2025年3月某日 春、再びのボドゲカフェ
うちの子どもの小学校には、PTAとは別に「オヤジの会」という非公式団体があって(いろんな小学校で同じような主旨の集まりがあって、どこでも「オヤジの会」というらしい)。これは飲み会をやったり、運動会でちょっとした力仕事のボランティアをやったりする。僕もメンバーの一員なんだけど。
そこで、「ボードゲーム会」をやったのである。職場の同僚、うちの家族、大学時代の友人たちともやってきた「ボドゲ会」、ついに「保護者同士の交流」としても実現、という。
どういう経緯だったか。去年の秋ごろの飲み会で、文化部っぽい雰囲気のCさん(PTAの会長でもある)に提案していたのだ。「飲み会とか、バーベキューとか、スポーツとか、交流というとアウトドア派、運動部系のものが多い気がするんですけど、きっと文化部系のパパたちもいると思うんですよ。おしゃべりやお酒が苦手な人でも、ボードゲームなら、ちょっと参加しやすくないですか」と。
「ボドゲ会の何がいいって、子どもと一緒にできるじゃないですか。親戚づきあい、近所づきあいが減ってる中で、子どもたちに、親や先生以外の大人との交流って、結構貴重だと思うんですよ」「僕は将棋と麻雀が好きで、一生飽きない神ゲーだと思ってますけど、将棋は実力が同じぐらいの人を見つけないと面白くないし、麻雀は時間がかかるじゃないですか。その点、覚えてすぐ楽しいゲームが別にあれば、そっちの方がニーズに合う機会多いっていうか」「ボドゲカフェで、やったことないゲームを試しにやってみたら、種類の違う楽しさがあることを発見して。脳みその普段使ってない部分を使ってリフレッシュできます」「子どもにも、勝負ごとをやらせたいんですよ。負けず嫌いでいることと、負けても礼儀正しさを失わないこと、この2つを両立できる人って、最強じゃないですか」などと早口でボドゲ会の良さを力説してしまって。
それから2カ月ほど経過した今年1月。PTAの行事準備の手伝いでCさんと会った時に、「この前言ってたボドゲ会、そろそろやりますか?」と言われて、大変勝手ながらちょっと戸惑ってしまったんだけど。ボドゲ会の良さを力説しただけで満足してしまい、実際やりたいかどうかは別問題なので、正直面倒な気持ちもあって。でも、行きがかり上「やりましょう」と即答したんだけど。
それで、Cさんと僕で日程を決めて、「オヤジの会」のグループLINEにお誘いを流して。行ってきました、今日。大人4人+子ども1人(うちの子は吹奏楽部の練習があり来られなかったんだけど、メンバーの1人が、5年生のお子さんを連れてきてくれた)でボドゲカフェ。
今日、やった中で面白かったのは「海底探検」。5分でルールは理解できるんだけど、「どうやったら勝てる確率が上がるのか」はやってみないと分からない。海底にある宝(=ポイント)を採りに行って、無事に海上まで戻ってこられるか、という設定。ライバルプレーヤーよりもたくさん宝をゲットしたいんだけど、宝を持つほど空気(残りヒットポイントみたいなイメージ)が減り、戻るスピードが遅くなる。空気が残りゼロになった時点でまだ海中にいたらアウト。「高得点を狙うほど、得点ゼロのリスクが上がる」ということなんだけど、このゲームのポイントは、「空気が全員の共有物」ということ。すると何が起こるのかと言うと、「全員が同時にドボン」になり得る、という。
この、「全員が同時にドボン」というのが、笑っちゃうんである。「どの選択がリスクとリターンが見合ってるのか?」と考えるのが面白いはずが、他のプレーヤーの選択とダイスの出目次第で、すべてがご破算になっちゃう不条理感。トイレの順番を待ってるサラリーマンが、同時にウンコ漏らしちゃうみたいなアホらしさがあって、大笑いしたよ。
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それにしても、ボドゲ会。おしゃべりをしなくてもいいのが僕にとってはリラックスできるんだよな。普段、「気の利いたツッコミを言わなければ」とか「オチのあるエピソードトークをしなくては」とか、「相手の気持ちに共感して話を引き出さなくちゃ」とか、それほどプレッシャーに感じてるつもりはないんだけど、いざそこから解放されると、すごく安心できる、というような。またやりたい。
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