出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/04 08:32 UTC 版)
| atagi | |
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| 別名 |
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| 生誕 | 1986年5月2日(39歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | |
| 職業 | 音楽家 |
| 担当楽器 | |
| 活動期間 | 2013年 - |
| レーベル | cutting edge |
| 共同作業者 | Awesome City Club |
| 公式サイト | Awesome City Club OFFICIAL SITE |
atagi(アタギ、1986年[1]5月2日[2] - )は、日本の音楽家である。Awesome City Clubのボーカル・ギター担当。
父親と母親の趣味が毎週ごとに自分たちの好きな音楽を入れたカセットテープを作ることだったため、幼少期はそのカセットテープから流れる音楽を親が運転する車の中でよく聴いていた[4]。
小学5年生の時に父のアコースティックギターをこっそり触ったことがきっかけでギターに興味を持つようになり、その頃からギターを練習したり自発的に音楽を聴くようになった。中学、高校と軽音部がなかったため、中学時代からは家の近くの湖の横にあった倉庫を借りて楽器の練習をしたり、知り合いの家の離れにドラムセットを持ち込み友達と好きな楽曲のコピーをしていた。自分のバンドを結成し、高校に入ってからも音楽漬けの日々を送る中で自然と「これからもずっと音楽をやっていくんだな」と思うようになっていた[5][6][7][8][7]。
和歌山県立田辺商業高校(現・和歌山県立神島高等学校)卒業後[7]、ミューズ音楽院ギター専攻科へ進学[9][10]。
2006年、THE FiTSを結成[11]。当時はアタギヒロシや安宅広志の名前でギター、ボーカルを担当。2009年5月4日にはバンド名をキングヌラリヒョンに改名[12]。2011年11月末に活動停止[13]。
2013年、同じ音楽スタジオで働いていた友人のマツザカタクミから誘われ、Awesome City Clubを結成[14][15][16]。結成当初は事務所やレーベルには所属せずに活動しており、2015年にはビクターエンタテインメント内のレーベルCONNECTONEの第一弾アーティストとしてメジャーデビュー[17]。
2018年、ビクターエンタテインメントの社内レーベルCONNECTONEとAwesome City Clubの契約期間が終了したため、CONNECTONEを退所。退所後もバンド活動を継続[18]。
2020年、Awesome City Clubがavex entertainment内のcutting edgeに所属[19]。
2024年2月21日、ゆゆうたと共にMCを担当する『atagi×ゆゆうたのおとなりラジオ』が放送開始。毎月、番組の後半ではatagi、ゆゆうた、伊藤千明、MIZUKIによって結成されたおとラジBandが色々なミュージシャンの名曲(カバー楽曲は放送リスト参照)をカバーしており、演奏をしている様子は「生放送の1発撮り」という形式で放送されている[20]。
2026年1月5日、同年4月1日をもってAwesome City Clubの音楽活動を休止することが発表された。2025年から行われていたデビュー10周年記念企画「10作連続リリース」をメンバー間で立案した際に1年後の活動休止を決めた。活動休止の理由について、atagiは「メンバーそれぞれに活動休止を選択した理由はあるんですが、(atagi個人としては)音楽について学びたいことや深めたいことが日に日に増えていき、『今は個人として音楽と向き合うまとまった時間を確保したい』と考えるようになったことが活動休止の理由として大きいです」「メンバーそれぞれの表現や活動は変わらず続いていくので、今は私たちのこれからを見守ってくださるとありがたいです」とコメントしており、バンドやバンドメンバーにとって前向きな理由から活動休止という選択をしたため、ゆくゆくはバンドの活動を再開すると明言している[21][22]。
ファンク、パワー・ポップ、ソウル、R&B、ポップス、インディー・ロック、ミクスチャー、ファンクコアといったジャンルの音楽が好き。また、Awesome City Clubのバンドメンバーからおすすめしてもらう音楽やミュージシャン、音楽ジャンルから強い刺激や影響を受けることも多いと話している[23][24][25][26]。
昔から好きなミュージシャンとして平沢進や小学生の頃にデビューを目の当たりにして衝撃を受けた宇多田ヒカル、中高生の頃にコピーバンドを組んでいたレッド・ホット・チリ・ペッパーズを挙げている[6][27][28][25]。
サザンオールスターズ、桑田佳祐が好き[29][30][31]。
レキシの楽曲「たぶんMaybe明治」にゲストボーカルとして参加したことがある。レキシネームは「あ、たぎれんたろう」。また、尊敬しているミュージシャンとして池田貴史(レキシ)の名前を挙げている[32][33]。
大石昌良を好きなミュージシャンとして挙げており、高校時代のバイト先に置かれていたラジオの有線放送から流れていた大石の所属バンドSound Scheduleの楽曲を聴いたことが大石を知るきっかけとなった[34]。また、大石がMCを務めていた番組『オーイシ×加藤のニコ生☆音楽王』にゲスト出演した縁から大石と交友が生まれている[35]。
姉が1人いる。姉から受けた影響は大きく、日本のロックバンドやインディー・ロックの魅力は学生時代に姉から教えてもらうことが多かった[6]。
初めて買ったCDはポケットビスケッツが1997年にリリースした「GREEN MAN」の短冊CD[6]。
SNSを使用することがあまり得意ではなく、2022年にやっと各SNSのアカウントを作成した[6]。
Awesome City Clubの音楽活動が本格化するまでは音楽スタジオやライブハウスで働いていた。また、学生時代には飲食店で働いていた[6]。
学生時代に飲食店で働いていた影響から料理をすることが好きになった[6]。
音楽活動やバンドを始めて曲を作るようになってからどの時間が休日やプライベートなのかわからなくなった[36]。音楽制作の合間の息抜きとして、ニコニコ動画時代から観ている『釣りよかでしょう。』の釣りに関する動画や動画配信者(加藤純一など)のゲーム実況を観たり、本屋に足を運ぶことが多い[6][37]。
Awesome City Clubは活動初期から「バンドのアイコンはPORIN」という前提をバンド内で共有しながら音楽活動をしているとatagiは話しており、ライブをはじめとした音楽活動においてフロントマンとしてのPORINを信頼していると話している[38][39][40]。
Awesome City Clubのモリシーは音楽活動を通して感じたatagiの印象について「曲作りはもちろん、atagiって料理も上手くて、何事においても構築する力がすごいんです。例えば、デモ、音源を制作してきたとき、楽曲全体の音選びやメロディーで、混じり合わなそうな音楽的要素を絶妙にマッチさせてくることがよくあります。(atagiは)バンドの心臓ですよね」と話している[41][38]。
海が身近にある環境で生まれ育ち、昔から釣りが好きだった。上京してからもたまに海や川に釣りへ出かけ、釣った魚を調理したりもするが、魚という生き物自体が好きなため時々魚を眺めるために1人で水族館へ行くことがある。さらに、幼少期に憧れていた職業が漁師だったため、「ミュージシャンや音楽関係以外の仕事で興味のある仕事はありますか?」という質問には漁師と答えている[42]。
「ずっと音楽でやっていくと決めてから、音楽を辞めたくなったことはなかったんですか?」と質問された際には「これは不思議なものでまるで一度もないんですよね。でも言い換えたら、他にできることが特になかったのかなとも思いますね。だから、本当に音楽をやめようと思ったことは今まで一度もないです。やれることがそれしかなかったから。でも、続いてる人ってそういう人が多いと思いますよ」と答えている[5]。
Awesome City Clubの楽曲「勿忘」のデモや音源を制作していた時期は事務所の人が帰ってから夜な夜な事務所に出入りして作業するほど追い詰められている状態だったため、「勿忘」が色々な人に聴いてもらえていると知った際には、達成感以上に「この曲に救われた」という気持ちが大きく、「これで音楽、楽器をいつでも演奏できる家に引っ越せるのかもしれない」という現実的な問題が解決する安心感もあったと振り返っている[43][18]。