消えてしまいたい
消えてしまいたいと思ったことはあるだろうか。
自分はある。「生きていてごめんなさい」と謝罪しながら消えたくなったことがある。つい最近の話だ。
それは雲ひとつない快晴の13時。家族連れやカップルで賑わう土曜日のお台場。みんな笑顔。楽しそう。
この場で青ざめた顔で「消えたい」と思っていたのは自分だけだったのかもしれない。

鈴木愛理の握手会に行ったことが理由だ。鈴木愛理と握手したことによって消えたくなった。
ステージでキラキラと輝いていた鈴木愛理。そんな鈴木愛理が目の前にいる。自分の手を握ってくれる。普通は「消えたい」と思うことのない状況。
握手する前、自分は笑顔だった。ワクワクしていた。永遠にこの場に居たいと思った。
それが、鈴木愛理を目の前にして、手を触れた時に一瞬で変わってしまった。
【事故情報】
— むらたかもめ🌏音楽ブログ (@houroukamome121) 2019年8月18日
8月18日午後1時35分頃鈴木愛理のリリースイベントにて事故が発生。
むらた「ロッキンで観て良かったんで今日来ました!」
鈴木愛理「ありがとうございます!」
むらた「手、柔らかいですね!」
鈴木愛理「ん?あ、ありがとうございます・・・・・・」
むらた「手、柔らかいですね」
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
消えてしまいたい......
なぜキモい発言をしたのか?
我ながらキモいことを言ってしまったと思う。無意識に自然にキモさを発揮した。
アイドルオタクはキモい生き物である。異論は認めない。異論を唱えること自体がキモい。これを読んでいるお前もたぶんキモい。
そのため多少のキモいことをやっても自分自身で開きなおることができる。「オタクはキモいからwww」と。
しかしだ。握手をして「手、柔らかいですね」はキモさを超えている。セクハラだ。ヤバイ奴だ。逮捕案件だ。超えちゃいけないラインを考えなければならない。握手会で話す会話なんて「応援しています」「好きです」という会話で十分だったはずだ。
鈴木愛理の少し困ったような反応。それを見た時、生きていてごめんなさいと思った。
キモかったことは反省している。消えるべき人間かもしれない。でも言い訳はさせて欲しい。
鈴木愛理の手が予想をはるかに超える柔らかさだったんだもん。
飛びっきり美味しいものを食べたら「美味しい」と言ってしまうだろう。それと同じ感覚。仕方が無いことなのだ。柔らかい手の鈴木愛理にも非があると思う。
人によって違う柔らかさ
自分が今まで触った手の中で最も柔らかかった人物は誰だろうかと思い浮かべてみる。すぐに1人の人物が頭に浮かんだ。
岡崎体育だ。彼と握手をした時、その柔らかさに魅了された。
肉厚で包み込まれる様な感触。少し湿っているデメリットはあるが、それを帳消しにする柔らかさ。まるでじっくり煮込んだチャーシューのよう。
それは岡崎体育の肉厚な体型が影響していると思う。おそらく手だけではなく身体のいたるところが柔らかいはずだ。
鈴木愛理は岡崎体育と違い華奢。岡崎体育ほどの肉厚さはない。むしろ肉がないのではと思うほど細い。それなのに岡崎体育に負けないぐらいに柔らかいのだ。
しかし、柔らかさの種類は違う。
岡崎体育がチャーシューだとすると、鈴木愛理はパンケーキの柔らかさ。
岡崎体育は胃もたれした時に近い感覚になるが、鈴木愛理の握手は心も癒される。
いや、よく考えたら鈴木愛理の手はパンケーキとも違う。パンケーキほど気取っていない。もっと身近な存在だ。
身近で柔らかい存在。そしてチャーシューのように肉厚ではない。
そうだ。ヤマザキのふんわり食パンだ。
ふんわり食パンについて
ふんわり食パンを初めて食べた時の感動は忘れられない。衝撃的だった。

過去にも新食感宣言や超芳醇など名作食パンを生み出した山崎パン。しかしそれらの食パンはトーストした時に本領を発揮した。
外はカリッと中はふんわり。その食感こそ食パンを食べる魅力であり、安価で食パンの魅力を楽しめることが山崎パンの強みだった。
ふんわり食パンは、食パンの常識をぶち壊した。
トーストにしないことによって魅力を最大限に発揮しているのだ。トーストでなくても食パンは美味しいという新しい価値観を作った。
最近柔らかさはアップデートされパンのミミまで柔らかくなったふんわり食パン。たぶん鈴木愛理の耳も柔らかいと思う。
カリッとした食感を捨てた代わりに最大級の「ふんわり」を提供してきた。それは新食感宣言よりも新食感で、柔らかさに関しては超芳醇よりも芳醇している。
その柔らかさは8枚切りだとしても変わらない。薄くても柔らかさで包まれてしまう。
それは、鈴木愛理の手と似ている。
鈴木愛理は華奢で細い。細いというか体が薄い。8枚切りの食パンと同じ薄さだ。見た目からは柔らかいとは想像できない手だ。
岡崎体育ならば柔らかいことも予想できる。肉団子の塊のような見た目。鈴木愛理の10倍ほどの体積。なんかでかい体。
鈴木愛理の柔らかさは予測できない。むしろ肉がないので固いと思っていた。むしろこちらが柔らかく包んであげようと思っていた。
手を握った瞬間に感じる、予想を裏切る柔らかさの喜び。その衝撃のせいで、ついつい口走ってしまう。
「手、柔らかいですね」と。
鈴木愛理の握手会は1000円のCDを購入すると参加できた。ふんわり食パン同様に庶民に優しい価格。
ちなみに岡崎体育の握手会は2000円のCDを買うことで参加できた。鈴木愛理の2倍の金額だ。
は?
鈴木愛理の柔らかさは手だけではない
我ながらキモすぎることは理解している。
自分も初対面の知らない男から「手、柔らかいですね」と言われたらキモすぎて鳥肌が立つ。知人だったら縁を切る。
鈴木愛理と自分は初対面。というか、一般人とアイドル・歌手の関係。本来は最下層国民の自分は関わってはならない存在。
そんな最下層国民のクズが「手、柔らかいですね」とクソな発言を最上級食パンの鈴木愛理に言ってしまった。普通に「応援してします」「好きです」と言うべきだった。
最低だ。どれほど手が柔らかかいと感じても言ってはならない言葉だ。キモい言葉で傷つけてしまっただろう。
鈴木愛理も表情が曇る。対応にこまっている様子。最下層国民の自分が鈴木愛理を困らせてしまった。申し訳ない。消えたい。消えるべきだ。生まれてきてごめんなさい。生きていてごめんなさい。
消えたい。消えたい。消えたい。
この世の終わりのような感情になった自分。やべえやつがきたなと思ってそうな鈴木愛理。
しかし、こんなクズでも生きていていいのかもしれないと少しだけ思えた瞬間もあった。
鈴木愛理の曇った表情は一瞬で変わった。ニコッと笑った。柔らかい表情。八重歯に癒される。
彼女の柔らかい部分は手だけではなかった。表情も柔らかかった。きっと鈴木愛理という人間が柔らかい存在なのだ。たぶん関節も柔らかい。
手で優しく包み込んだ後、柔らかな表情で包み込んでくれた。こんなキモいクズ人間を癒してくれた。
笑顔の柔らかさはホイップクリームのよう。ふんわり食パンにホイップクリームをサンドさせたような最強の組み合わせ。
岡崎体育のチャーシューにマヨネーズをぶっかけたような握手とは違う。そんなジャンクな柔らかさではない。
手の柔らかさで包み込まれた後、柔らかな表情で癒される。そして思う。
「表情、柔らかいですね」
自分が鈴木愛理にお返しできることはあるのか?
なぜ鈴木愛理はキモい発言をしたゴミ人間の自分に柔らかな表情で優しくしてくれたのだろうか。
それはキモいファンの対応に慣れていることも理由だろう。手の柔らかさを伝えるよりもキモいことを伝えるファンがいるのかもしれない。
アイドルオタクはみんなキモいもん。「自分は普通だ。キモくない」と自称するドルオタもいるが、普通を自称すること自体がキモい。これを読んでいるお前もたぶんキモい。
キモい人間に鈴木愛理が慣れていただけかもしれない。しかし、きっとそれだけではない。
彼女は心やさしい女性だ。誰もを優しく包み込む柔らかな心を持っている。優しく包みこむ柔なかな表情をする。手も柔らかい。たぶん関節も柔らかい。
それに対して自分はどうだろう。鈴木愛理のように柔らかい部分はあるのだろうか。
ゴツゴツした固い手。表情も緊張で固い。頭も固い。「手、柔らかいですね」と変態発言をする。関節も固い。
柔らかさで癒してくれた鈴木愛理に対して、何かお返しをしたいのに、この固さでは何も返せない。自分も柔らかさで包んであげたいのに。
自分の柔らかい部分を探してみる。必死で探してみる。とりあえず関節は固い。
そして、見つけた。自分の唯一の柔らかい部分を。
唇だ。
唇だけは柔らかい。ぷるぷるしている。自分の唇は鈴木愛理の手に匹敵する柔らかさがある。
鈴木愛理は手の柔らかさで癒してくれた。「手、柔らかいですね」とキモいことを言って消えたく鳴ってしまった自分を柔らかな表情で受け入れてくれた。
今度は自分が鈴木愛理を癒す番だ。この唇を使って。
もしも、また鈴木愛理と握手する機会があったら、この柔らかい唇で「キスをあげるよ」今さら「好き」なんて言葉よりキキメあるでしょ?
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