実はまだしつこく縄文関係の本を読んでいるんだけど、昨日読んだのがめっちゃ良かった。これ↓
少し前にここで紹介したって本では、
もともと大工だった雨宮さんが縄文大工になった経緯と体験を綴り、プロの大工視点からの縄文建築を考察していて、とても興味深かった。
一方、の2人組は普通のアラサーサラリーマン。当然、専門知識なんてなくて、遊び半分に週末だけ縄文人になっていろいろ試し始めたらハマったという感じ。でも、その素人感がとても面白い。
だって、縄文人だって最初は専門知識なんてなかったはずだもん。そういう意味で、よりリアルな縄文人に近いのはこっちの2人組なんじゃないか。
を読んだときも思ったけど、遺跡や出土品の研究だけではわからないことに迫るために、自らが縄文人と同じ条件でいろいろ再現してみるってスゴい。そして実際にそこから得られる知見も想像以上で説得力がある。
山遊びとして始めただけの週末縄文人「縄」と「人」の2人にはそんな目的はなかったと思う。でも、2人の苦戦っぷりや、2人がその都度感じたことや考えたことを読んでいると、縄文人も似たような体験をしたに違いないと思えてくる。
この本の中では、2人は火を起こしたり、磨製石斧を作ったり、縄を撚ったり、針を作って縫い物をしたり、土器を作ったり、竪穴式住居を作ったりしている。
個人的に面白かったエピソードはこのあたり:
- 石斧を作るときに柄にする木が必要となったが、石斧がないので木が簡単に切れないという矛盾に気づく
- 木の皮や植物の繊維は撚って縄にしないと強度が得られないと気付き、縄の発明の凄さに驚く
- 土器作りが想像を遥かに超えて難しいことや、かなり手間をかけてしか作れない粘土が貴重品ということに気づく
何でもゼロからイチにするのは難しいんだけど、石斧や縄を知識や技術がまだない状態で作り出す難しさは、やっぱりこうやって見せてもらえるまで全然想像できていなかった。前回「縄文人、1万年も何してたの?」発言の謝罪をしたけど、もう土下座した方がいいかもしれない。
あと、納得感しかなくて強烈だったのはこういうの。
- 縄の強度に感激したのちに土器作りに挑戦したが、途中で割れたりして全然うまくいかず「自分たちで撚った縄を土器に押し付けて文様を施したのは、土器にも縄の強度を宿したいという想いがあったからではないか」と思った話
- 木や石から道具を作る行為と違い、土器作りは自由な創作であることに気づき、「縄文土器のエネルギッシュな造形は、自由な創作に出会った縄文人の爆発的喜びだったんじゃないか」と思った話
こういうのって、自らが縄文人になっていろいろ試行錯誤してみないと絶対に出てこないよね?遺跡を掘ってるだけじゃ絶対わからない。
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世の中には、やってみないとわからないことがたくさんある。てか、何でも自分で体験してみないと本当の本当にはわからないと思う。
でも「何かやってみて、自分がどう感じたのかきちんと観察し、言語化する」ということをしない人って意外と多い気がする。特に若者たちを見ていると、タイパ、タイパと言って逆に「最適解と言われるものを先に見つけてそれだけ実行、他のことはしない」とか「経験者の要約を(可能なら倍速で)見聞きしておしまい」という人が多いように見える。
それじゃ新しい発見なんてないよ、自分を知ることもできないよ、とあたしはいつもヤキモキしている。
だから、この若いサラリーマン2人組の本が余計に痛快に思えたのかもしれない。
ちなみに、一番最後に文くんの方が
縄文人は労働時間3時間なんてウソだ
でもこんな豊かな日々はない
とコメントしていてワロタ。
食べ物には困っていなかったから、縄文人は狩猟採集には3時間しか時間を割かなかったかもしれない。でも、毎日の生活を良くしようと日々奮闘していたと思う。
週末の縄文人の2人みたいに。