神戸の南にある人工島・ポートアイランドでの用事を済ませた後、何となく歩きたい気分になった。特に意味は無い。
日が暮れるまでにはまだ少し時間もあるしと、ポートライナーの駅をスルーした。
ポートアイランドの雀たち
ポートライナーと同じ高さの遊歩道から地上に降りてすぐに気になったのは、ある場所に群れていた雀たちだ。

彼らの挙動で気になったのは、しきりに付いてこようとすること。
ちょっとアップのお写真でも撮らせていただけませんかね?
と近づこうとしても、すぐそこのサツキらしき低木の上にファーっと大集合するだけで、じーっとこちらを気にしている。
元々、人の暮らしのそばに居て、ごく身近な野鳥ではあるけれど……
移動すると集団でついてくる。
うーん、こりゃあどうも餌付けされ慣れている感じがする。
ポートアイランドには企業、大学、ホテル、イベント会場、そして大規模な団地が密集している。だからそれなりに人が多い。
そういった環境の、公園や高架下のような人通りが少なく、尚且つ一息つけるような場所では、人知れず、習慣的に野鳥に餌をやるということが起こりやすい気がする。
鳥以外にも、川魚にパンくずをやったりとか。
鳥インフルエンザ感染拡大についての懸念
最近、この野鳥の餌やりについて、鳥インフルエンザの感染拡大の原因ではないかと指摘され、懸念の声が高まっている。
何故かについては、先のパンデミックで嫌というほど「ソーシャル・ディスタンス」と耳にし尽くした今なら、もはや説明は要らないだろう。
鳥インフルエンザの感染が確認された養鶏場では、すべての鶏の殺処分される。
これはよく知られたことだ。
けれども「消費」が中心で、養鶏現場が身近でないところでは、どこか別の世界の話なのかも知れない。
人と人の関わりが薄れた世界では、ほんのおこぼれに群がってくれる野生生物に感動してしまうのも無理はないのかも知れない。
あるいは人為的に餌をばら撒くことで、集まってくる野鳥の写真や動画撮影をしたりすることもあるようだ。(これはかなり悪質)
一羽でも感染した個体がいれば、たちまち感染個体を増やすことになりかねない。
これは自然界の現象ではなく、あからさまに人間都合の振る舞いによるものだ。
ささやかなひと時が、間接的に経済不況の一端を担う
ふと立ち止まって考えてみてほしい。
手間暇かけて育ててきたものが無碍に一掃されれば、売上がないどころか大赤字が降りかかってくる。それは他人事ではなく、社会全体の経済不況の一要素でもある。
戦後の日本における高度経済成長期は、作れば作るほど売れた時代だった。
だから必死で頑張れただろうし、庶民の生活も社会もそれなりに潤ったことだろう。
けれども作ろうとしてもリスクばかりが募る世の中で、現実的な経済圧迫と精神的苦痛を抱えながらの養鶏業は楽しいだろうか。
鶏肉や鶏卵は日常の食卓を家計から支える存在だ。
けれども作っても廃棄せねばならない社会では、廃業する人が増える。
自ずと価格が上がり、そのうち金などあっても手に入らないものになっていくだろう。
待っていれば回復するような構造ではないし、不況の片棒を担いでおいて、物価高騰に文句を言うのはお門違いだと思うのだ。
こうしたことの積み重ねが自分自身の生きづらさに直結し、次世代の生きづらさを加速させる、とは考えられないだろうか。
大事なことは
こうした話をすると、感化された人が野鳥の餌やりをする人に対して直接文句を投げかけるということが起こりがちだ。
でもこうして改めて書いてみたのは、「自分はやらない」「餌やりで鳥を集める撮影会には参加しない」という選択をする人が増えて欲しいと思ったからだ。
それに子供は大人のすることを真似る。
だからまずは大人が社会の構造をよく考えて、行動を律する必要がある。
『社会全体で次世代の子供を育てる』とは、本来そういう意味だと思っている。
今回、たまたまポートアイランド内の移動中に見かけただけだ。
けれども恐らくは、日本のあちこちで密やかに行われていることではないだろうか。

大事なのは局所的に鳥が群がる環境を人為的に作らないことだ。