2025年4月某日 「あんまり意味ないじゃん」と、思ってはいるけれど
子どもたちは春休みが終わり、新年度の初登校。僕は休みなんだけど、子どもたちより先に家を出た。なぜか。通学路に立って、交通安全の見守りボランティアをやるのである。
これが、「何が正解か分からない謎のミッション」であって。開始時間と終了時間の目安は指示されているものの、「その時間帯を目安に、できる範囲で」という。「交通安全の黄色い旗」を学校のPTA室から持ち出してもいいし、学校に行くのが面倒なら旗はなしでもOK。そしてやることは、「指定されたポイントに立って、子どもたちの登校を見守ること」なんである。
「見守る」って何だ? 見守ったからどうなるんだ? 見守らなかたらどうなるんだ? よく分からない。というかたぶん、どうにもならないだろう。大人が見守ったからといって必ず事故を防げるわけではないだろうし、毎日立つ訳じゃない。新学期の最初の3日間だけなんだから、それで何かが変わるっていうものでもなさそう。
だからと言って、「こんなの意味ないじゃん」とは思わない。「あんまり意味ないじゃん」とは7割ぐらいは思ってるけど、「まったく意味がない」とは思わない。新学期で、学校に行くのがダルいと思ってる子もいるだろう。そんなの子に対して、「見守ってるよ」というメッセージになるかもしれない(まあ、逆効果になるかもしれないけど)。通学路を通る車や自転車に対して、地域の保護者が目を光らせてることをアピールしたら、この付近を通る時は安全運転への意識が、ちょっとは上がるかもしれない。
…と、思わないこともないかもしれない。あれ、やっぱり僕も、「ほとんど意味ないじゃん」とは思ってるらしいな。だからこそ「新学期の3日間だけ」の活動なんだろうし、「あくまでも可能な範囲でのボランティア」で、「参加人数が集まらなくても追加募集なし」「体調不良や急用で見守りに立てなくなってもPTA役員への連絡は不要」という、本当に最低限の、令和のPTAらしい活動なんである。「前例に倣って、実施はするけど、まあ、正直言ってどっちでもいい」というテンションというか。
その、「正直言って、ほとんどやらなくてもいい活動」に、僕は毎学期参加してる(3日間のうち1日だけの参加だけど)。なんでか。たぶん、PTAのタスクのうち、一番ハードルが低い活動だからかな。1人で十字路の角に立つだけで、「よそのママさんやパパさんと、要領よく雑談できなかったらどうしよう」というプレッシャーがない。事前にフォームで連絡して、当日の拘束時間も20分だけ。誰に監視されるわけでもなく、飽きたら帰ればいい。
PTAの存在に一応の感謝の気持ちはあって。特に、子どもたちが入学前のことかな、運動会で幼児用の種目を用意してくれたりとか、バザーで子どもに買い物体験をさせてもらったりとか、本当にありがたかった。だから、小学校卒業前に、恩返しをしてもいいな、とは思っていて。そんな僕にとって、もっとも少額のドネーションが、この「通学路見守り」なんである。
さて、立ってみて。一番難しいのは、「スマホを見ない」である。何せ、「交通安全のシンボル」として交差点に立つのだ。スマホを見てる姿を、子どもたちに見せるわけにはいかない。そして次に難しいのは、「笑顔であいさつ」である。新学期の学校に向かう子どもたちを応援するように「おはようございます」。あんまり押しつけがましくならないように、あいさつが返ってこなくても構わないですよと、元気よりも慎ましさを優先した「おはようございます」ですよ。もし子どもからあいさつが返ってきたら、「いってらっしゃい」をコンボで繰り出す方針だ。
この、正解が分からないあいさつ業務。案外気を遣うんである。小学校に登校する子どもたちには、あいさつしたいのだが、それ以外の通勤者などの他人に声をかけたら、「ヤバい奴」と思われる可能性がちょっとだけあって、かと言って無視がいいのかというと、「同じ近所に住む人じゃないか、あいさつぐらいしてもいい」という気持ちも少しだけある。結論としては、他人に対しては「無視と会釈の中間」みたいなゼスチャーをすることになるよな(若干の笑顔でうなずく、というような)。「特に反応は求めてないですけど、一応敵意のないことは示しました」みたいな。
登校する子どもたちはいい。ランドセルを背負ってるので、見分けがつく。「おはようございます」だ。案外、あいさつを返してくれる。息子と同じ吹奏楽部の子の顔はだいたい分かる。演奏会や練習で見たことあるからね。僕のことをわかってる子どももいたりして、向こうからあいさつしてくれる。照れ屋の子が、ペコリとするだけでもうれしい。おい子どもたちよ、その「ペコリ」が、どれだけ僕に勇気を与えているか。想像つかないだろうな。でも、君たちは、その存在だけで世界へのエールになってるんだぜ。
うちの息子も通り過ぎる。「おはようございます」とすまし顔。そうか、さっき妻から「パパが立ってるから、ちゃんとあいさつしてね」と結構しつこく言われてたわ。親と話してるのを友達に見られたくないお年頃なので、無視してくる可能性もかなりあったけど、そうじゃなくて丁寧なあいさつをすることで他人のフリをする作戦か。まあ、悪くないと思うよ。
1年生は黄色い帽子。保護者が一緒に登校してることも多い。それならあいさつもしやすい。子どもを怖がらせることもないだろう。だけど、難しいのは、1年生を送ったあと、その帰り道の保護者だ。そうすると、もはや「ランドセル」「黄色い帽子」という目印はなくなっているので、もはや一般市民と見分けがつかない。しょうがない、「大き目の会釈」だ。無視したと思われなければ何でもいい。
そんななか、危ういシーンがあった。「ランドセルを背負ってない女の子2人(姉妹だろう)と、少し離れたところにそのお母さん」という組み合わせが近づいてきて。ランドセルなしの時点で、僕は「小学校の関係者ではない」と認識して、通り過ぎる寸前に「見るような見ないような会釈」をしようとしたその刹那。あれ、この2人知ってるぞ、ていうか、お姉さんの方は、うちの娘の同級生じゃないか、と気づいて。うわあ、そのパターンがあったのかよ。「ランドセル背負ってなくても、あいさつした方がいい人」いるじゃん。お母さんは、吹奏楽部の手伝いとかで何回も顔を合わせてる。あ、そうか。妹さんは中1で、今日は入学式じゃないか。あわてて、「あ、おはようございます」と声をかける。向こうは、「おはようございます」と返したものの、僕のことが誰なのか分かっていない様子で通り過ぎていく。いいんだ、構わない。僕は「声かけをする/しない」のゲームに負けなければ何でもいい。
その数分後、5年生の男の子。落ち着いた雰囲気で、あいさつをしてくれる。君のことも知ってる。吹奏楽部で見たことあるよ。でもいつもより元気がないかも。まあ、新学期の朝だしね。そこから30メートルほど遅れて、そのお母さん。明るく、「おはようございます」と声をかけてくれる。「見守り、立っててくださったんですね」と。「いやあ、今日だけですけど」「私も、あっちの角で立ちますね」みたいな会話。
この、短いやり取りが、どれだけありがたかったことか。僕が、ほんの20分だけのボランティアをやっていたことを、誰かに知っていてほしいのだ。お礼も要らないし、褒められなくてもいい。ただ、間違った行動ではなかったと、誰か1人でも認めてくれたら、それで十分だ。
こんなにありがたいことだとは、その気持ちを味わうまで想像してなかったな。ちょっとした善意を、誰かが見ていてくれること。地域コミュニティーの関わりの希薄さを嘆くような気持ちは全然ないけど(むしろムラ社会の同調圧力は怖い派)、それでも、僕にもまだ人の心が残っていたということかもしれない。
20分の「見守り」活動、ほとんど何のカロリーも消費しなかったけど、とても疲れたよ。帰宅して、午前中からの積極的な昼寝が捗りました。
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