
さてさて、今日やって来たのは兵庫県三木市にある国登録有形文化財の旧小河家別邸へ。
小河秀太郎は明治から大正期に活躍した人物で、三木にて造り酒屋として財を成し、初代郡会議員、三木町長などを歴任。
また三木銀行の設立にも尽力、政治家、実業家として三木市の近代化に貢献した人物。
で、これから訪ねるのは小河秀太郎が客人をもてなすために建てられた別邸。
細い路地が多い三木城下町にあるため、駐車場が少しややこしい。
停めれる台数も限りがある。
1度見過ごして通り過ぎたが、写真の鳥居の向こうに駐車場があった。

駐車場から旧小河家別邸までは歩いて約1分と近い。
昔は三木の中心地として栄えたのであろうレトロな大衆食堂があった。
木製格子とモダンなタイル張りの意匠が時代は変われど今でもオシャレな建物として残っていた。

さて、こちらが旧小河家別邸。
敷地面積は667坪もあり、サッカーコート3分の1ほどの広さなのだそう。
ちなみに入館料は無料。


庭園が広く、表門から建物の玄関が見えないほど。

さてと、こちらが旧小河家別邸の建物。
さっそく中に入ってみる。


まず庭園沿いの長い廊下の奥に飾られてたのは小河秀太郎の胸像。


和室にシャンデリア、梁沿いに取り付けられモダンな照明。
足元は赤穂緞通(あこうだんつう)の高級手織り敷物。
これは当時からの物であるそうだ。
また、畳は京間の畳の大きさ。

まず目をひくのは円形に区切られた和室の意匠。
ふすまには鴈の絵が描かれている。


この部屋は共待ちの間と呼ばれ、客人のお供の方の控えの間となっている。
この2畳の間でご主人の用事が終わるまで過ごすのだそうだ。

この部屋はアール・デコ文化を日本に持ち込んだ旧皇族、朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)がご宿泊された部屋だそうだ。
ゴルフをこよなく愛していた皇族だけに三木にゴルフでもされに来たのだろうか。

こちらは蔵。

この蔵へとつながる通路の扉が珍しい。
扉の大きさと通路の幅が異なっているため、大きくアーチ状に壁がカーブを描く。


こんな感じで扉を開閉するために壁をわざわざえぐっているのである。



こちらは中庭沿いの廊下。
中庭には珍しい白いタンポポの花が咲くのだそうだ。





そして土間へ。
土間の床の作りも凝ってある。


こちらはお風呂場の脱衣所。

こちらが風呂場。
朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)がご宿泊される際に改築したらしい。
炊き口がないので、土間の竈で沸かしたお湯を注いでいたらしい。

こちらはお便所。
大便用の個室の床が畳になっているのに驚いた。
こちらも皇族用に改築したというが、まさか便所に畳とは。

こちらは便所の照明なのだが、凝った造りだこと。


そしてこちらが庭園。
コンパクトながら山あり谷ありの作りで沢飛石まで設けてある。
庭を回遊しているとその起伏に飛んだ造りに関心する。
池の上に突き出た雪見燈籠が庭の立体感のポイントにもなっている。

いやいや中々個性的な建物で見応えがあったなぁ。
さぞかし風流人であったのだろうなぁ。

さてさて、続いてやってきたのは旧小河家別邸から車で約2分の場所。
三木市立みき歴史資料館。

ここは三木城二の丸跡にあるんだな。



ちなみに入館料は無料。

こちらは三木合戦軍図の原寸大の複製品。
三木合戦とは、1578〜1580年に兵庫県三木市で起きた、織田信長軍と別所氏の戦い。
別名 「三木の干殺し」 とも言われ、戦国時代でも特に苛烈な包囲戦だったそうだ。
織田信長に従っていた別所氏が1578年に突如として反旗を翻し、毛利方についたことが発端。
この時、豊臣秀吉は三木城に対して兵糧攻めを行い開城。
秀吉の後の出世に大きく影響した合戦だったそうな。



知らなかった三木鉄道なんてあったなんて。
加古川の厄神駅から三木駅までの6.6km間の三木線。
国鉄から路線を譲り受け、第三セクターとして三木鉄道が設立。
1985年4月に営業を開始し、2008年3月に廃線となる。
全国にある旅情の哀愁を感じるローカル路線。
赤字路線の維持、廃線の問題はまさに少子高齢化のこれからが大詰めとなるのだろうな。
ちなみに三木鉄道跡には4.8kmの遊歩道「別所ゆめ街道」が整備されているそうなのでいつか時間を作って歩いてみたいと思う。

こんなバスのような電車が走ってたんだな。
一度乗って見たかった。

続いては三木飛行場にまつわる戦闘機の展示コーナー。



いやいや、この卵型っぽい百式司令部偵察機Ⅲ方(キー46)ってめちゃかっこいいやん。
なんか今でも未来感を感じる流線形じゃない。
へぇ~こんな飛行機があったんだ。

こちらは百式輸送機(キ-57)

こちらはF4Uコルセア(米海軍)
三木飛行場を空襲した機体なのだそうだ。
ちなみにTAMIYAの32分の1スケールモデルだそう。
これもかっこいいよなぁ。
ちなみに第二次世界大戦末期は兵庫県の三木市や加西市などに飛行場があり、神風特攻隊ともゆかりがあるんだな。
三木飛行場は神風特攻隊の訓練飛行場として、第76振武隊がここで訓練し、沖縄へと飛びった。
また、加西市の鶉野(うずらの)飛行場も神風特攻隊の訓練飛行場で、神風特別攻撃隊「白鷺隊(はくろたい)」63名が沖縄周辺の米軍艦艇へ体当たり攻撃を実施。
60名が戦死をした。
鶉野(うずらの)飛行場については下記の過去記事を参考に
いやいや地方の歴史資料館や民俗資料館って行ってみると何かと新たな発見があって面白い。
観光案内所での情報収集もいいけれど、民俗資料館の方がその地の成り立ちや過去の歴史が学べるのでその後の観光も奥深いものになる。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。