
常翔学園中学校が第7回目となる模擬選挙を実施するというプレスリリースを読んだ。
9つの国政政党から現役議員を招き、中学3年生がマニュフェストを聞いて模擬投票を行うという取り組みだ。2019年度から続く実践であり、「自らの考えを主張できる良識ある主権者の育成」を掲げている。
選挙教育はなぜ必要なのか
まず大前提として、学校が選挙や政治について教えることは極めて重要だと自分は考えている。その理由はシンプルだ。政治に対する興味関心を持たせなければ、民主主義そのものが危うくなるからである。
若年層には「どうせ自分が投票しても何も変わらない」という無力感や、そもそも政治的な判断をするための情報や視点を持ち合わせていないという課題があると言われている。
そうした状況で若年層が政治から遠ざかっていけば、民主主義は形骸化していく。だからこそ、18歳で選挙権を持つ前に、学校という場で政治や選挙について学ぶ機会を設けることには大きな意義がある。
常翔学園の取り組みも、3年後に選挙権を取得する中学3年生を対象にしている点で、タイミングとしては理にかなっている。
現役の国会議員や市議会議員から直接話を聞く機会は、生徒にとって政治を「自分ごと」として捉えるきっかけになりうるだろう。
不偏不党の原則という壁
しかし、である。学校における選挙教育は、どうしても「不偏不党の原則」という壁にぶつかる。
教育基本法第14条第2項には「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と明記されている。
この原則自体は、教育の中立性を守るために必要なものだ。
特定の政党や候補者を支持するような授業が行われれば、それは教育ではなく政治活動になってしまう。ただ、この原則があるがゆえに、教員は選挙教育に対して慎重にならざるを得ない。
常翔学園の実践では、9つの国政政党から議員を招くことで、バランスを取ろうとしている姿勢が窺える。現場の苦労が忍ばれるところだ…ほんとに。
もちろん、「完全な中立」など存在しないという現実もある。教員がどれだけ気をつけても、言葉の端々に何らかの価値観は滲み出る。それでも、学校という公的な場で政治を扱う以上、この「どう触れさせるか」という問いは常につきまとうのである。
形式的な「体験」を超えられるか
もう一つの悩ましさは、模擬選挙という取り組みが「形式的」になりやすいという点だ。もちろん、今回の中学校の試みが形式的だっていいたいわけではない。
模擬投票を行うこと自体は、選挙のプロセスを体験するという意味で意義がある。
投票用紙に記入し、投票箱に入れるという一連の流れを経験することは、決して無駄ではない。しかし、それが単なる「行事」として消費されてしまっては、生徒の記憶に深く刻まれることはないだろう。
おそらく、単発のイベントとして終わってしまえば、その効果は限定的だ。重要なのは、模擬選挙をきっかけに、日常的に社会の出来事について考え、議論し、自分なりの意見を形成していくプロセスが生まれることなのだろうと思う。
実感をどう生み出すか
では、模擬選挙を生徒の「一生にわたって実感としてつながるような試み」にするためには、どうすればいいのだろうか。
模擬選挙の後に、生徒自身が投票理由を振り返る時間を設けることも有効かもしれない。「なぜその政党に投票したのか」「他の選択肢とどう比較したのか」といった問いを通じて、自分の判断プロセスを言語化する経験は、リテラシーの基盤にもなるように思う。
さらに言えば、模擬選挙を「正解探し」にしないことも大切だ。どの政党を選んでも、それは生徒なりの考えに基づいた選択であり、尊重されるべきものである。むしろ、「なぜそう考えたのか」を互いに共有し、異なる意見に触れられる場になって欲しいものだ。
悩ましさと向き合いながら
模擬選挙という取り組みには、多くの可能性と同時に、多くの悩ましさが伴う。不偏不党の原則をどう守るか、形式的な体験に終わらせないためにどうするか…企画を立てるだけでも苦労が絶えないのが想像される。
でも、どこかで向き合う課題なんだろうな…。