どんなことでも文章にすると、何がしかの嘘に染まるような気がする。嘘は言い過ぎにしても、どうしても捨象せざるを得ない事象が生じる。完璧な文章というものは存在しないのだから、致し方ないことではあるが。
昨日の拙記事を書いて、どこか嘘を吐いたような気分になった。決して積極的に嘘を吐いたわけではないのだが、肝心なことに触れていないような…
たまたま今日(9/12)、こんなツイートがタイムラインに流れてきた。FF外から引用失礼します。
5年前にワロリンスと雑談してる動画が何故か出てきて、2人とも馬鹿過ぎて笑える。
— ☆←ヒトデ@ブロガー (@hitodeblog) 2023年9月11日
(当時のブログ収益、ワイが200万くらい、ワロリンス400万くらい)
ワロ「SEOって何の略?」
ワイ「俺も知らない。サーチ、エンジン…?」
ワロ「オンライン?」
ワイ「サーチエンジンオンラインです」
動画は上掲ツイートのリプ中にリンクがあります。ヒトデ さんも ワロリンス さんも、かつては「はてなブロガー」であった。ツイート中の数字は月額である。すごいよね。
どの分野でもそうだと思うが、成功する人は一握り中のまた一握りである。私だって自ブログの収益化を夢見なかったわけではないが、現実は「はてなブログpro」の料金をまかなうのが精一杯、それもご多分に漏れずシビア化が進行中で、赤字になったら無料プランに戻すことも検討している。
つか本気で収益化を目指すなら「はてなブログ」から離れるほうがよかろうと思っているが、「はてな」さんには義理があるのでその理由をここに書くのは差し控える。
そもそもネットで稼ぐ夢を見るならYouTubeとかいろいろあるわけで、ブログは今稼いでいる人はともかくオワコンのような気がする。
ご覧の通りアフィリンクをべたべた貼っておいて、どの口がそれを言うかという批判は、甘んじて受けねばなるまい。
なんでこんなことを言い出したかというと、訳あって直近にこんな本をアマポチしてざっと目を通した。
訳というのは、書いちゃうと一ヶ月後くらいに人前でChatGPTについて喋らなきゃならない機会が生じそうだったので、そのにわか勉強のためである。
今さらChatGPTという気もするが、また下手すると聞き手のほうがChatGPTをよく使っている可能性も高いが、これまた致し方ないというやつである。
ネット経由で情報はいくらでも仕入れられるが、古い人間なので活字信仰みたいなものがあるため、どれでもよかったがAmazonベストセラー1位を選んでみた。
書籍の形にまとめている以上「そもそもChatGPTとは何ぞや」というところから記述されていることを期待したのだ。また意地でも読者になじみがないであろう新知識も盛り込んでいるに違いないと思った。
それに喋るときに付箋紙を挟んだ書物を手元に置いておくことは、パソコンやスマホやタブレットにはないお守りつか精神安定剤の効用がある。これもそう感じるのは古い人間だけかも知れないが。
期待は外れなかった。全5章および付録のうち、ChatGPTとは何ぞやに関しては第1章がタネ本にできそうだった。新知識としては、個人的には第5章「ChatGPTの拡張と他のAIツール」や「<付録>主な生成系AI関連サービス一覧」、それに各章で述べられていた翻訳、プログラム生成やデバッグ、Excel使用法などに関する部分が大いに参考になった。へぇ、こんなこともできるのか!
しかし本書でもっともページが割かれていた第4章「ChatGPTビジネス活用法」における販売・営業、商品企画・マーケティング、小売・ECサイトなど役割を設定した上でのChatGPT出力を貼り付けた部分に関しては、言っちゃ悪いがページ水増しをやっているなという印象が否めなかった。自分で遊んでみるのが一番だろう。
個人の感想であるが、ChatGPTの面白さはリアルタイム性にあると思う。入力して即座にそれらしい返答が返ってくるところにライブ感があるのだ。このノリは、かつてのワープロ誤変換を面白がるであるとか、やや近くはGoogleストリートビューで散策する感覚に近い。要するに他人には伝わりにくいのだ。
そしてライブ感は時間が経つとあっというまに失われる。あとで見直すと、やはり空疎なことを言っている。
実例を出した方がいいかな? 『』を読む前だが、戯れにこんな質問をしてみたことがある。
『豊饒の海』第1部の『春の雪』と第2部『奔馬』は読みやすくストーリーもわかりやすいのですが、第3部『暁の寺』はとたんに難解になるように思います。なぜだと思いますか?
ChatGPTの答えの一部。間髪おかず長文がぞろっと出てきたときには、ぞくっとした。
三島由紀夫の小説『豊饒の海』は、物語性が高く、文学的な要素が豊富な作品です。第3部『暁の寺』が難解に感じられる理由はいくつか考えられます。
≪箇条書きで1.~3.あるも省略≫
したがって、第3部『暁の寺』が難解に感じるのは、物語性が高く、文学的な要素が強調されるためであると言えます。このような作品を読む際には、ゆっくりと読み進め、登場人物やテーマについて深く考えることが、作品をより楽しむためのアプローチとなるかもしれません。また、補足的な資料や解説を参考にすることも役立つかもしれません。
いやだから私は『暁の寺』はストーリーがわかりにくい≒物語性が高くないと言ってるのだが。
それを突っ込んでみた。
ありがとうございます。最後の「物語性が高い」という部分に対してだけは、私は不同意ですが(『春の雪』や『奔馬』の方が物語性は高いと思いました)だいたいよくわかりました。
それに対するChatGPTの回答。
了解しました。物語性や難解さについての感じ方は読者によって異なることがあります。『春の雪』や『奔馬』が物語性が高いと感じられることもありますし、各部の内容やアプローチによって異なる印象を受けることは自然です。お役に立てたようで何よりです。『豊饒の海』を楽しんで読み進められることを願っています。もし他に質問があれば、どうぞお気軽にお尋ねください。
不自然さの全くない文章は驚くべきだが、内容のあること何も言ってへんやんけ!
「それも心々ですさかい」ってことかい?(言いたくなった
だから、経験を積めば人工知能が生成した文章かそうでないかは、ある程度であれば見抜けるのではないかという自信めいたものを抱いた。
もう一つ思ったのは、出力をコピペすれば文字数はいくらでも稼げるということだった。
ここでちょっと考えた。『ゼロからはじめる』のサンプルのように、「はてなブログ」の「お題」をChatGPTに食わせて、出力をそのままブログに貼り付ける奴はいるまいか?
そして一頃話題になった「互助会」方式で、返報性の原理を期待して他の「はてなブロガー」さんたちのブログにスターやブックマークコメントをつけまくりはしまいか?
互助内がかつてほどとやかく言われなくなったのは、ブログの収益化が難しくなったからではないかと想像する。仮にそんなことをやったって、今さら収益化できるとは思えない。
かといって、私にそれをとがめだてする義理は一切ないが。
もう一つ思ったのは、やはり『ゼロからはじめる』のサンプルのように、書きあぐねているネタをChatGPTに食わせることにより、文章化のブレークスルーにすることはできまいか? ブロガーであれば誰しも、完成させられなくて「下書き」に保存しているエントリーの一つや二つはあるはずだ。私は一つや二つどころではないぞ!
それを人工知能の力を借りて、公開可能なものにまで仕立てることはできるだろうか?もしできるとしたら、いけないことだろうか? グレーゾーンというのはちょっと違うか。それで面白い文章つか、他人に読んでもらうだけの価値がある文章ができるのであれば構わない気もするし…うーん…