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「明記」の前に現場を守るべきでは

スポーツ庁と文化庁が、次期学習指導要領の総則に「適切な活動時間での部活動の実施」を明記する方針を決めたという。

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働き方改革推進のためだというが、自分にはこれが教員の労働環境改善につながるとは到底思えないのである。

明記すれば解決するのか

学習指導要領に明記すること自体は悪いことではない。しかし、問題はその順序である。労働環境の整備が先か、文書への明記が先か。

自分は明らかに前者だと考える。

部活動が教員の長時間労働の主因の一つであることは、もう何年も前から指摘されてきた。

2018年のスポーツ庁ガイドライン策定以降、いったいどれだけの現場が改善されたのだろうか。地域移行の掛け声は何度も聞いたが、実際に進んでいるのはごく一部の自治体だけではないのか。

「適切な活動時間」と書いたところで、それを守らせる強制力がなければ何も変わらない。むしろ「指導要領に書いてあるんだから、やってください」という新たな業務要求の根拠になるだけではないだろうか。

標準時間と上限規制の不在

教科の授業には標準時間がある。

国語は年間何時間、数学は年間何時間…という具合に。それは教育課程の編成において極めて重要な基準であり、学校はこれを大きく逸脱することはできない。

では、部活動はどうか。「適切な活動時間」とは言うが、具体的な時間数は示されるのだろうか。

週あたりの上限、月あたりの上限、年間の総時間。

そういった数値的な縛りがなければ、結局は現場の裁量—というより、際限なき要求—に委ねられてしまう。

授業なら、月曜から土曜まで毎日8時間授業をして、日曜日は「自主学習」と称して生徒を学校に呼び出す…などという運用はできない。

それは明らかに教育課程の逸脱である。しかし部活動においては、それに近いことが平然とまかり通っている学校もあるのではないだろうか。

学習指導要領に位置づけるというのなら、教科と同様に標準時間を定め、それを超えた活動には法的な歯止めをかけるべきである。

そうでなければ「明記」は単なるお題目に終わってしまう。

労働環境の整備なき「明記」

記事には「部活動指導員の配置や適切な活動時間の設定など、働き方改革推進の重要性をより明確にする」とある。

しかし、指導員の配置は予算の問題であり、自治体の財政状況に大きく左右される。明記すれば予算がつくわけではない。

適切な活動時間の設定も同様である。設定だけなら誰でもできる。問題はそれを守らせる仕組みと、守れない場合のペナルティである。保護者や生徒からの「もっと練習を」という要求に、個々の教員が抗えるのか。学校管理職が毅然とした態度を取れるのか。

働き方改革というのなら、まず労働時間の上限規制を法律で定め、それに違反した場合の罰則を設けるべきでは?

そして指導員の配置を義務化し、そのための予算を国が責任を持って確保する。そういった具体的な手立てが先であって、学習指導要領への明記はその後ではないのか。

「地域クラブ活動」の位置づけ

記事によれば、地域展開後も学校教育の一環として、学習指導要領に地域クラブ活動も位置づけるという。これもまた、現場への負担増にしかならないのではないかと危惧する。

地域クラブ活動が学校教育の一環であるということは、学校がその運営や安全管理に一定の責任を持つということである。

しかし実際の運営主体は地域であり、指導者も外部の人間である。そこでトラブルが起きたとき、学校はどこまで関与すべきなのか。

曖昧な位置づけは、結局のところ学校と教員に「念のため関わっておく」という追加業務を生み出すだけではないだろうか。

地域移行というのなら、思い切って学校教育から切り離し、完全に地域のスポーツクラブ、文化団体として再編すべきである。その予算がないとすれば、教員に支払われるべき対価にタダ乗りして搾取しているだけなのである。そんな慣習は早くどうにかした方がよい。

「明記」が目的化していないか

自分が懸念するのは、「学習指導要領に明記した」という事実そのものが目的化し、実質的な改善が置き去りにされることである。

働き方改革を謳いながら、結果的に教員の業務を増やし、責任範囲を拡大させる…そういった「改革」は、これまでにも散々見てきた。

部活動の問題は、教員の献身的な努力に甘えてきた構造的な問題である。

それを解決するには、予算措置、法整備、人員配置といった具体的な手立てが必要である。学習指導要領への明記は、そうした環境整備が整った後の、いわば「仕上げ」であるべきだろう。

順序を間違えれば、改革は掛け声だけに終わり、現場の疲弊はさらに深まる。そうならないことを願うばかりだが…まあ、正直なところ、あまり期待はしていない。

自分の悲観が杞憂に終わることを祈るのみである。

こんなことを祈らされるくらいに、現場の感覚とズレていることを言い出しているし、ムチャクチャなことを言っている。

他のカリキュラムオーバーロードなどの問題と根本的に違うのは、労働問題であり、強いては教員の権利の問題である。

いい加減、これだけ教員志望者が減っているのに、搾取するような真似はやめないのか。




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