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コスプレ用の棍棒を肩にかつぐ人(Dragon Con 2009にて)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:14 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| .club | |
|---|---|
| 施行 | 2014年5月7日 (一般向け) |
| TLDの種類 | ジェネリックトップレベルドメイン (gTLD) |
| 現在の状態 | 使用中 |
| 管理団体 | .Club Domains, LLC |
| ウェブサイト | get |
.club (.CLUB) [1]は、トップレベルドメイン(TLD)の一つである。ICANNのジェネリックトップレベルドメインとして提案され、2014年5月7日に一般向けに利用可能になった。このドメイン名に対するドメイン名レジストリは.Club Domains, LLCである。
2013年6月、.Club Domains, LLCは.clubのgTLDを、27人の開発者から700万ドルの寄付を受けた後に、私的な競売に勝った。同社の最高経営責任者であるコリン・キャンベルは、守秘義務協定に基づき、最終競売の価額を明らかにすることを拒否した[2]。.clubは私的競売により認められた初のgTLDとなった。gTLDの競売に負けた企業は、ドーナツとマーチャント・ロー・グループである[3] 。
.Club Domains, LLCによれば、世界中のブランド、組織、起業家、スポーツ選手、そのほかの有名人など、ロータリークラブから学校のクラブ、さらには情熱的なブロガーまで、何万ものクラブ、企業、個人がウェブでの宣伝に、.clubで終わるウェブアドレスを積極的に使用している[4]。.clubを使用している有名人には、ラッパーの50セント[5]、プロバスケットボール選手のタイラー・ジョンソン[6]、インド人のクリケット選手ヴィラット・コーリらがいる[4]。
(.club から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/05 04:53 UTC 版)
クラブ(英: Club、当て字:倶楽部)とは、会員制の集まり、社交・親睦団体などを指す。共通の趣味・興味を持つ仲間が定期的に集まって形成する団体をいう。18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパで成立した。その歴史的過程の中で、社交クラブ、政治クラブ、文芸クラブ、歴史クラブ、スポーツクラブ、カントリークラブなど様々な類型のクラブが生まれ、21世紀においても世界各地で多数のクラブが人々の生活の中に根付いている。
クラブの成立は、近代ヨーロッパの成立と軌を一にしている。
中世ヨーロッパにおいても、クラブに類似した人的結合は存在しており、ドイツやフランスでは兄弟団や信心会などの団体が見られ、イングランドでもフラタニティと呼ばれる集団が活動していた。
イギリスでは16世紀の「フライデー通り」が最初の近代的クラブとされているが、クラブという組織形態が普及したのは17世紀後半になってからである。当時、喫茶店と社交場の機能を兼ね持つコーヒーハウスがロンドンを中心に増加していたが、コーヒーハウスで交流していた客のうち、共通の趣味・話題を持つ者同士でコーヒーハウスの一室を借りて定期的に集会を開く人々が現れた。これがクラブの起こりである。コーヒーハウスがそうであったように、クラブもまた、上流・中産階級の男性を会員とし、女性会員は認めていなかった。コーヒーハウスでの盛んな政治談議は、当然ながら多数の政治クラブの結成へと帰結した。また平行して、文学、芸術、クリケット、ボートなど様々な趣味・嗜好に対応したクラブもこの時期に見られ始めている。
18世紀に入ると産業革命の進展が中産市民階級の台頭をもたらし、中産市民階級によるクラブ参加が一層盛んになった。18世紀なかばから19世紀にかけては、ギャンブルや馬鹿騒ぎに没頭するクラブも姿を見せる一方で、著名な社交クラブ、文学クラブ、料理クラブが登場するなど、クラブの多様化が顕著となった時期でもあった。18世紀末には女性による女性クラブ(婦人クラブ)が登場し始めている。
一方、ドイツの状況について見ると、兄弟団を成立させていたのは、宗教・家・身分のという3つの中世的要素だった。しかし、宗教改革が宗教的結合を、フランス革命が身分的秩序を、産業革命が家構造をそれぞれ弱体化ないし崩壊させると、宗教・家・身分に基づく保護を失い、自立を余儀なくされた個人による互助・交流の場として、18世紀末から19世紀にかけて「協会」(Verein) と呼ばれる団体が都市部を中心に結成されるようになった。協会は、同好の人々が身分を問わず自由に入退会できる組織であり、同時期のイングランドで成立したクラブと性格をほぼ同じくするものであった。当時のドイツは分裂状態にあったため、愛国心と共同の利益を重視する協会が多かった。こうした中で、啓蒙思想と重農主義がドイツの協会運動に影響を与えた。
19世紀に入ると、ドイツの協会の多様性が一気に開花した。歴史協会、読書協会、博物館協会、農業技術改良協会などが設立されたが、これらの担い手は必ずしも学者でなく素人であり、学問が素人に支えられる文化的な素地はこの時期に形成されたものである。
19世紀のイギリスでは、労働時間の短縮に伴って労働者の余暇が生まれ、彼らによるクラブ組織が増加した。労働者と中産市民によってスポーツクラブが多数結成されるとともに、各競技の組織化も進み、19世紀後半には各スポーツ種目の競技団体(協会 association)が生まれた。アメリカ合衆国でも同様の状況にあり、この時期のイングランドとアメリカにおいて、プロスポーツクラブが登場するに至った。
ヨーロッパに発祥した近代的クラブは、ヨーロッパによる進出に伴って他地域にも紹介された。特に在外イギリス人は居留する先々でクラブを結成し、当地におけるクラブの最初例を多数残している。こうしてクラブは、英語圏を中心とする世界へ普及し、人的交流の一翼を担っている。
クラブはその性格に応じていくつかに分類される。もっとも、複数の性格を併せ持つクラブも存在する。
日本における最初のクラブは、外国人居留地に作られた「外国人クラブ」であり、その後の日本のクラブのモデルとなった[1]。最も古いものはイギリス人W.H.スミスが1863年(文久3年)に横浜に設立したヨコハマ・ユナイテッド・クラブである。その後も横浜クラブ、ジャーマン・クラブが相次いで設立された。1868年(明治元年)には神戸にクラブ・コンコルディア、翌年にはユニオンクラブ(のちの神戸クラブ)が作られている。これらのクラブは居留地での社交や娯楽を目的としたクラブだったが、根岸競馬場を拠点とした乗馬クラブである横浜レース・クラブなど各種のスポーツクラブも設立されている。
日本人により初めて結成されたクラブは、1872年(明治5年)に東京築地に建設されたナショナルクラブであろうと見られている。1877年(明治10年)前後には多くのクラブが結成され、明治10年代後半には本格的な社交クラブが作られるようになった。中でも広く知られているのは井上馨が発起人となり、鹿鳴館を拠点とした東京倶楽部である[1]。その後、上流階級のクラブを模倣した親睦と娯楽享受を目的としたクラブが多数作られた。また、自由民権運動の高まりとともに、政治結社に近い政談のためのクラブや、有力者同士による選挙候補者の予選のためのクラブが多く作られた。
1901年(明治34年)の『日本社会大事彙』によれば、明治初期には苦楽を共にするという意味から「苦楽部」の字を当てたクラブも多かった。クラブの存在が認知されるにつれ、世間では「楽」の文字から、クラブとは遊嬉場に集まって遊戯と酒食で快楽を貪る所である、という誤った概念が生じ[1]、倶(とも)に楽(たの)しむ部の意で倶楽部と表記されるクラブが多数を占めるようになった。
明治・大正期に結成された主なクラブには東京倶楽部、学士会、交詢社、日本工業倶楽部などがあるが、ヨーロッパに見られるような個人の自主的な意思に基づくクラブ文化が日本に根付いたとは言いがたい。
第二次世界大戦前には、各地の比較的規模の大きい鉱山や炭鉱においては「倶楽部」と呼ばれる保養施設が作られていた。多くが宿泊施設を備え、鉱山を訪れた賓客や重役等を接待するために用いられていた。また、一般従業員や鉱山労働者の保養所を兼ねている場合もあった。戦後、各地の鉱山が閉山となり、ほとんどが解体されるか放置されて廃墟化していったが、一部の施設は保存措置が取られている(秋田県の小坂鉱山、宮崎県の見立鉱山など)。
現在の日本では、初等教育・中等教育・高等教育等におけるクラブ活動や、地域スポーツクラブなどが人々にとって最も身近なクラブとなっている。しかし、ヨーロッパのクラブが趣味やスポーツを通じた交流をその本質的な目的としているのに対し、日本のクラブは趣味やスポーツそのものが目的となってしまい、交流が必ずしも目的として意識されないことも多いように、両者の間には小さくない差異が横たわっている。
日本では、風俗業や風俗業に近い飲食業において「クラブ」の語を入れ込む傾向が強い。例えばホストクラブ、テレフォンクラブ、ナイトクラブ、キャバクラ(「キャンパス・クラブ」から派生)など。
日本では、社交クラブから女性による男性会員への接待機能を強めた社交喫茶という営業形態が派生し、ここから男性客がホステスから飲食などの接待を受ける飲食店をクラブと呼ぶようになった(参考→クラブ (接待飲食店))。
(.club から転送)
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棍棒(こんぼう、英: club)とは、人が握り振り動かすのに適度な太さと長さを備えた丸い棒のこと。殴打用の武器として扱われることが多く、武器としては最も基本的なもののひとつである。原始時代から現代に至るまで使用されている。スポーツでは、新体操・男子新体操・こん棒投で使われる手具。
武器としては特に単純なつくりで、適当な長さの棒である。使い方も単純で、一端をしっかり握り、攻撃したい相手に向かって振り、反対の端を敵に当てる、といった程度のことである。扱いが容易であるため、現代でも広く使用されている。
非常に歴史の長い武器であり、猿人や原人が手にした木ぎれや骨が発祥である。ここから加工や強化が行われて発展し、先端側を打撃部分として太く重く手元側は握りやすい太さになるよう差をつけて加工したり、「柄頭」を別個に取り付け、力を一点に集中させ「めり込む」ような破壊力を持たせたりした。金属加工ができるような時代になってからは先端を金属で補強するということも行われるようになり、金属製柄頭を備えたメイスも生まれた。その後、先端部分に刃やスパイクを取り付け殺傷力を強化した棍棒も作られるようになった。
銃器が普及してからも、警察が短い棍棒(警棒)を制圧用に利用している。第一次世界大戦の塹壕戦では、敵の塹壕を襲撃するために棍棒が使われることがあった。
非金属の同一材質で作られた棍棒を単体棍棒、複数の材料を組み合わせた物を合成棍棒と呼ぶ。材質は主に木や骨だが、現代では炭素繊維強化プラスチックや硬質のゴムで作られた棍棒もある。片方の端に打撃部をもつ場合が多いが、取り回しを重視した細い直線棒状をした棍棒があり、こちらは主に武術で用いられる。投擲して使用する投げ棍棒、投棒は主に狩猟用として用いられた。
猿人や原人の時代から棍棒は使われていたと考えられている[誰によって?]。 猿人や原人が、自然界のあちこちにころがっている木ぎれや骨を手にし、振り回して身を守るために使ったり攻撃したり素朴な狩りをおこなうために使っただろうと考えられている[誰によって?]。
古代ギリシアでも、武器として使われ、また王の権力の象徴ともなっており王杖(王の杖。王の棍棒)をふりかざす王の姿の壁画が残されている。
ギリシア神話では、ヘラクレスやケンタウロスが使用する武器として著名である。
戦闘をする時は、有利な武器、より殺傷力が高い武器を選ぶのは当然のことで、棍棒よりも攻撃力の高い武器が一般化すると棍棒の使用は減ってゆくことになった。古代ギリシアではすでに剣や槍の使用が一般化していた。 古代ギリシアのギリシア人にとっては棍棒は、彼らが「バルバロイ」と呼び蔑んでいた「野蛮な他民族」が使用するもの、という位置づけになり、棍棒を「暴力性・野蛮性・獣性の象徴」として捉えていた節がある[独自研究?]。
武器として剣や槍が一般化した中世の西ヨーロッパでも棍棒はあまり使用されなかった。棍棒の発展型のメイスも実際にはあまり使われない武器であった。東ヨーロッパでもあまり使われず、ウクライナ・コサックが通常の棍棒の他、刃を付けた物を利用していた程度である。
古代のアメリカ大陸では黒曜石の刃を付けた木剣マカナが広く用いられていたが、刃が折れた後もそのまま棍棒として使用できた。地域によって星形など様々なバリエーションがあった。
棍棒が特に発達を見せたのはオセアニア地域である。この地域では冶金技術が発達せず、単体棍棒が大きな発達を見せ、細かく美しい彫刻を施した棍棒も盛んに作られた。またタイアハのような骨で作った穂先を有する長柄武器も多く使われた。マオリ族のマタルアなどこれらを扱う武術も発達した。アボリジニが使用するブーメランは投げ棍棒の一種である。ハワイでもカプ・クイアルアなど棍棒や櫂などを使う武術が発達している。
ルワンダでは現在でも釘を打ち込んだ棍棒(釘バット)が使用されており、虐殺事件[何の?]で多くの人間が棍棒によって殺害されている。 アフリカ中央部の貧しい国[どこ?]では、銃火器が十分に支給されていないこともあって、現在でも民兵組織などは釘を打ち込んだ棍棒で武装している。
フィジーでは、キアカボ(Kiakavo)という棍棒が普及していた。この棍棒は、yの字を変形させた形状をしている武器で、相手の武器を受け止めやすい形状をしている。イギリス紳士の杖のように正装としての役割とともに、儀式や舞踏の際に用いられた[1]。
アイヌ社会では制裁棒(ストゥ)が杖刑に使われており、鉄片を取り付けた戦闘用のストゥを扱う棒術もあった。
日本、特に西日本では南北朝時代ころから金砕棒(かなさいぼう)という武器が使われるようになっていった。(これが「金棒(かなぼう)を持った鬼」という物語上のイメージにもつながっていった。)
江戸時代の町奴は煙管を総鉄製とし金砕棒のような突起を付けた喧嘩煙管を携帯していた。
1960年代後半や1970年代前半には日本の学生左翼活動家らが、大学などにバリケードを作り立てこもり、数センチ角程度の角材で武装し、その角材を通称で「ゲバ棒」、正式名称で「ゲバルト棒」と呼んだ。(材木は軟らかく、相手に対するそれなりの配慮がある[要出典])
1970年代や1980年代は 日本の社会は硬直化し問題だらけの日本社会で「生きる意味」を見いだせなくなった高校生などはさかんに非行に走り[独自研究?]、 「教育ママ」「教育パパ」など固定観念に凝り固まり口うるさいだけの親に反抗するために[独自研究?]、学生でも手軽に手に入れられる金属バットを武器に転用し家庭内で武装した。その結果、「家庭で親が子供から金属バットで殴られた」といったニュースが時折流れた。
昭和時代などには不良や暴走族などは喧嘩する時に、安価で殺傷力の高い鉄パイプで武装するということが行われた。
2002年には『モンスターハンター』(略して「モンハン」)というゲームの第一弾が発売になり、やがてシリーズ化し、そのゲームを経験する人口が増え、日本だけでも数百万人以上が遊んだわけだが、このゲームは狩猟生活(石器時代のような生活)をしつつ竜などと戦うというゲームで、これにも初歩的な武器として「金砕棍棒」なる棍棒が登場する。 (「モンハン」のおかげで、家に籠ってゲームばかりしているような、いわゆる「インドア派」の人々も、ゲームの画面の中だけでは「アウトドア派」のような選択をするようになったわけだが)[独自研究?]
2010年代後半には実際にキャンプをすることがじわじわとブームになり、 都会生活から離れて、もともと人類が経験していたはず自然の中の生活に回帰しようという気持ちを持つ人が増えた[独自研究?]。キャンプをすると「バトニング」といって、木の棒を手でつかんでハンマーのようにつかい、自然木をナイフで割って薪にするという作業もある。これなどは自分が手にした「棒」や「薪」を一種の「棍棒」として使っている(人を殴ってはいないが、薪にナイフを食い込ませる打撃を与えるために使っている)。 キャンプブームによって、人類が何百万年も経験していたはずの原始的な生活への興味も高まり、(波及効果でブッシュクラフトの知名度も高まり)実際に人々が手ごろな太い枝に触れることも増えた。[独自研究?]
2022年2月には大阪中央区のギャラリーで「大棍棒展」が開催された。この展覧会は約60種の樹木を材料にした、200本以上の棍棒を展示しており、展示されている棍棒を手に持ったり「試し殴り」が可能で、希望者には販売もおこなった。この展示会は、里山制作団体の「つち式」なる組織から派生した「全日本棍棒協会」が運営をおこなった[2]。
護身用、警備用、捕縛用の棍棒を警棒という。材質は、木、金属、ポリカーボネート、カーボン、硬質ゴムと様々である。先端をやや太くした直線状のものが主流であるが、トンファーのような形状をした警棒や、伸縮式の特殊警棒、またサップのように軟質の物もある。警棒は相手を殺傷する目的のものではないので、刃が無い。日本では警棒は警察庁の規格で決められており、現在では制服警察官が腰につけて携行しているものは「ふりだし式」の金属製で(普段は持ち運びのためにかなり短いが、一回振ると適度な長さになる)、いざという時にはすかさず取り出し、ひと振りし、構える。警察官は警棒を使う訓練も受けている。
通常の棍棒は柄を握り先端で殴打して使用するが、操法を工夫することで棍棒全体を用い、幅のある攻防を行うことを主体とした棍棒がある。これらの棍棒類の主な特徴として、特に打撃部分を設けず、全体を同じ太さで作った直線棒状であることがあげられる。
日本武術では「棒」と呼び、一般的には六尺棒を用いる。それより短いものは「杖」と呼んで区別する。三尺棒を用いる半棒術やより短い棒を使う短棒術もある。
中国では「棍」(コン、またはクンと発音)と呼ばれる。棒や棍は剣術、槍術と共通技法が多く、多くの流派で学ばれている。特に少林寺は棍法で有名であった。
西洋ではイギリスのクォータースタッフが六尺棒に相当する。またステッキや傘を棍棒として用いる術が生み出されている。サバットに含まれる「ラ・カン」もステッキ術である。パウルス・ヘクトル・マイアーの武術書には、全体を同じ太さで作った棒の操法と合わせて、先端がやや太くほとんど加工されていない棍棒の操法も掲載されている。
アメリカ先住民は通常の戦闘ではアトラトル(投槍)や投石のような遠距離武器を主体としていたが、アステカとトラスカラ王国の儀式的な戦争(花戦争)ではマクアウィトルと呼ばれる黒曜石の刃の付いた棍棒を用いていた。これは接近して戦う必要があり取り扱いも難しいため、自己の技量を見せつけるのに適しているからであった。
特殊な操法を前提とした物もあり、両節棍や三節棍などの多節棍、契木やフレイルのような棒の先に鎖などで打撃部を繋いだ棒、トンファーのように防具としての機能を併せ持った棒などがある。
歴史の長い基本的な武器であるため、棍棒が象徴することも時代・文化・国家により多様であり、「暴力性」「野蛮性」といったものから、職杖のように「権力の象徴」となったものなど多様である。
トランプのクラブ(クローバー)は、ギリシャ神話に登場するヘラクレスの持つ棍棒が、先端に三つの突起を持つメイスであったためシャムロック(三つ葉植物)の別名として定着したものである。厳密には棍棒からではなくツメクサの形を模したデザインであり、農民を表す。しかし前述のとおりヘラクレスの棍棒も似た形で描かれているものが存在するため、完全な誤りとも言えない(タロットカードの小アルカナのワンドとの類似性も高い)。
物語、フィクション類の中でも特に太古の世界を舞台とするものではしばしば棍棒が登場する。ゲーム類も同様であり、すでに言及した『モンスターハンター』もその一例である。さかのぼれば『ドラゴンクエスト』にも登場する。フィクション類のコスプレでも扮装アイテムとして棍棒を手にする人がいる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 08:05 UTC 版)
クラブと名称がついているが、現在同社の運営するオンラインショッピングサイト、Ubimall(ウビモール)のショップが表示されている。
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