出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/28 10:06 UTC 版)
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|---|---|
| 素因数分解 | 29×67 |
| 二進法 | 11110010111 |
| 六進法 | 12555 |
| 八進法 | 3627 |
| 十二進法 | 115B |
| 十六進法 | 797 |
| 二十進法 | 4H3 |
| ローマ数字 | MCMXLIII |
| 漢数字 | 千九百四十三 |
| 大字 | 千九百四拾参 |
| 算木 | ![]() ![]() ![]() ![]() |
1943(千九百四十三、一九四三、せんきゅうひゃくよんじゅうさん)は、自然数または整数において、1942の次で1944の前の数である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 18:08 UTC 版)
「タスカルーサ (重巡洋艦)」の記事における「1943」の解説
修理の後、タスカルーサは1943年3月から5月の間は北アフリカ戦線に対する、米英軍のほか自由フランス軍を乗せた輸送船団の護衛でチュニジアに向かった。その一方で、スピードを生かして大西洋を突破するドイツの封鎖破り船に対する警戒を行った。5月下旬には、チャーチル首相を乗せニューヨークに向かう輸送船クイーン・メリー (RMS Queen Mary) を護衛した。その後、タスカルーサはオーガスタと合流し、ボストン海軍工廠で10日間の整備を行った。整備後、タスカルーサはレンジャーとともに輸送船クイーン・エリザベス (Queen Elizabeth) をハリファックスからスカパ・フローまで護衛。スカパ・フローに到着後は、北海での行動を経てイギリス本国艦隊の下で再び行動することとなった。10月2日、タスカルーサとレンジャーは、ノルウェーのボードーにあるドイツ軍施設や港湾を攻撃するリーダー作戦に参加。これは、ヨーロッパ方面におけるアメリカの空母艦載機による初めての空襲作戦だった。ドイツ空軍機が反撃してきたが、上空警戒の戦闘機により撃墜された。間もなくティルピッツが出撃し、スピッツベルゲン島に対して艦砲射撃を行った後、すぐに姿をくらました。 タスカルーサは、冬が来る前にスピッツベルゲン島に対する輸送作戦に参加した。10月17日、物資を積んだ2隻のLCVPをタスカルーサと英米の4隻の駆逐艦が護衛しセイディスフィヨルドを出撃。イギリス戦艦アンソン (HMS Anson, 79)、イギリス重巡洋艦ノーフォーク (HMS Norfolk, 78)、レンジャーおよび6隻の駆逐艦が間接護衛についた。19日朝、タスカルーサとLCVPはスピッツベルゲン島に到着。外洋で駆逐艦が対潜警戒を行う中、タスカルーサは測候所を復旧する160人の工員を上陸させ、物資を下ろした。夕方までには一切の作業は終わり、タスカルーサはセイディスフィヨルドに帰投し、元来のスピッツベルゲン島守備隊員をクライドに乗せていった。タスカルーサはアイスランドに向かった際、ドイツ艦隊を誘い出すべくノルウェー沿岸部で行動したが、ドイツ艦隊は出てこなかった。タスカルーサは本国艦隊を外れ、12月3日にニューヨークに到着してオーバーホールに入った。
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