細雪:谷崎潤一郎著のレビューです。
- 作者:谷崎 潤一郎
- 発売日: 1983/01/10
- メディア: 文庫
感想
谷崎文学とともに過ごした1年を振り返りながらの「細雪」
すごくすごく長い小説で、一体結末はどこに辿りつくのか?ひょっとしたらこの姉妹たちの日常は、最初のページと全く変わりなく終わるというオチだったりして?
それともタイトル通り美しいシーンで読者にうっとりした余韻を残す描写で締めくくるのだろうか等々、余計なことをぐるぐる考えながらページをめくること929回。ようやく辿りついたラストページ。なんとなんと・・・こんなちょっと吹き出してしまうような置き土産を書き残し、ササッと筆を置いたおっちゃん。
もうこの誰も立ち入れないシャットダウン的なプツンと終わらせる潔さ。
雪子の最後の様子をこんな形で読者に残すなんて!まったくもって自由すぎる!なぜだかピンポンダッシュして逃げ去って行くおっちゃんの後ろ姿が浮かんでしまう。
ちょっと、ちょっと、待ってえーやぁあああ!
わたし、心底このおっちゃんが大好きになってしまった(笑)
ということで、ラストの文面に釘づけになり、半笑いしながら読了。このラストを読むために、自分はどんだけ寝不足になったことやら。(あのラストは映画ではどんな感じになってるのだろうか?)内容は4人姉妹の三女と四女の結婚についてあれやこれやと
つらつら、ダラダラ書き綴ったもの。ダラダラというとちょっと失礼ですが、まさに切れ目なくこの二人が嫁に行けるかどうかが綴られる。
姉二人の夫婦を巻き込み、一家総力挙げて「婚活」を繰り返すのである。その様子を900ページも書き続けるのだから本当にすごい。
特にこの妹二人の性格が真逆ということもあって、どちらもいろんな意味でハラハラ、イライラさせられるわけで。恐らく三女・雪子だけの縁談ストーリーであったら退屈に感じたはずだが、小悪魔的な存在、四女・妙子がいることによって目が離せないものになって行く。
雪子は何事も極端に消極的で他人任せな古風な女性であるものだから、お見合いを何回してもなかなか纏まらず。もう、結婚なんてしないで、ずっと姉のところに居ればいいのに~なんて思うのだが、世間体もあって何度も何度もお見合いを繰り返す。
一方妙子は男性関係もコロコロ変わる野獣系の女子。男性問題のみならず水害や病気、そして妊娠・流産に至るまで、嵐のように問題を引き起こしては家族を困惑させる。
この二人の女性の対比が実に巧く描かれている。
それにしても男性なのに、この女性描写の細やかさったら。資生堂の美容室とか、おっちゃん行ったんか?(笑)いかに谷崎が女性達に囲まれ、妻とその姉妹や女中たちの様子をじっとり観察していたかということが文章の端々から感じ取れる。
◆「普通」である作品に新鮮さがあるのは谷崎だからこそ
さてさて、これだけ名作と言われている作品であるにもかかわらず、「4人姉妹の話」というくらいで、他作品のように強烈な特徴や感想がこれまで意外にも自分の耳に入って
来なかった。
なるほど、読んでみるとある一家の日常を描いたものに過ぎない。特徴という特徴があるわけでもない。なのになんでこんなに寝不足になるまで読みふけってしまったのだろうか。
女系家族、昔の風俗や生活様式が覗けて、美味しいものや異国情緒や優雅な雰囲気が漂う。女中さんや異人さんも随所に登場し、適度な波乱がある。このあたりが自分の好みとマッチングしたのかなと思う。
あと、この時代にありがちな女性が耐えたり、ギスギスしたり、不幸になったりという類のものではないのもいいんですよねぇ。
なんというか、色々あるんだけど、基本的には日だまりにたむろってる猫たちのような姉妹って感じの日々なのです。(いよいよ訳分からない表現ですが)
谷崎のおいたち、人柄、そしてバリエーション豊かな作品をこの1年読みふけって来た者としては、チラチラと見えるおっちゃんの気配を次女の夫に重ね合わせ、あれこれ想像しながら読むのもこれまた楽しかったのデス。
「細雪」は谷崎の集大成であり、思い入れの強い作品だと聞いていた。戦中も原稿を手離さず書いていたと。それゆえにこんなにも本を開くときの喜びと緊張感を持たせてくれる。大事に大事に読ませてもらいました。
さて、山田詠美氏の「賢者の愛」を読んだのが昨年の2月。この本をきっかけに谷崎文学と共にあった1年が間もなく終わる。自分にとって谷崎の作品はどれも印象深く、嫌いな作品はないと言っても過言ではない。まさに作品との相性が抜群であった。
考えてみれば学生時代、外国の映画館で無修正の「鍵」を何も知らずに観て大火傷し、のちに谷崎と主役の岡田眞澄氏と言えば、「スケベな人」と何年も友達とネタにしていた。(ファンファン大佐、スミマセン)
また、「絶対コレがいい」と選んだ成人式の晴れ着が「細雪」をモチーフにしたものであったなど、私の青春時代に谷崎は「変態路線」と「美しいもの路線」という両方面から、しっかりアピールしていたのだ。
振り返れば色々とご縁があったのにも関わらず、不思議なくらい作品を読むまで時間がかかった。これは私から谷崎への「放置プレイ」だったと言うことに(笑)
この年になっての谷崎デビュー。最初は出遅れ感もあったけれども、共に読み進めた読書仲間とあれこれ突っ込みを入れながら読めたのもタイミング的に良かった。
もしかしたら私にとって谷崎文学を読む適齢期が「今」だったのかなぁ~とも思える。
ということで、様々な感慨に浸りながらひと段落。谷崎を読んだあとは、いつも次に読む本が気の毒なくらい物足りなさを感じてしまうという現象があった1年。没後50年ということもあって、やたらおっちゃんが目についた年でもありました。
色々な意味で谷崎潤一郎の凄みを噛みしめながら、あらためておっちゃんと、作品に登場したすべての人々に「楽しい時間をありがとう」と言いたい。