
相模原市が2026年度から、不登校の児童生徒を対象に校外で無料の健康診断を受けられる取り組みを開始するというニュースを目にした。
横浜市でも先行してモデル事業が行われ、同年度から全市立学校に拡充されるという。
完璧に抜け落ちていた視点
学校保健安全法は、毎学年、児童生徒の健康診断を行うことを学校に義務付けている。しかし、その健診は校内で学校医が集団で実施するのが一般的であり、不登校の子どもたちをフォローする明確な規定はない。相模原市では2024年度、定期健診を受診できなかった児童生徒が内科で903人、歯科で949人にのぼるという。
本村賢太郎市長は会見で「学校には行けないけれども、保護者からの健康状況を見てもらいたいという声があった」と説明したそうだ。この保護者の声は、切実なものだろう。子どもが学校に行けなくても、疾患も年齢とともに変化していく。その変化を専門家に診てもらう機会が、「学校に来ない」という一点だけで失われてしまう。
自分にとってこの観点は完璧に抜け落ちていた。
教員として、不登校の生徒の学習支援や居場所づくりについては、担任として直面せざる得ないこともあり、それなりに考えてきたつもりでいた。
だが、「健康診断を受けられない」という、もっと手前にある、もっと基本的な問題に思い至っていなかったのである。当たり前に学校に通い、当たり前に健診を受けられることを、自分自身が「当然のこと」として疑いもせずに過ごしてきた。
「学校に来なければ支援を受けられない」という構造
考えてみれば、学校という場には多くの支援が集約されている。
健康診断、給食、スクールカウンセラー、図書室、友人関係…。学校に通えている子どもにとっては、これらはすべて「当然に享受できるもの」だ。しかし、不登校の子どもにとっては、学校に来られないことで、これらの支援からまとめて切り離されてしまう。
横浜市では不登校の児童生徒が2024年度に市立小中学校で1万人を超えたという。健診未受診者も6000人から7000人規模にのぼるとされている。病気や虐待のリスクが見逃されている可能性がある、という指摘もある。これは「教育」の問題であると同時に、「子どもの健康と安全」の問題なのだ。
インクルーシブな教育ということを考えるとき、自分はどうしても「教室の中でどう多様性を包摂するか」という方向に思考が向きがちだった。
しかし、本当のインクルーシブとは、教室の中だけの話ではないのだろう。自分の発想だと「来られる人だけのインクルーシブ」になってしまう。
自問し続けること
自分自身の仕事を振り返ると、「学校に来ることを前提にした支援」の枠組みの中にどっぷり浸かっていることに気づかされる。
授業の工夫も、ICTの活用も、行事の運営も、すべて「学校に来ている生徒」を主語にして考えてしまっていないか。
…と書きながらも、では具体的にどうすればいいのか、と問われると明確な答えを持っているわけではない。
これ以上担任や先生が過剰に何か重荷を背負い込むことにも限界があるだろうしね…。
どうしたものだろうか…