R」に変更。ドライバーはオリビエ・パニスに替わり、ルノーからジェンソン・バトンが加入した。また、ジョーダンのシートを失った佐藤を再びテストドライバーとして迎えた。

ウィリスが手掛けた新車005は空力面で進歩し、ブリヂストンタイヤとのマッチングに悩まされたものの、中団争いではそこそこの戦闘力を発揮した。バトンがコンスタントに結果を残してルノー時代のスランプを払拭する一方、ヴィルヌーヴはリチャーズとの関係が悪化し、高額のサラリーがネックとなって契約延長交渉が難航した。

最終戦日本GP開催直前には翌年からヴィルヌーヴに代わり佐藤がレギュラードライバーに昇格することが発表され、ヴィルヌーヴは急遽参戦を取りやめる事になった。佐藤は前倒しでレースに出場し、バトンと共にポイントを獲得。コンストラクターズポイントを26点に伸ばし、ザウバーを抜いてランキング5位を獲得した。

2004年

アメリカGPで3位表彰台を獲得した佐藤。マシンは006

2004年シーズンは、佐藤がヴィルヌーヴに代わってレギュラードライバーに昇格し、バトンとコンビを組む。金曜日のフリー走行ではアンソニー・デビッドソンが3台目のマシンをドライブした。

この年は参戦初年度から契約してきたブリヂストンに替えてミシュランタイヤを装着し、フリー走行のサードカールール[6]を活用して、タイヤ性能を上手く引き出した。バトンは自身初を含めて10度の表彰台を獲得し、サンマリノGPではチーム初のポールポジションとチーム歴代最高位の2位を獲得した。佐藤もアメリカGPで日本人14年ぶりとなる3位表彰台を得たほか、ヨーロッパGPの予選でフロントロー2位を獲得するなど健闘した。マクラーレンウィリアムズなどの名門チームの不調もあり、終盤戦には調子を落としたルノーを振り切り、コンストラクターズランキング2位(119点)で大躍進のシーズンを終えた。

しかし、シーズン中盤のドイツGP直後に、バトンがウィリアムズへの移籍を突然発表。これに対してチーム側は当該契約は無効であるとして、契約承認委員会に審査を申し立てる事態となった。チームはバトン離脱に備えて後任にミカ・ハッキネンを迎え入れる予定だったものの、結局ブラジルGP直前にB・A・R側の言い分が認められ、バトンは2005年もチームに残留した。

国際的なたばこ広告禁止運動の影響でBATのF1撤退が囁かれるようになり[7]、チームの処遇に関するBATとホンダの動向が注目された。ホンダは7月にエンジン供給契約を2007年末まで延長することに合意し、シーズン終了後の11月19日には、本田技研工業がB・A・Rに資本参加することが決定した。BATが55%、ホンダが45%を出資してBARHリミテッド (BARH Ltd.) を設立し、BARチームを取得する形となる[8]。また、同時にプロドライブとBATの提携が解消され、リチャーズらはチームを去った。

2005年

007を駆るバトン(アメリカGP)

チームを去ったデビッド・リチャーズの後継としてプロドライブのニック・フライがチームCEOに就任。また、サンマリノGPからは元インディカードライバーのジル・ド・フェランをスポーティング・ディレクターとして招聘した。

B・A・Rは2004年シーズン開幕前と同様に、前年型シャーシに2005年用パーツを組み込んだハイブリッドマシンで冬季テストに臨んだが、前年ほど好タイムを連発、という事はなかった。開幕後もマシンの熟成は十分でなく、開幕戦のオーストラリアGPから第3戦バーレーンGPまで1ポイントすら獲得できないと言う事態に陥った。

カタロニアポール・リカールのテストで非公式コースレコードタイムを更新して、迎えた第4戦サンマリノGPではバトンが3位、佐藤は5位でフィニッシュし、前年の競争力が復活したように見えた。しかしレース終了後の車検で重量規定違反を問われて失格となり、獲得した10ポイントを剥奪されたばかりでなく、第5戦スペインGP、第6戦モナコGPも出場停止処分が下された(詳細はB・A・R 007を参照)。

この様に前半戦は惨憺たる成績であったが、バトンが第8戦カナダGPでポールポジションを獲得、第10戦フランスGPから最終戦中国GPまで10戦連続ポイント獲得(第12戦ドイツGPと第16戦ベルギーGPでは3位表彰台)と後半戦では見事に復調した。これに対して、佐藤は不振を極め、年間でハンガリーGPでの1ポイントのみしか獲得できなかった。コンストラクターズ年間順位は6位(38点)。

この間、前年から引きずってきたバトンとの契約問題は、ウィリアムズ側が一貫して保有権を主張するも、2005年のウィリアムズのパフォーマンスの低さを見たバトンが一転して残留を望んだことから、依然として解決しないままの状態が続いた。チームはバトン移籍という事態へのリスク管理のため、ルーベンス・バリチェロと2006年のドライバー契約を結んだ。9月末のブラジルGP直前、バトンがウィリアムズへ違約金を払うことで契約解除を勝ち取り、2006年もチームに残留することが決まったが、結果的に、バトンの離脱を前提に交渉していた佐藤がチームを去ることになった。

一方ヨーロッパではたばこ広告規制の強化が進み、ハンガリーGPの決勝日(7月31日)以降はたばこ広告が禁止されていない国のレースであっても、ヨーロッパでテレビ放映されれば違反に問われる、という話がささやかれた(実際にはこの件はその後うやむやとなる)。こうした流れを受け、BATはチーム運営から降りることを決断し、10月4日にBARHリミテッドの株式持分55%全てをホンダに売却した[9]。BARチームを取得したホンダは、翌年から自社名義のフルワークスチームに変更して参戦することを発表。これにより、B・A・Rの7年間のF1活動に終止符が打たれることとなった。

変遷表

エントリー名 車体型番 タイヤ エンジン 燃料・オイル ドライバー ランキング 最高位
1999年 ブリティッシュ・アメリカン・レーシング 01 B スーパーテックFB01 エルフ ジャック・ヴィルヌーヴ
リカルド・ゾンタ
ミカ・サロ
11 8位
2000年 ラッキーストライクレイナード・ブリティッシュ・アメリカン・レーシング・BAR・ホンダ 002 B ホンダRA000E エネオス ジャック・ヴィルヌーヴ
リカルド・ゾンタ
5 4位
2001年 ラッキーストライク・レイナード・ブリティッシュ・アメリカン・レーシング・ホンダ 003 B ホンダRA001E エネオス オリビエ・パニス
ジャック・ヴィルヌーヴ
6 3位
2002年 ラッキーストライク・レイナード・ブリティッシュ・アメリカン・レーシング・ホンダ
ラッキーストライク・ブリティッシュ・アメリカン・レーシング・ホンダ
004 B ホンダRA002E エネオス ジャック・ヴィルヌーヴ
オリビエ・パニス
8 6位
2003年 ラッキーストライク・B・A・R・ホンダ 005 B ホンダRA003E エネオス ジャック・ヴィルヌーヴ
ジェンソン・バトン
佐藤琢磨
5 4位
2004年 ラッキーストライク・B・A・R・ホンダ 006 M ホンダRA004E エネオス ジェンソン・バトン
佐藤琢磨
2 2位
2005年 ラッキーストライク・B・A・R・ホンダ 007 M ホンダRA005E エネオス ジェンソン・バトン
佐藤琢磨
アンソニー・デビッドソン
6 3位

F1での年度別成績

シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 ポイント ランキング
1999 01 スーパーテックFB01 B AUS BRA SMR MON ESP CAN FRA GBR AUT GER HUN BEL ITA EUR MAL JPN 0 11位
ヴィルヌーヴ Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 15 8 10 Ret 9
ゾンタ Ret DNQ Ret 9 Ret 15 Ret 13 Ret Ret 8 Ret 12
サロ 7 Ret 8
2000 002 ホンダRA000E B AUS BRA SMR GBR ESP EUR MON CAN FRA AUT GER HUN BEL ITA USA JPN MAL 20 5位
ヴィルヌーヴ 4 Ret 5 16 Ret Ret 7 15 4 4 8 12 7 Ret 4 6 5
ゾンタ 6 9 12 Ret 8 Ret Ret 8 Ret Ret Ret 14 12 6 6 9 Ret
2001 003 ホンダRA001E B AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR FRA GBR GER HUN BEL ITA USA JPN 17 6位
パニス 7 Ret 4 8 7 5 Ret Ret Ret 9 Ret 7 Ret 11 9 11 13
ヴィルヌーヴ Ret Ret 7 Ret 3 8 Ret Ret 9 Ret 8 3 9 8 6 Ret 10
2002 004 ホンダRA002E B AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR GBR FRA GER HUN BEL ITA USA JPN 7 8位
ヴィルヌーヴ Ret 8 10 7 7 10 Ret Ret 12 4 Ret Ret Ret 8 9 6 Ret
パニス Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 8 9 5 Ret Ret 12 12 6 12 Ret
2003 005 ホンダRA003E B AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR FRA GBR GER HUN ITA USA JPN 26 5位
ヴィルヌーヴ 9 Ret 6 Ret Ret 12 Ret Ret Ret 9 10 9 Ret 6 Ret
佐藤 6
バトン 10 7 Ret 8 9 4 DNS Ret 7 Ret 8 8 10 Ret Ret 4
2004 006 ホンダRA004E M AUS MAL BHR SMR ESP MON EUR CAN USA FRA GBR GER HUN BEL ITA CHN JPN BRA 119 2位
バトン 6 3 3 2 8 2 3 3 Ret 5 4 2 5 Ret 3 2 3 Ret
佐藤 9 15 5 16 5 Ret Ret Ret 3 Ret 11 8 6 Ret 4 6 4 6
2005 007 ホンダRA005E M AUS MAL BHR SMR ESP MON EUR CAN USA FRA GBR GER HUN TUR ITA BEL BRA JPN CHN 38 6位
バトン 11 Ret Ret DSQ 10 Ret DNS 4 5 3 5 5 8 3 7 5 8
佐藤 14 Ret DSQ 12 Ret DNS 11 16 12 8 9 16 Ret 10 DSQ Ret
デビッドソン Ret

歴代の体制

エピソード

チーム名
ブリティッシュ・アメリカン・レーシングという名称は親会社ブリティッシュ・アメリカン・タバコと同一性を持たせることで将来のたばこ広告規制をかわす目論見があったと言われている。インターネット上の公式サイトも当初はwww.britishamericanracing.comというアドレスだった。
当初はフルネームにこだわる傾向があったようで、2000年には「Lucky Strike Reynard British American Racing BAR Honda」という名称でエントリーした。あまりにも長すぎたためか、2001年はBARを省いて「Lucky Strike Reynard British American Racing Honda」、2002年のレイナード倒産後は「Lucky Strike British American Racing Honda」とした。2003年からチーム名をコンストラクター名の「B・A・R」に合わせ、「Lucky Strike B・A・R Honda」の名前でエントリーした。
2つのカラーリング
001のカラーリング(1999年)
007の中国GP限定555カラー(2005年)
参戦初年度の1999年1月に行われた新車発表会で、B・A・Rの2台のマシンはラッキーストライク(ヴィルヌーヴ)とState Express 555(ゾンタ)というBATの2つの異なるタバコブランドのカラーリングで公開された。CARTシリーズなどではよくある広告方法だが、F1では同一チームのマシンは単一のカラーリングにしなければないというルールがあった[10]。チームはスポンサーの権利を主張して国際自動車連盟 (FIA) を相手に訴訟を起こしたが、最終的に使用を断念し、代案としてマシンの左右を異なるカラーリングにするという奇抜な方法をとった。車体左半分がラッキーストライクの赤、右半分が555の青、ノーズは銀色という配色で、中央部にはファスナーの模様が描かれた。
2年目以降はラッキーストライクカラーに一本化されたが、BATが中国国内では555ブランドを展開していたため、中国グランプリ限定で555カラーのマシンが登場した。2004年はサードカーのみ青色にペイントして出走。B・A・Rとして最後のレースとなった2005年は、2台のレースカーを555カラーにした。
"a tradition of excellence"(華麗なる伝統)
1998年、翌年からの参戦に先立ちチームロゴマークが発表された際に添えられたフレーズ。新規発足するチームが「伝統」を名乗る意図は不明だったが、このロゴマークは買収したティレルのマシンのノーズコーン先端にも付けられており、ティレルの歴史を継承するという意味が考えられる。しかし、ティレルの買収は参戦権の確保が目的であり、ティレルの名で1998年を戦ったのはコンコルド協定の手続きに関わる移行期間に過ぎない。ケン・ティレル以下スタッフはB・A・Rへの移行前にチームを去ることになり、F1関係者やファンから敬意を集めていた名門チームへの冷遇に対して、反感を覚える者も少なからずいた。
なお、ハーベイ・ポスルスウェイトら元ティレルのエンジニアはホンダ・レーシング・ディベロップメント (HRD) に移籍し、F1準備用のテストカーホンダ・RA099を開発した(製造はダラーラ)。しかし、ポスルスウェイトの急死後、ホンダは計画を変更してBARとのジョイントを発表。HRDはイギリスの前線基地としてBARと働くことになった。

脚注

  1. ^ ホンダF1アーカイブでは2001年までが「BAR Honda」、2002年は「B.A.R Honda」、2003年から2005年は「B・A・R Honda」と表記されている。
  2. ^ a b c 赤井邦彦「夢を叶える力。-BARに見る、F1新チーム設立までの挑戦」『F1倶楽部』第22号、双葉社、1998年11月、23頁。 
  3. ^ ブラックリーのB・A・R旧施設はホンダ、ブラウンGPを経てメルセデスGPのシャシー部門開発拠点となっている。
  4. ^ “BARホンダ、2002年体制を発表”. web CG. (2001年12月19日). http://www.webcg.net/WEBCG/news/000011007.html 2012年4月4日閲覧。 
  5. ^ “レーシングカーコンストラクター「レイナード」倒産”. web CG. (2002年4月1日). http://www.webcg.net/WEBCG/news/000011328.html 2012年4月7日閲覧。 
  6. ^ 2003年のコンストラクターズランキング5位以下のチームは、金曜日のフリー走行に3台のマシンで出走することが許され、より多くのセッティング情報を収集することができた。
  7. ^ “【ホンダF1ストーキング】スポンサーBATが撤退へ……たばこ広告禁止より早く”. レスポンス. (2003年4月18日). https://response.jp/article/2003/04/18/50426.html 2012年4月9日閲覧。 
  8. ^ “HondaとBATの新合弁会社がB・A・Rを取得”. 本田技研工業. (2005年1月11日). https://www.honda.co.jp/Racing/news/04f1/15/ 2012年4月9日閲覧。 
  9. ^ Honda、BARH Ltd.の株式を全額取得』(プレスリリース)本田技研工業、2005年10月4日https://global.honda/jp/news/2005/c051004.html2012年4月9日閲覧 
  10. ^ この決まりは「慣例」として存在していたが、1998年10月のF1委員会で正式にレギュレーション化されていた。

関連項目

外部リンク


バー

(Bar から転送)

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バー

Bar(一般名詞)

下記の他に、日本では対象によって、英語の bar を「バール」と読むことが一般的となっているものがある。

人名

英語の姓 (Barr, Burgh, Burr, Ver)

その他

関連項目


バール (単位)

(Bar から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 14:58 UTC 版)

バール
bar
記号 bar
度量衡 メートル法
非SI単位
圧力
SI 100 kPa[1]
定義 パスカル又はニュートン毎平方メートルの十万倍[2]
由来 106 dyn/cm2
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バール英語: bar)は、圧力単位である。105 Pa に等しい。メートル法系の単位であるが、MKS単位系CGS単位系のどちらにおいても一貫性のない単位である。また、メートル法から発展した国際単位系 (SI) にも含まれない非SI単位であり、SIの国際文書では、第8版(2006年)までは「その他の非SI単位」として記載されていた[1]が、現行の第9版(2019年)からは全く記載されていない。

かつて気象分野ではバールの 1/1000 であるミリバール(記号:mbar)が使われたが、ヘクトパスカル(記号:hPa)に置き換えられた。

日本では、計量法においてバールを基本的な計量単位として位置付けており[3]、使用分野を特に限定していない[2]。計量法の改正により圧力の単位は1992年12月からSIであるパスカル(記号:Pa)を使用することになった。

定義と大きさ

元々のバールの定義は、106 ダイン(記号:dyn)(1メガダイン)の力が 1平方センチメートル (cm2) の面積に作用する時の圧力であった。これは 1 atm(1気圧)にできるだけ近い値として定められたものである。正確には 1 atm = 1.013 25 bar = 1013.25 mbar = 1013.25 hPa である。約 1.3 % の差があるが、気圧計の測定精度を考えると実用上はほぼ同じとみなせる。

これはCGS単位で表すと 1 bar = 106 b = 106 dyn/cm2、MKS単位 (SI) で表すと 1 bar = 105 Pa = 105 N/m2 である。

1気圧にほぼ等しい単位として定められたため、CGS単位系においてもSIにおいても、基本単位だけから組み立てることはできず、10のの係数が付く(一貫性がない)。このため非SI単位である。

単位記号

バールの単位記号は、barである[4]

ミリバールの単位記号は mb とすることもあったが、バール単独、あるいは他の派生単位中のバールを b とすることはあまりなかった。なお b は本来、CGS単位系の圧力の単位であるバリ (barye) の記号である。

歴史

1911年、気象学者ヴィルヘルム・ビヤークネスが提唱し、1914年から気象通報に使われ始めた[5]

バールの名は、重さを意味する ギリシア語: βάροςbáros)に由来する。同じ語源の単位にバリがあり、かつてはそれをバールと呼ぶこともあった[5]

日本の気象分野では、古くは水銀柱ミリメートル(記号:mmHg)が使われていたが、1945年からミリバールに切替えられ、さらに1992年12月にヘクトパスカルに切替えられた。

国際単位系の公式の国際文書では、1970年から1991年までは暫定的に使用できる単位、1998年には現今では使用できる単位、2006年にはその他の非SI単位と位置づけられていたが、2019年の第9版においては全く認められなくなった。

アメリカでは現在もミリバールが使われている[6]

ヘクトパスカルの採用理由

ミリバールからの変更に際し、本来ならば他の単位と同じように、103 ごとのSI接頭語を用いて、キロパスカル (kPa) に移行し、たとえば 1000 ミリバール → 100 キロパスカルとすべきところである。しかし、通常はほとんど使われないSI接頭語であるヘクトを用いて、ヘクトパスカルが採用された。

1 bar = 105 Pa なので、1 mbar = 10−3 bar = 10−3 × 105 Pa = 102 Pa = 1 hPa となり、ヘクトパスカルはミリバールに等しい。したがってミリバールからヘクトパスカルへの移行の場合、数値がそのまま使える。一方でキロパスカルにすると従来と数値が変わってしまい、さらにこれまでの膨大な量のデータをすべて変換しなければならなくなる。当時は高性能なコンピュータがなく変換は手作業で行う必要があり、キロパスカルへの変換は現実的に困難であったため、やむを得ずヘクトパスカルを採用し従来のミリバールと数値を合わせた。これがキロパスカルが採用されず、ヘクトパスカルが採用された理由である。

派生単位

かつては倍量単位としてはメガバール (Mbar) およびキロバール (kbar) が、分量単位としてはミリバールがよく使われた。絶対圧であることを明示した bara、ゲージ圧であることを明示した barg も使われた。

符号位置

記号 Unicode JIS X 0213 文字参照 名称
U+3374 - ㍴
㍴
SQUARE BAR

脚注

  1. ^ a b 独立行政法人産業技術総合研究所 計量標準総合センター『国際文書 国際単位系 (SI)』(第 8 版日本語版)、2006年、40頁http://www.nmij.jp/library/units/si/R8/SI8J.pdf 
  2. ^ a b 計量単位令 別表第一(第二条関係)”. e-Gov法令検索. 2025年8月30日閲覧。
  3. ^ 計量法 別表第一(第三条関係)”. e-Gov法令検索. 2025年8月30日閲覧。
  4. ^ 計量単位規則 別表第2(第2条関係)”. e-Gov法令検索. 2025年8月30日閲覧。
  5. ^ a b 『丸善単位の辞典』二村隆夫監修、丸善、2002年。ISBN 4-621-04989-5 
  6. ^ なぜ「ミリバール」が「ヘクトパスカル」に変わったのか?”. ウェザーニュース. 2024年10月10日閲覧。

関連項目

外部リンク

圧力の単位
パスカルSI単位) バール 工学気圧 気圧 トル psi
1 Pa N/m2 = 10−5 bar 10.2×10−6 at 9.87×10−6 atm 7.5×10−3 Torr 145×10−6 psi
1 bar = 100000 Pa ≡ 106 dyn/cm2 ≈ 1.02 at ≈ 0.987 atm ≈ 750 Torr ≈ 14.504 psi
1 at = 98066.5 Pa = 0.980665 bar kgf/cm2 ≈ 0.968 atm ≈ 736 Torr ≈ 14.223 psi
1 atm = 101325 Pa = 1.01325 bar ≈ 1.033 at p0 = 760 Torr ≈ 14.696 psi
1 Torr ≈ 133.322 Pa ≈ 1.333×10−3 bar ≈ 1.360×10−3 at ≈ 1.316×10−3 atm ≡ 1 mmHg ≈ 19.337×10−3 psi
1 psi 6894.757 Pa 68.948×10−3 bar ≈ 70.307×10−3 at ≈ 68.046×10−3 atm 51.7149 Torr ≡ 1 lbf/in2

ウィキペディアウィキペディア

Bar(一般名詞)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 09:03 UTC 版)

バー」の記事における「Bar(一般名詞)」の解説

下記の他に、日本では対象によって、英語の bar を「バール」と読むことが一般的となっているものがある。 飲食の場の形態バー (酒場) - 酒の味を楽しむことを目的とした、最低限接客をしているだけの酒場ホステスなどが接客するものはクラブ (接待飲食店)参照セルフサービス形式食事提供方法。「ドリンクバー」「サラダバー」「デザートバー」やホテルの「ミニバー」など。 棒、棒状のもの、特に横木走高跳棒高跳で、飛び越す高さの目標となる横木。 サッカー・ラグビーで、ゴール横木サッカーでは「クロスバー」という。 GUI横木状の領域。「メニューバー」「タスクバー」「ツールバー」など。 棒状菓子。「スナックバー」「キャンディバー」「チョコバー」「アイスバー」「シリアルバー」など。 建物入り口などで侵入を防ぐための横木転じて侵入参入阻む障害のことをさすこともある。工事現場などの保安器具としてロードコーンとともにコーンバーが設置されることがある英語では法廷設けられ横木バーという。 活字で、横線約物ハイフン「‐」、エンダッシュ「–」、エムダッシュ「—」、ホリゾンタルバー「―」など。 縦線約物バーティカルバー「|」など。 数学ではオーバーラインのこと。 楽譜において小節区切りを示す縦線縞模様分野によっては特定の縞模様を指す。 (比喩的に法廷法曹界米国司法試験 (Bar exam) 。passed the Bar で「司法試験通った」意。 スロットマシンまたはパチスロ絵柄。たいていは黒色長方形にBARという文字描かれ絵柄である。レギュラーボーナス (REG) の絵柄として使われることが多いため、REGのことをBARという人や地方もある。転じて黒色長方形絵柄(「北斗の拳」や「将軍」「STREET FIGHTER IV」 など)をすべてBARということもある。

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Barと同じ種類の言葉

単位に関連する言葉単位量  API度  BAR  LU  SI単位
工具に関連する言葉車載工具  鉄床作業用工具(かなとこさぎょうようこうぐ)  BAR  のみ  スパナ
横棒に関連する言葉BAR  バー  舵柄

固有名詞の分類

イギリスのレーシングチーム マーチ・エンジニアリング  スチュワート・グランプリ  B・A・R  ヴァンウォール  プロドライブ



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