冬場に外を歩くと、どうしたって足早になりがちだ。
けれども枯れ草のもふもふとした種だけでなく、樹木に絡まった蔦植物にしがみついたままヒラヒラとはためく枯葉だって面白い。
けれどもこの時、わざわざ寒空の下を歩こうという気になったのは、「そうだ。あの店の麻婆豆腐が良い」と頭を過ったからだったのかも知れない。
目的地までの道のりがある程度遠くて、少々時間がかかる方が面白い時だってある。
より一層お腹も空いて好都合だろう。
ポートライナーを眺めながら貿易都市を歩く
そういう訳で、道草しながら一時間半ほどかけて、以前から気になっていた中華料理屋を目指した。それも神戸本町中華街ではなく、生田川の近くにある店がお目当てだ。

神戸の街とポートアイランドを繋ぐ橋は、乗用車だけでなく大型のトラックも含めて交通量がそれなりに多い。

そしてこの歩道橋もまた、歩行者や自転車で行き来する人がそれなりに居る。

冬は夕暮れが早い。
冬至は過ぎたとはいえ、春はまだ先だろう。

船も港も、この街で暮らし、働く人にとっては何気ない日常。
けれども私のように内陸で生まれ育った者にとっては、何度見ても「遠くまで来たな」という感じがする。この土地で5年働いても、その感覚はそれほど変わらなかった。
中華街から離れた場所にある本格中華料理店
こうした大きな貿易港のある街は、様々な異国のエッセンスが其処此処に紛れている。
神戸にも中華街があるけれど、この日、向かったのは三ノ宮よりも東側にあるフツーの街の一角にある中華料理店だ。

和洋折衷ならぬ、中洋折衷な門構えであるのは、この辺りの街の風景に溶け込むようにとの配慮なのだろうか。
外からは店内の様子が見えない。
意を決して入ってみると、一番乗りであった。
街中華ではなく、中華系のご家族が運営する本格中華のレストランながら、今ではあまり見かけなくなった、昭和の頃の町の食堂のような常連の人たちが寛ぐアットホーム雰囲気が漂っている気がして、その空間になんだかほっこりした。
私が入店した時は小さな子供がカウンター席で壁にかかるテレビ番組を見上げていたけれど、「さあさ、お客さんが来たからね」と促されて隅の方へ移動して行った。

カウンター席には小さな飾り棚が設けられていて、茶器が設置されている。
小さな壺上のものは花瓶なのだろうか。
お隣の席の飾り棚にはいろんな形状のポットたち。
なんだか可愛らしいので、思わず写真を撮らせてもらっても良いかと聞いてしまった。

程なくして食事が届いた。
麻婆豆腐を食べる気満々でここへやってきたのに、天津麻婆丼を注文したのは、「もしや結構辛いのでは?」と怖気付いてしまったからだ。マイルドさを卵に求めた。
恐らくそんな胸中を察したのだろう。
食べ始めてから「大丈夫ですか? 辛くない?」と聞いてくださった。
中国の食文化
私は辛いものが大の苦手というわけではないけれど、辛いは辛い。
甘辛い日本の麻婆豆腐とは全然違う。
花椒(ホアジャオ)の痺れが特に効いているし、唐辛子もなかなかホットだ。
それにアジア諸国の「辛い料理」は本当に辛いと思う。
けれどもそういった嗜好性を、可能な範囲で楽しみたいという気持ちも大きい。
「美味しいヨ」とサービスで提供された桃のお茶を口にしてみると、ほわっと桃の香りが広がって、幸せな気分になる。
中国の茶を楽しむ文化もまた、ささやかな暮らしを豊かに彩ってくれる。
様々な趣きの茶器を愛でるのも良い。

それはそうと、この天津麻婆丼というスタイルは、中華料理ではなく日本で生まれたアレンジメニューなのだ、と知ったのは後のことだ。
実はメニューを見て「あれ、天津麻婆丼あるの?」と意外に思って、じゃあそっちにするか、と決めたのだ。
なるほど、日本人向けに配慮されたメニューだったのか、となおさら納得した。
それでも日本風の甘辛い麻婆豆腐をこの店で提供することはないだろう。
スパイスやコクについての機微が中華料理の要なのだから。
彼らはちゃんと自国の矜持を保ったまま、異国で生きてゆくために折り合いをつけて暮らしているのだ。
とはいえ、丼ものだけあって、なかなかのボリュームだった。
あわよくば食後に杏仁豆腐をなんて思っていたけれど、全くの余地なし。
それは、またの機会に。
芙蓉の余韻
ところでこのお店の名前は『芙蓉苑』という。
ここを目指して歩いてくる最中に見かけた枯れ草の写真を後から見返して、一番気に入った形態の植物もまた、恐らく芙蓉(フヨウ)ではないかと気づいた。

別に狙ったわけでもなんでもなく、そもそもその時には気づいていなかったのだけど、これもまた後から振り返ってみる面白さだなあと改めて感じた。