
さてさて、今日やって来たのは奈良県安堵町の歴史民俗資料館。
建物は今村勤三(きんぞう)の生家でもある今村邸。
今村勤三は大阪府から奈良県を独立・再設置に導いた運動家。
ん!奈良県が大阪府から独立?
奈良県ってそもそも大阪府だったの?
実はそうなんです。
明治9年から明治20年の11年間だけ、奈良県は大阪府に編入されたのです。
明治4年に廃藩置県で奈良県が成立するも、明治政府は県が多すぎる、奈良県は大阪府とまとめた方が行政効率が良いという理由から奈良県は大阪府と合併したのです。
そして大阪府から奈良県を再び独立させた運動家が今村勤三なのです。

入館料は220円。
細い道ばかりの村の中にあるので車で行くときは運転に注意。

建物に入るとまずは広い仏間。



庭園沿いの廊下を進むと。

奥に茶室がある。

蔵へとつながる部屋。





どうやら2階には行けないようだ。




こちらは電気蓄音機。
ドラゴンゴーと書いてある。
調べてみるとドラゴン電気蓄音機と呼ばれるらしい。
昭和27年~29年ぐらいのものだそうだ。






こちらは今はなき、天理軽便鉄道の模型。
天理軽便鉄道とは1915年(大正4年)に開業した、軌間762mmのナローゲージ軽便鉄道で、新法隆寺駅(JR法隆寺駅南側)〜天理駅(現・近鉄天理線)を結んでいた全長約9kmの路線。
天理教本部への参拝客輸送を主目的として建設されたそうだ。
ちなみに天理教の最盛期は1950年~1970年で、当時国内に約200万人の信者がいたそう。



こちらは天理線電化工事中の機関車両。

こちらは平端駅に停車中のレールカー。
ナローゲージならではの小さな車両。
天理軽便鉄道の遺構など残っていないものかと調べてみると、ナローゲージならではの遺構が残っているそうなので、今度巡って見たいと思う。



ここ、奈良県安堵町は灯心の一大生産拠点であった。
灯心とはあんどんや油皿、ロウソクなどの火を灯す芯の事。
安堵町は泥田(どた)と呼ばれる排水の悪い土地だったので、灯心の材料である藺草(いぐさ)の栽培が盛んであった。
安堵町にとっては米の裏作として11月~6月の間に藺草を育て、現金化が出来る貴重な生産物であった灯心。
しかしながら電気の普及に伴い、灯心の需要が低迷した昭和43年を最後に藺草の栽培は幕を閉じた。
いやいや知らない事が多すぎた。
奈良県が大阪府だった時代があったとは。
はたまた天理軽便鉄道という路線があったとは。
いやいやなかなか見応えがあった民俗資料館だったとさ。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。