2024年12月某日 ドン・キホーテのような憎めなさ
今日は、小5息子の吹奏楽部の発表に出かけた。おそらく今までで一番緊張しながら発表会を見たな。なんで緊張したのか。1カ月ぐらい前に「T先生の問題指導」が保護者LINEの中で噂されて、そのモヤモヤが解消されないまま本番当日を迎えたから。
どんな話か。どうも、朝練の時に、6年生の女の子とT先生が言い争いになったらしい。Sちゃんが先生の言い間違い(タイとスラ―の意味を逆に伝えていた)を指摘したところ、T先生は自分の間違いを認めずに言い返した。Sちゃんやその友達は音楽のプリントを出して、Sちゃんの指摘が正しいと伝えるも、T先生はすでに感情的になっており「初めからそうやって伝えていた」と譲らず、Sちゃんが泣きだしても怒鳴るのをやめなかった、と。それで、納得のいかなかった何人かの子どもたちは放課後練習をボイコットしたらしい。
子どもたちから聞いた情報を、親同士がグループLINEで伝え合って、「ありえないよね」というような言葉も出たりした。で、次の日には逆に、「朝練習をオブザーブしましたが、子どもたちも落ち着いてました」とか「T先生の指導も的確だった」とかのメッセージもLINEに並んで。「あんなに熱意のある先生はいないし、他に代えがたい。頭に血が上らないように、フォローしていきましょう。子どもたちにもそう伝えてください」みたいな呼びかけもあったりして。
僕は、その流れを見ながら、ただハラハラ、オロオロとするばかり。これ、「部活でいじめが温存される話」に似てない? 「バスケ部のエースが、下級生に暴力。問題なのはどう考えてもエースなんだけど、大会前にエースを失いたくないのでみんな見ないフリ。結局、部活を抜けたのは下級生の方だった」みたいなストーリー。それと同じことが、まさか自分の子どもの部活でもあるのか。
正直言って、僕はT先生のことが好きなのだ。音楽への熱意を隠さない、夢見がちなT先生に感化されて、子どもたちは「深い集中」のようなものを学んでると思う。褒めたり叱ったりということだけじゃなくて、子どもたちの「音楽への欲」をとてもよく引き出しているように思う。
保護者にも交代で「見守り当番」があって、僕も時々放課後の練習を見せてもらうんだけど、最初の10分ぐらいで、いつも感動してしまう。
子どもたちが音楽室に入ってくるタイミングはそれぞれで(授業の終わのタイミングも少しずつ違うし、トイレなどもあるんだろう)、子どもたちは、来た順番に準備を始める。ランドセルを下ろし、棚から楽器を持ってきてそれを組み立て、譜面台を用意して楽譜を広げる。最初から真剣な表情の子もいるし、友達とじゃれ合ってる子も、ちょっとノロノロと不器用な子もいる。子供らは、思い思いに音を鳴らし始める。全体で決められたタイミングまで待つのではなく、順番の指示があるわけでなく、おのおの楽器と一緒にウォーミング・アップを始める感じ。やがて誰かが、課題曲のフレーズを演奏し始める。それが伝言ゲームのように少しずつみんなに広がり、自然発生的に合奏が始まるのだ。先生も指揮で加わって、そのまま曲を最後まで演奏。そのタイミングで人数がそろったことを確認して、そこからルーティンの基礎練習になる流れ。この最初の10分の、何という美しさ。メンバーの子どもたちが、自発的に練習の準備を始めて、まるで遊びを始めるように曲を合わせていく。音階をいろんなリズムで合わせていく基礎練習も、単純だからこそ、楽団のレベルが上がっていることがよく分かる。子どもの成長のなんたる早さ。
T先生のことを好きだったからこそ、僕は「問題指導」の噂に動揺してしまって。「オレの目は節穴だったのかよ」と。どうしても、T先生に好意的な視点で話を解釈したくなる。T先生がムキになったのは、「自分の言い間違いを指摘されて腹を立てた」ということじゃなくて、「練習の流れを阻害するようなツッコミは自分勝手だよ、と伝えたかった」のではないか、とか。でもその度に、自分に反論して。「意図がどうであれ、子どもを泣かせて、その後しつこく言うのは適切じゃない。怒られたとしても納得してたら子どもは練習をボイコットしないでしょ」とか「先生を怒らせないよう、子どもに気を遣わせるんじゃなくて、理不尽な怒り方をしないよう、先生が気をつけなくちゃダメでしょ」とか思い直したりして。
うちの息子に先生のことを聞いてみると、「普段はポジティブの押し売りキャラなのに、本番前になるとピリピリが空回りするのは正直萎えるけど、まあ想定の範囲内。言い合いになったのはどっちもどっち」と落ち着いた反応(親よりよっぽど冷静である)。息子の落ち着きに甘えて、僕は「問題指導の件は様子見」を選択したんだけど。でも、親の期待(トラブルなく部活を続けて、安心させてほしいという期待)を分かって、息子はそれを内面化して、「落ち着いた対応」をしてるのかもしれない。だったら、様子見でいいのかどうか。僕の中で気持ちの整理がつかないまま1カ月が過ぎて(まあ、僕の気持ちはこの際どうでもいいんだけど)。
それで迎えた本番だったのである。どうやら空中分解することなく、この日までたどり着いたらしい。僕は、1カ月前の動揺を思い出しながら、ハラハラと舞台を見つめることになった。
そこで何が起きたか。…なにかに憑りつかれたかのような名演奏だったんである。
大げさに書くと白々しいかもしれない。控えめに言うならば、「感動した」の一言か。今まで、子どもたちの成長や、一生懸命な様子に感動したことはもちろんあったけど、今日、とてつもなく演奏がよかった。「歌心」の込められた音色。包み込むような優しさと、凛とした祈りが入り混じったようなハーモニー。温かくて、清々しい響きに心が震えたよ。涙を堪えられなかった。
演奏会終了後の解散前に。T先生が子どもたちや親たちに「締め」の挨拶をするんだけど。T先生、涙が止まらないんである。どうやら、曲の途中から泣けてきてしまって、曲が終わってからも、他校のセッティングの手伝いなどしながら思い出しては泣いていたらしい。この涙には、もらい泣きしやすい僕も、若干引いてしまった。「先生、主役は子どもたちじゃないか。何を陶酔してるんですか」と。
でも、それから5時間後。小学校にトラックで運ばれた楽器を、保護者数人で音楽準備室に片付けていた時のこと。そこには来ない段取りになっていたT先生が自転車で駆けつけてきた。先生は会場でのタスクがあり、学校の片付けには間に合わないはずだったが、渋滞でトラックの到着が遅れていることを聞いてダメ元で駆けつけて来たらしい。でもおそらく、昼食を抜いて休みなしで動いてただろうT先生はヘロヘロで、楽器運びの力仕事などできる状態でもなさそう(実際に1学期の時はケガをした)。そして、この期に及んでまだ泣いてるんである。
いやあ、うらやましいよ、T先生。人生、これほどまでに泣ける日は、人生でそう何回も来るものじゃないよね。そして、心配だよT先生。子どもたちに反発されながら、呆れられながら、これからも全力で指導するのか。たぶん、ほどほどにして休みながらやった方がいいと思うけど、それはできないんだろうなあ。ドン・キホーテのような憎めなさに、僕も結局はもらい泣きしてしまった。
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