出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/10 23:29 UTC 版)
| 2599 ← 2600 → 2601 | |
|---|---|
| 素因数分解 | 23×52×13 |
| 二進法 | 101000101000 |
| 三進法 | 10120022 |
| 四進法 | 220220 |
| 五進法 | 40400 |
| 六進法 | 20012 |
| 七進法 | 10403 |
| 八進法 | 5050 |
| 十二進法 | 1608 |
| 十六進法 | A28 |
| 二十進法 | 6A0 |
| 二十四進法 | 4C8 |
| 三十六進法 | 208 |
| ローマ数字 | MMDC |
| 漢数字 | 二千六百 |
| 大字 | 弐千六百 |
| 算木 | ![]() ![]() ![]() ![]() |
2600(二千六百、二六〇〇、にせんろっぴゃく)は自然数、また整数において、2599の次で2601の前の数である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/20 07:20 UTC 版)
「アルファロメオ・2000/2600」の記事における「2600(1962年-1968年)」の解説
ミラノの名門メーカーの威信にかけて、トリノのランチアに対する劣勢を挽回すべく、アルファロメオは2000の直列4気筒エンジンを直列6気筒の2,600 ccに変更し、「2600」として再デビューさせた。デビューは1962年のジュネーブ自動車ショーで、当初のボディバリエーションは2000同様にベルリーナ、スパイダー(2+2化された)、スプリントの3種であった。1965年のフランクフルト自動車ショーでは、ザガートのデザイン・製作による2座席スポーツクーペ、「2600SZ」(Sprint Zagato)が追加された。 1900の時代までは、自動車メーカーが供給するシャーシに様々なカロッツェリア が一品製作(フォリ・セリエ)または少数生産のスペシャルボディを架装して市販される例が多く見られたが、2000/2600ではこの伝統はほとんど絶たれ、僅かに2600スプリントをベースとした2+2カブリオレが試作され、カロッツェリア・OSIによる6ライトの4ドア・ベルリーナが少数生産されたに過ぎない。 2000と基本的に同じシャシー・ボディを持っていたが、2600では(6気筒エンジンを搭載するためにベルリーナとスパイダーのボンネット高が上げられ、スパイダーとスプリントにはパワーバルジが追加となり、2000の軽快さは損なわれた。そのエンジンは新設計の軽合金シリンダーヘッドを持つDOHC 2,584 ccで、ベルリーナはツインキャブレター130馬力、他は3キャブレターで、スパイダーとスプリントは145馬力、SZは更にチューンされて165馬力であった。 1968年に消滅するまでに、2600ベルリーナが2092台、スパイダーは2255台、スプリントは6999台、SZが105台生産された。この生産台数は商業的に成功とは言い難かった。新しい6気筒エンジンは優れた設計であったが、1900と基本的に同一設計のままであったシャシーの前輪荷重を増す結果になり、もともと時代遅れになりかけていた操縦性を悪化させ、ノンパワーのステアリングの操舵力も重くなった。それは特に小型車クラスのアルファロメオ自身の傑作・ジュリア系がアルファロメオの名に恥じない仕上がりであった分、一層顕著であった。スタイリングの面でも、特に魅力に欠けていたベルリーナの販売台数が相変わらず少なかった上、ジュリエッタ・スパイダーを引き伸ばして魅力を希釈化したようなスパイダーも余り好評とは言えなかった。辛うじて2600スプリントのみが、そのスタイリングと4シーターのグラントゥーリスモとしての実用性から、シリーズ中のトップセラーとなった。 2600系は1968年・前年にデビューしたジュリアの拡大版である1750系(4気筒1750cc)に交代する形で消滅した。その後アルファロメオの6気筒モデルは長らく作られなかったが、1970年代前半に後継車種の開発がスタート、石油危機などでプロジェクトの進行は難航したものの、1979年になってようやく、V6 ・2500 ccのアルファ6としてこのクラスに再登場した。
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