
なかなかのパワーワードな見出しの記事を見つけた。
「生成AI使えないおじさん」とはずいぶんな評価である。向こうからやってきたものに対して急に対応できないからといってこき下ろすのはあまりお行儀の良いものでもないなぁという印象である。
ちなみに学校は「使えない」人は山程いるので、この問題は大きいのだよ…。そういう使えない人を小馬鹿にしても活用が進むわけでもないので悩ましいところである。
使いたいものがあれば使う
「使い方がよく分からない」「一度試したけどあまりうまくいかなかった」「もう飽きた」などと敬遠しているようでは、変革を拒絶したかつての頑固な「パソコン使わないおじさん」と同じになってしまう。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC167L90W4A710C2000000/ より。2024/07/29確認
上記の引用部分に出てくるようなセリフは、ある意味で生成AIを使うことが目的化していて、生成AIに対してなにか期待をしている訳でもないのにとりあえず触ってみたという使い方なのでうまく行っていないのだろう。
生成AIがこれまでのAIと少し毛色が違うのは、とにかくなんでも出来てしまうことである。だからこそ、なにか深くやってみたいということがなければ、ピタッと自分のやりたかったことを解決してくれたという感覚を掴むことは難しい。
どんなことをしてみたいのかということを掘り下げずに、とりあえず使っておかないと困るからやれ、と言われても使い方に慣れないままに、なんとなく出力されるデータに圧倒されて終わってしまうのである。
逆になにかやってみたいと思うことがあるならば、それを言語で投げかけるだけで、はっきりと解決策が見えるようになるので、生成AIの威力を感じることができるのだ。
理由もわからないままに押し付けられたものを受け取って生きるのが生き物の定めだなんて割り切りはできないでしょうから、なんとか意味を見つけなければならないのである。
じゃあ、学校の中で教員が使いたくなる意味とはなにか?
いろいろな制約を考えると、やっぱりそれほど簡単には何かを言うことは難しいのではないかと思うところだ。
そういう使うことへの心理的なハードルを軽く見ていては利用が活発になることはほばないだろう。
対立を煽る必要はなく
基本的にいろいろな対立を煽るようなものいいは学校で何かを始めたいと思うのであれば悪手である。
やりたいことをやるのであれば、周りをどれだけ説得できるかが重要であり、わざわざ感情の対立を煽ってどうにかするような類の話ではないのだ。
まあ…学校という場所が何かと競って成果を出すということを目的としていないから、そういうのんびりとしたことを言えるとも。