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【日記】PTAコーラスの打ち上げに参加してきた(48歳になってもHIPHOP入門54)

2025年3月某日 卒業ソングの合唱は却下します

飲み会。PTAコーラスの打ち上げに参加してきた。引っ込み思案担当大臣の僕なのに、飲み会なんてよく行けたな、とも思うんだけど、グループラインで1ヵ月前に回ってきたフォームに、つい「出席」とタップして、それを撤回する勇気はないんだからしょうがない。

 

結果、参加してよかったと思うけど。たまに相槌を打つだけで、新しく名前を覚えた人が2人増えたぐらいのことで、特別楽しかったわけでもなかったんだけど、まあ、それでも。「たぶん嫌われなかったっぽい」という安心感を積み重ねたいでしょ。

 

驚いたこと。ママさんたち、先生たちの異動についてチェック済だった。すでに公的なホームページで発表されているらしい。「校長のS先生は来年もうちの中学で続投」など噂して、結構喜んでいるんである。校長先生、行事(文化祭や合唱コンクールなど)に熱心な校長で、それは今時珍しく、保護者にとってはありがたいことなんだそうだ(教員たちにとってはありがたくないのかもしれない)。

 

驚くほどではないような気もするんだけど、教職員の異動が発表になる「Xデー」を知ってること自体すごいなあ、と。そして、「S先生続投でよかった」と、校長に対して良し悪しのイメージを持っているのもちょっとカルチャーショック。「子どもの担任の先生がヤバい人だったらイヤだなあ」とは思うけど、同時に、「でもそんなのわかんなくね?」とも思うわけであって、ましてや校長先生の当たりハズレまで心配してたら、キリがないでしょ。事前に「Xデー」を知り、それをチェックして、その発表に感想を持つという発想自体が僕にはなかった。

 

「そんな発想なかった」とか言って、ママさんたちを揶揄してるような感じにも読めるな。実際「気にしてもしょうがないことを気にしやがって」とバカにする気持ちも多少はある。でも、むしろ、ママさんたちは、意外とサバサバしてるのよ。「どっちにしろ気になるんだから、さっさとチェックして、感想をシェアして、気になるフェーズを終わらせる」みたいな動作が基本フォームとして身についてる感じ。僕の方は、「はたして僕に、先生を品定めする資格なんてあるのか?」の段階でウジウジしてるわけであって、学ぶべきところもあるような気がした。

 

さて、一番盛り上がったのは、合唱コンクール本番の日の振り返り。1日の最後に、特別審査員の先生(合唱曲の作曲で賞をいくつも取っているような人が、なぜか招かれていた)の講評があったんだけど、そこでPTAコーラスが褒められていた、という話。我々の指揮者のM先生は本番の後すぐに帰ってしまったので、その講評は聞いていなかったらしい。そこで、みんなで講評の言葉を思い出しながら、M先生に伝えた、という話。


各クラスの発表についてそれぞれ褒めたあとで、今後のためのアドバイスとして、共通の改善点を伝える、という講評の流れだった。それまで、PTAコーラスについてのコメントはなかったのに、最後の締めくくりで言及してくれたのだ。

 

「このように、合唱で大事にしてほしいことをお伝えしました」「それで、言葉だけでは伝わりにくいので、お手本を聞いてもらわないとな、と思っていたんですが、やっぱり、私がお手本を見せるのはやめておきます」「だって、先ほどの、PTA皆さんのコーラスが、最高のお手本だったじゃないですか」と。そんな風に、1週間前の褒め言葉を再現して、みんなで大喜び。そりゃあそうだ。子どもの前で歌を披露して、「最高のお手本」とか、親にとっては「言われたい言葉」殿堂入りじゃないですか。大興奮。危なかったよ。その場で歌い出すんじゃないかと思った。(おだてられると調子に乗りやすいのは僕だけじゃないとわかって安心した)

 

飲み会から帰ってきて、1人。子どもたちも妻も、もう寝ている。でも、慣れないおしゃべりの興奮がまだちょっと収まってない。何をするか。もちろんYouTube鑑賞だ。来年、PTAコーラスで歌う曲を探してやれ。いい歌を子どもたちの前で歌って、また「お手本」と言われたい。やっぱり、卒業ソングがいいんじゃないか、と思いついた。ベタだけど、それでもいい。3月の合唱コンクールで、卒業ソング。ピッタリでしょ。こちとら中学生じゃないんだ。老い先短いんだから、ベタに照れてる場合じゃない。

 

「卒業ソング 合唱 定番 リスト」で検索して、見つけたリストを上位から順番にYouTubeで検索(それにしても、「さくら(独唱) 合唱」ってどんな検索ワードだよ。独唱じゃなかったのかよ)。それらを片っ端から見ていくんだけど、もう、どの曲も泣いちゃう。

 

卒業ソングって、要するに、「いかに別れを祝うか」っていうことがテーマじゃないですか。別れがつらいからこそ、未来を信じるために友との絆を思い出す。思い出すほど、別れがたくなる。別れがたいほど、絆を感じる、というような曲だらけじゃないですか。

 

「友との別れ」を歌う歌詞が、今日の僕にはどう聴こえるか。「親子の別れ」だと思って聴いてしまうんだ。「愛する我が子の巣立ちを見送る母の心」で、卒業ソング聴いてごらんよ。堪えれば堪えるほどあふれる涙じゃないですか。

 

来年の3月の合唱コンクールを想像する。特に、3年生の母親のつもりで想像する。我が子の高校受験を終えて、張り詰めた気持ちをやっと休ませているころ。子どもの中学卒業まであと少し。ふと気づく。この子はいつか近い将来、私のもとを離れていくのか。なんとうれしいことか。なんと誇らしいことか。そして、やっぱり、ひどく寂しいことだろう。…ダメだ。やっぱり、絶対に泣いてしまう。合唱コンクールで、子どもたちの前で歌う曲として、卒業ソングは不適切。却下します。

 

(ところで、この期に及んで「自分のこと」としては想像できない僕に苦笑してしまう。「母の気持ち」を想像すると泣けるのに、「自分の気持ち」はあんまりピンと来ない。誰かの気持ちを想像して、その想像に周波数を合わせることで、ようやく世界を感じることができると言うか。この感覚、何なのか)

 

…と、この流れで、僕のYouTubeのおすすめ欄に関取花さんの「もしも僕に」が出現して。見て。泣いて。公式のMVなんだけど、「照れ」がなくていいんだよな。変にひねってない、というか。

 

コメント欄に寄せられるコメントが、どれもいいのよ。そんなことある? コメント欄が、良かったなんて話、聞いたことないよ。雑にまとめちゃえば、「この曲を頼りにした」「この曲に救われた」というようなことなんだけど、それがありありと伝わるようなコメントばかりで。そんな人がたくさんいるんだ、ってことが可視化されていて。ツンときてしまう。

 

人が生きていく時に、「なんとかなるはず」っていう楽観性がないと苦しいと思うんだけど、それが苦手な人が、この曲を好きになるんだろうな。祈るような気持ちでこの歌を聴いて、思わず感謝の言葉をコメントに残さずにはいられなかった人々を想像しながら、もう一度泣き直したよ。

 

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