2025年2月某日 もっと怒ってくれよ
午後。ケンドリック・ラマーの「GNX」聴きながら歩いてて。歩数計のアプリを見ると、もう少し歩かないと今日の目標達成にならないと言うので、「Section.80」に切り替えてまた歩いて。
歩きながら、スーパーボウルのハーフタイムショー、やっぱり「イマイチ」だったんじゃないか、という気持ちが固まった。スーパーボウル当日、ピンと来なかったものの、それを認めるのに2週間かかったということか。
スーパーボウル当日は、自分でやることがあって「ながら見」になってしまったこともあり、「イマイチだったんじゃね」という思いにフタをして「ケンドリックが不発だったなんてありえない。ということは、理解できなかったのは自分のせい」みたいに自分に言い聞かせて。その後それを確かめようとして、解説動画をいくつか見て、曲と曲の合間の「寸劇」で言っていたことやその意図を踏まえた上で、ショー自体も3回ぐらい見直したんだけど。
やっぱり、「イマイチだった」でしょ、と。
単純に、「ラッパーとしてのケンドリック・ラマーのオーラとか、曲の持つ強度が、最大限発揮されたライブだったのか」という観点で見たら、「いやいや、あの程度じゃないはず」って思っただけの話なんだけど。
「サミュエル・L・ジャクソンが演じるアンクル・サム」が、ケンドリックに「お前のやる曲は好戦的すぎるし、ゲトー的すぎる。もっとアメリカらしいパフォーマンスをやれ(白人に媚びろ)」と言うけど、ケンドリックはそれを無視する、というのがショーの構成だったけど、その「寸劇」、蛇足じゃない?
いかにもアメリカらしいエンタメの極致がアメフトであり、その決勝戦のスーパーボウルは、「アメリカによる、アメリカのためのアメリカの儀式」でしょ。その中で、「余興とは思えないほど豪華なライブまであるのかよ。やっぱアメリカ最高!」って思わせるのがハーフタイムショーの役目なわけであって、もともと「アメリカらしいパフォーマンスをやれ」という文脈は、何の説明をしなくても、全員が理解してるじゃないか。だから、あの寸劇は蛇足じゃないかな。ハーフタイムショーはそもそもが”劇中劇”なのに、さらにもう一段階「枠」を作ってしまうのは、伝わり方がヌルくなってないか。
そう思うと、「Not Like Us」のイントロがかかって、入る小芝居とか、ちょっと陳腐じゃない? 「ただイントロがかかって一度止めて、10秒思わせぶりにスタジアムを見渡した後、やっぱり歌う」みたいなことでも、伝わる効果は同じだったんじゃないかな。余計な説明は入れずに、ケンドリックらしい、HIPHOPらしいライブをやれば、それで伝わったんじゃないか。
HIPHOP界隈のオタクたちが、「こんな意味のことを言ってたのか」「こんな要素を詰め込んでたのか」とか"ケンドリック様のお言葉”をやたらありがたがるリアクションにも興ざめした気がする。「考察要素を読み解けた優越感」がそんなに気持ちいいのかよ、と。
「Section.80」がリリースされた2011年よりも、「Alriht」の2015年よりも、それをDr.Dreのハーフタイムショーで歌った2022年よりも、はたしてアメリカはマシな国になってるのか。どうせなってないよね。「もっと怒ってくれよケンドリック。お前の曲をストレートにぶつけるパフォーマンスをしてくれよ」って、僕は思ったけどな。
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