
教師不足が3827人。若手・中堅の6割が定年まで働けないと感じている。
本日の日本教育新聞に並んだ二つの記事は、一見別の問題のように見えるが、根っこは完全に一つである。
教員という仕事が、専門職として尊重されていないということだ。
数字が突きつける現実
教師不足3827人という数字は、特に特別支援学校で深刻だという。そして、日教組青年部の調査では若手・中堅の6割が定年までこの仕事を続けられないと感じている。
この二つの数字を並べれば、当然の帰結が見える。人が足りないのは、人が辞めていくからであり、人が辞めていくのは、この仕事を続けられないと感じるからである。あまりにも単純な因果関係だ。
そして、昨日のブログで書いたように、部活動の学習指導要領への「明記」だの地域移行だのと言いながら、肝心の地域移行は遅々として進んでいない。
スポーツ庁のフォローアップ調査でも、平日の地域移行に取り組んでいる自治体は3割程度にとどまっている。
「改革推進期間」が終わって2026年度から「改革実行期間」に入るというが、実態として教員の負担感は何も変わっていないのではないか。
案の定、である。
専門職としての尊重の欠如
自分がずっと感じているのは、教員が「教えることの専門家」として尊重されていないということだ。
授業をつくり、教材を研究し、生徒の学びを見取って評価する。それが教員の本業であるはずなのに、現実には部活動の指導、事務作業、保護者対応、地域連携…と、本業以外の業務が際限なく膨らんでいく。
そしてそれらを「教育の一環」という便利な言葉で正当化してきた。
先日のブログでも書いたが、専修免許の取得促進にしても同じ構図がある。
教員の専門性を高めるというお題目は立派だが、その実態が研修の寄せ集めで免許を安売りするものであれば、かえって専門性の価値を損ねることになる。
修士論文を書く余裕すらない現場に、さらに「取りやすくしました」と言われても、それは専門性の向上ではなく形骸化である。
プライドを傷つけられ続けて、それでも長く働こうと思える人がいるだろうか。
自分の専門性が尊重されていると実感できない職場で、定年まで頑張ろうと思えるだろうか。6割が「無理だ」と答えているのは、至極当然の結果なのだ。
構造的な問題を直視できないのはなぜか
ここまで明白な構造的問題があるのに、なぜ直視されないのか。
部活動の意義はあるのかもしれない。地域クラブ活動の価値も否定はしない。
しかし、学校教育の本体である授業や学級が立ち行かないほどに人がいなくなっている現状で、部活動に配慮している余裕があるのだろうか。甚だ疑問である。
家が燃えているのに、庭の手入れを議論しているようなものだ。
必要なのは、教員の労働時間の管理であり、専門職としての処遇改善であり、本業に集中できる環境の整備である。
部活動の学習指導要領への明記でも、免許制度の弾力化でもない。
誰がこの直視を妨げているのか。自分には正直なところ分からない。
ただ、「教員の献身に甘えてきた」という構造そのものが、あまりにも長く続きすぎて、もはや誰もがそれを「当たり前」だと思ってしまっているのではないかと感じる。
教員を専門職として尊重し、その労働を正当に守る。
それなしに教師不足の解消も、若手の定着もありえない。20年以上かけてじっくりと壊してきたものが今すぐ直るとも思わないけど。