aikoと斉藤和義はスケベである。これは確固たる事実だ。
この2人はライブで下ネタを言いまくる。呼吸をするように下ネタを言う。下ネタがないと「今日はどうしたんだろう?」と心配になるほどに言う。
例えばaikoはMCで「ちんこ」の話を頻繁にする。ちんこについて語ることが好きらしい。
自分が行ったaikoのライブでは、ちんこの話をしなかったことは1回しかない。ちんこはaikoのライブの定番となっている。
2019年のさいたまスーパーアリーナ公演では「男子はフランクフルト食べる時に、心と股間が痛まへんの?」と謎の下ネタをぶっ込んでいたし、2020年のZepp Tokyoでは「お前ら!ちんこ出せ!ちんこ見せろ!」と観客に訴えかけていた。aikoの願いは叶わず、誰もちんこを出さなかった。
さらには無観客配信ライブでも「おっぱいちんこモードで行きましょう」と謎のパワーワードを発言してから歌っていた。
日常生活でちんこの話を不特定多数を相手にする人はほとんど居ない。そもそもちんこの話をしようと思わない。それをするのはスケベを極めた者だけだ。
つまり頻繁にちんこに触れるaikoはスケベの極みである。これは間違いない。※ここで言う「ちんこに触れる」とはちんこの話に触れるという意味である。
ちなみにaikoは露出狂の素質がある。
先日東京ガーデンシアターで行われたライブでは、「見て見て!デコルテ.../////」と言って、Tシャツの襟を引っ張って自らのデコルテを見せつけていた。これもスケベである故の行動だ。デコルテはとても綺麗だった。
ちなみに斉藤和義も露出狂である。aikoと同様にスケベである。
2019年に行われたビクターロック祭りでは、おもむろにTシャツをまくり、無言のまま無表情で乳首を見せつけてきた。乳首は色も形もとても綺麗だった。
昨年マツコとテレビ局で偶然再会したが、その間マツコは「久しぶりね」とずっと斉藤の乳首を触ってきたそうだ。
斉藤和義の乳首は定期的に話題になる。
2014年にはマツコに乳首をずっと触らせたことを、ミュージックステーションでタモリに話していた。斉藤和義の乳首はSNSで話題になり、ネットニュースで報道された。
ちなみに『タモリ倶楽部』で放送された『メンズ乳首浮きがち問題』の特集で、タモリは「前川清の乳首はデカかった」と語っている。タモリは乳首に強い関心があるようだ。斉藤和義の乳首をどのように評価しているかも気になる。
乳首に注目されがちな斉藤だが、そもそも乳首は関係なく、ずっとスケベだったんだぜ。
彼の「せっちゃん」というファンに親しまれているニックネームにもスケベな由来がある。
大学時代に「セックスしたい」と言い続けたので、友人が「セックス」の頭文字を取って「せっちゃん」と呼び始めたらしい。犬を「ワンちゃん」と呼ぶのと同じノリである。鳴き声のようにセックスを連呼していたのだろう。スケベかつヤバい。
2人がスケベであることにも、理由がある。
一般的な成人は信頼している相手でなければスケベになれない。TPOを弁えずにちんこの話をしたらセクハラだし、公共の場で乳首を出したら逮捕される。
しかしaikoも斉藤和義も、セクハラで訴えられてはいないし逮捕もされていない。つまりファンが心を開いて、ちんこも乳首も受け入れているのだ。ファンとアーティストの双方で信頼し合っているのだ。
だからこそファンの前でaikoはちんこ好きのデコルト披露スケベになれるし、斉藤和義はセックス大好きな乳首露出スケベになれる。ファンへの信頼の形を「スケベ」という表現で伝えている。
しかしスケベさだけでファンへの信頼を表現しているわけではない。音楽ではスケベを出さずに信頼の気持ちを伝えることが多い。
自身の感情や考えを歌で曝け出しているのだ。赤裸々で嘘偽りない言葉で歌っている。ファンへの信頼があるからこそ、このような作風になっているはずだ。
例えばaikoの最新アルバムの1曲目に収録されている『ばいばーーい』という楽曲。
〈この歌を作り終えた頃 あたしは少し前を向いている〉という生々しい最後のフレーズは、赤裸々に自身を音楽によって曝け出しているからこその表現に思う。
ライブ定番曲『be master of life』の〈誰が何を言おうと関係ない あたしは味方よ〉という歌詞も、ファンのことを信頼しているからこそ生まれた言葉だ。
ちんこがなくてもファンと繋がることはできる。それを音楽で示している。
音楽を聴けばaikoがただのスケベではないと理解できる。彼女の本質はファンを大切にする一流のアーティストなのだ。
斉藤和義だってそうだ。例えば『君の顔が好きだ』では〈君の顔が好きだ 君の髪が好きだ 性格なんてものは僕の頭で勝手に作りあげりゃいい〉と歌っているが、これも賛否を気にせず赤裸々に感情を表現している歌詞である。
彼がボーカリストとして歌う意味や想いが詰まっている『歌うたいのバラッド』も聴いて欲しい。
赤裸々な想いが乗った名曲だからか、音楽としてだけでなく斉藤和義のドキュメントとしても評価されている。このような楽曲を作れるアーティストは少ない。
歌唱と楽曲制作の技術や個性だけが評価されたわけではなく、「想い」も評価されているのだ。それがしっかり伝わったからこそ、aikoと斉藤和義は多くの人を感動させているのだ。
もしかしたらaikoと斉藤和義がスケベ人間になってしまったことは、ファンに責任があるかもしれない。
aikoがちんこの話をしている時に、嬉しそうに手を挙げて喜んでいるファンをライブで観たことがある。ファンもスケベだ。自分もファンの1人として、ちんこトークを喜んでいた。自分もスケベである。
以前『マツコ会議』に斉藤和義のファンが出演していた。
斉藤の乳首を触った経験があるマツコ・デラックスに対し「どんな乳首でした?」と、ファンは満面の笑みで質問していた。スケベである。

乳首を見せる斉藤和義。乳首を触るマツコ・デラックス。どんな乳首か気になるファン。登場人物全員がスケベである。
サービス精神旺盛でファン想いの2人は、期待に応えようとして本格的なスケベに目覚めた可能性がある。2人をスケベ人間にさせてしまった戦犯は、ファンなのだ。
しかしそれは悪いことでないと思う。
ファンがスケベになれる理由は、アーティストに対し心を開いているからだ。心を開かせるほどに感動する音楽を聴いたから、スケベを晒すほどにアーティストを信頼してしまうのだ。
信頼していない相手からちんこの話をされても喜ばないし、50代男性の乳首を見ても興奮しない。aikoのちんこだからこそ、斉藤和義の乳首だからこそ、喜んでしまうのだ。
アーティストとファンが強い信頼関係で結ばれている最高の関係であることを、双方がスケベな発言と行動をすることによって表現している。この関係は誇るべきだ。これほど強固な信頼で繋がることは滅多にない。スケベを誇っていこう。
これからもaikoは「おっぱいちんこモード」で活動を続けて欲しいし、斉藤和義は「相変わらず綺麗だな」と思える乳首を見せ続けて欲しい。
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