出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/15 14:17 UTC 版)
P115はオランダグランプリで初登場したが(ブラバム・BT24、ロータス・49も初登場した。)、実走したのはドイツグランプリであった。スチュワートはニュルブルクリンクを得意にしており、予選で8:15.2というタイムをたたき出し、3番手に付けた。スタート直後に7位に後退したスチュワートは、5周目までに3位に浮上したが、チームメイトのスペンスがドライブしたP83同様ディファレンシャルにトラブルが生じリタイアとなった。 続くカナダグランプリでスチュワートは予選9位となった。ウェットコンディションの決勝ではうまくスタートし、直前にいたブルース・マクラーレンとジャック・ブラバムを追い越した。スチュワートは2位争いを繰り広げたがスリップしてコースアウト、車はダメージが無かったものの、泥がスロットルに詰まって固着し、65周目にリタイアとなった。 イタリアグランプリでスチュワートは7番手、サードローとなり、ポールシッターのジム・クラークから一台挟んで後に付けた。決勝では7周目で5位に付けていたがガードレールに接触、ピットストップ後にダメージを確認してコースに復帰したが、45周目にエンジントラブルでリタイアした。 アメリカグランプリでスチュワートは予選10位となり、マクラーレンのM5Aと並んだが、これはBRM製V12エンジンを搭載していた。スチュワートはレースの大半でブレーキの不調に苦しめられ、72周目に燃料噴射システムのトラブルでリタイアした。 メキシコグランプリはスチュワートにとってBRMでの最後のレースであった。2年にわたって多くの問題を抱えたH16エンジンで戦ったスチュワートは、1968年シーズンをケン・ティレルの新チームで戦うことに決めていた。予選で12位となったスチュワートは、決勝は24周目にエンジントラブルでリタイアした。
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