出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/10 14:55 UTC 版)
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| 種類 | 株式会社 |
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| 市場情報 | |
| 本社所在地 | 〒116-8554 東京都荒川区東尾久七丁目2番35号 北緯35度45分8.3秒 東経139度46分16.9秒 / 北緯35.752306度 東経139.771361度座標: 北緯35度45分8.3秒 東経139度46分16.9秒 / 北緯35.752306度 東経139.771361度 |
| 設立 | 1917年(大正6年)1月27日 (旭電化工業株式会社) |
| 業種 | 化学 |
| 法人番号 | 1011501009437 |
| 事業内容 | 化学品(70.0%)、食品(26.9%)、その他 |
| 代表者 | |
| 資本金 | 230億4,814万円 |
| 売上高 |
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| 営業利益 |
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| 経常利益 |
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| 純利益 |
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| 純資産 |
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| 総資産 |
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| 従業員数 |
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| 決算期 | 3月31日 |
| 主要株主 |
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| 外部リンク | www |
| 特記事項: | |
株式会社ADEKA(アデカ)は、東京都荒川区に本社を置く日本の化学素材メーカー。半導体材料や樹脂添加剤などの中間素材で世界トップシェアを誇る。世界21の国や地域に58のグループ会社を有する。古河三水会に所属している。2006年5月1日に現社名に変更するまでの社名は旭電化工業株式会社(あさひでんかこうぎょう)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:44 UTC 版)
1915年、古河合名鉱業部(現・古河機械金属)副部長の山口喜三郎が桂川電力(現・東京電力)の役員と電力を利用した新事業としてのソーダ工業の創業について協議し、これが端緒となり同年に古河合名会社(現・古河機械金属)・桂川電力・東京電気(現・東芝)の3社出資の匿名組合「東京電化工業所」(現・ADEKA)が設立され、電解ソーダの工業化試験が開始された。そこでの晒粉生産に成功し、1917年に東京電化工業所を発展的に解消し、新会社「旭電化工業」(現・ADEKA)が設立された。この新会社設立の陰の功労者は山口喜三郎で、それは山口が電気分銅の技術者でありながら食塩分解の必要性を古河グループ内で力説し、幹部を説得したことによるものである。 旭電化工業の設立の背景は、1914年の第一次世界大戦の勃発により、それまで需要の大部分を輸入に依存していたソーダ灰・苛性ソーダの海外からの調達が難しくなり、ソーダ工業製品の国内需要が急増したため、当時の最新技術である電解ソーダ法により、ソーダ製品を製造すること目的とするものであった。古河合名会社は鉱業から工業への展開を模索しており、桂川電力は電力の新規需要先の開拓のため、東京電気は電気製品事業の新しい展開を図ることを目途とし、3社それぞれの企図が合致して合弁事業が発足した。発起人は古河合名会社理事長・近藤陸三郎、古河合名鉱業部副部長・山口喜三郎、桂川電力社長・雨宮亘ほか2名、東京電気監査役・長富直三(東京電気元社長、山口喜三郎の岳父)であった。 旭電化工業は、日本の電解ソーダメーカーとして先駆者的地位にあったが、そのため技術・販売・労務管理上、多くの困難に遭遇し、創業開始後2年にして第一次世界大戦後の恐慌(1920年)とアメリカ・イギリス両国からの苛性ソーダの輸入の増大という試練を受け赤字計上が続き、また古河商事の大連事件の発生(1920年)の影響もあり会社の閉鎖の議論まで行なわれたが、経営者と従業員が一丸となって会社存続を訴え、設備の合理化と硬化油・石鹸・合成塩酸製造への多角化などにより、創業後10年を経て経営の発展基盤が確立された。
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固有名詞の分類
| 日本の化学工業メーカー |
熊本酸素 マックスファクター ADEKA 石原薬品 田岡化学工業 |
| 日本の食品メーカー |
川勝總本家 ビーンスターク・スノー ADEKA プライムデリカ ミホウジャパン |
| 古河グループ |
古河電子 フォーム化成 ADEKA ニフティ 富士電機アセッツマネジメント |
| 荒川区の企業 |
井関農機 クリナップ ADEKA NRE大増 光製作所 |
| 日本の食用油メーカー |
ボーソー油脂 かどや製油 ADEKA 福岡製油 日清オイリオグループ |