2025年3月某日 どういう種類の正直さなのか
久しぶりに劇団時代の友人たちと6人で飲み会。それぞれの近況なんてほとんど話さず、雑談につぐ雑談。Kくんは、点数計算もできない麻雀初心者だけど、Mリーグの切り抜き動画を見てしまう、という。
「内川プロが、最後の一打で、長考の末に四暗刻単騎を放縦してしまうのが切なすぎて笑える」「あれは、何回も見ちゃう。見る度に、今度こそ西を切らずにオリるんじゃないかと思うんだけど、やっぱり切っちゃうのよ。ツラすぎて笑える」「あれ、最後の一打だから、勝負するメリットは本当に少なくて、自分のテンパイ維持のための選択なんだよね。テンパイ維持すると、次局での逆転の可能性が少しだけ残る。でもさ、4着から3着への逆転の、ほんのわずかな可能性維持するために、ものすごい形相で長考してるの、タマらないよね」「西を切ったら危ないことは分かってるから長考するわけでしょ? 長考するほど、怖くなる。でも怖くなるほど、逃げちゃダメな気もしてくる。その緊張感が笑えるのよ」と。Kくん、麻雀初心者といいながら、めちゃくちゃ正確にエッセンスを味わってるのな。
小劇場界隈の演出家(主宰)による出演者への性加害についての話になった。僕らは演劇をやっていたので、決して他人事でないというか、なんとも身につまされる部分があるというか。
小劇場の劇団なんて、どんなに売れてもたかが知れてるし、売れることなんてほとんどないのに、そんな集団のリーダーに「その人が望んだら絶対NOとは言えない」みたいな関係性なんてはたして生じるのか。そんなわけないと普通なら思うでしょ。でも、「全然あり得る」という実感がある。
青春を不完全燃焼させてる劇団員にとっては、「演出家の言うことは絶対」みたいな設定を演じることも劇団員としての生き方に含まれてるので、「売れる見込みの小ささ」はこの際あまり関係ない。どんなに小さな集団でも権力は生まれるし、その権力が絶対視されてしまうような奇妙な思い込みの悲喜劇的はあるでしょ、という話になった。
自分でも演出家の立場を何度か経験してるKくんの話。「僕は、出演してくださいとお願いしてる側だったから、そんか権力の行使よりも、むしろメンバーに嫌われたくなくて必死だった」と。分かる。僕にも似たような感覚はあった。
「でも、もし僕の芝居に出たいという女優がたくさんいたとして、自分が選べる立場だったとしたら、その立場を絶対に利用しない自信はないよね。女優に誘われたら、たぶん断れないでしょ」と。Kくん、しみじみとゆっくりと、真剣な表情でまあまあゲスいこと言ってるのが面白くて、みんなツッコまずにそのまま話させる。
「もし、2人きりで密室にいる状況になったら、さすがにその気になっちゃう。で、その場でやっぱり性的な交渉はNGって言われたとして。そこで僕は踏みとどまれるか。まあ、踏みとどまれると仮定して。僕に体を許さなかったその女優には、出演させない気がする」と。Kくん、自分はまだ持ったことのない「権力」について、シミュレーションしちゃってるのだ。妄想なのに、「NG」って言われる前提なのがウケるな。「正直かよ」ってその場ではツッコんだけど、どういう種類の正直さなのか。僕はその仮定に対して、「あの演出家、あの女優が思い通りにならなかったから外した、と思われたくないから、俺だったらむしろ起用すると思う」って言って。「そういう種類の正直さかよ」とツッコんでくれたんだけど。
結局5時間ぐらい話してから解散。みんな元気そうだったけど、「元気なうちに、あと何回集まれるのか」とか思う帰り道。センチメンタルな春の寒さ。
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