2025年7月某日
「じーじ」が亡くなりました。
享年81歳でした。
ご遺族の方から連絡をいただいたのは19日(土)でした。
その連絡を受けてから、もう本当に毎日毎日涙が出てます。
私とは血が繋がってはいませんでしたが、血が繋がった本当のお爺ちゃんのような存在でした。
初めて私がじーじと出会ったのが16歳、私は今42歳なので、26年の付き合いでした。
こんなに長い付き合いになるとは、夢にも思ってなかったね、じーじもそう思うよね。
昨日、お線香をあげにじーじの家に行って来ました。
とても素敵な遺影でした。
生前「もう遺影は撮ってあるんだ」と聞かされていましたが、「まだしばらくの間そんなのいらないでしょ」なんて会話したっけなぁ。
とても素敵なイケおじいだったね。
本当に。
「おお、よく来てくれたなぁ」って。
「元気で頑張れよぉ」って。
話し始めるんじゃないかと思うくらい、素敵な遺影だったよ、じーじ。
もう会えないんだねぇ、じーじ。
もうお喋りできないんだね、じーじ。
寂しいよ。
もう、じーじとの思い出が、これ以上増えないんだね。
じーじと何度も2人で出かけたね。
血の繋がったお爺ちゃんは秋田に住んでいたから、そんなことしたことなかったよ。
だから私の中ではじーじも血の繋がったじーじと変わらない存在のじーじだったよ。
じーじと、じーじの同級生のお爺さん方とも一緒にいろんなところの神社仏閣を歩いて見て回ったね。
鎌倉に行ったとき、私の帽子にセミが止まって、ぎゃあぎゃあ騒いでたら「うるせえ!」って怒りながらセミ取ってくれたよね。
「セミ、止まってたの?私の帽子に?いたんでしょ?」って聞いても、怖がらせないためなのか「いねーよ!いないけど叩いたフリしたんだよ。これで安心だろ」ってぶっきらぼうに言ってくれたね。
口は悪いし、イケメンでもなんでもないけど、でも優しいじーじだった。
じーじとじーじの同級生のお爺さん方と一緒に歩いて回って、
昼過ぎからお酒飲んで、
「あのときこうだった」みたいな話を何べんも繰り返すだけなんだけど、
でもその時間が好きだったよ、じーじ。
毎回そのパターンなんだって分かってたけど、楽しかったよ、じーじ。
話すこともだいたい一緒。でも私は聞いてるだけで楽しかったんだよ、じーじ。
じーじが元気だった70歳過ぎのころ、「四国のお遍路さん歩かなきゃいけない」「今度は逆打ちだ」とかなんとか言って、
その予行練習のために何十キロも荷物抱えて家の近所を何十キロと歩き回って、
「今日は何キロを抱えてどこそこまで行って来た」なんて話を聞くたびに、
「70過ぎてるのになんて元気な爺さんなんだ」と思っていたよ。
じーじがすい臓がんになってしまって、
もちろん覚悟はしてたけど、
若いころ散々迷惑をかけたことを謝ることができなかった。
今までの感謝を伝えることもできなかった。
最後に顔を見て、直接伝えたかったな、じーじ。
もう、いわゆるお爺ちゃん構文のLineも届かないんだね、じーじ。
「スマンな」
「アリガトウ」
みたいな、「ふふ」って笑っちゃうじーじのLine、もう届かないんだね。
何日経っても悲しいし涙が溢れて止まらないよ、じーじ。
抗がん剤の治療、辛かったよね。
歩くの大好きだったのに、歩けなくなって、辛かったよね。
顔に似合わず小さいお花が大好きだったじーじ。パスタが好きだったじーじ。
揖保乃糸も好きだった。秋田の稲庭うどんも好きだった。麺類好きだったよね、じーじ。
そうだ、居酒屋行ったって、可愛い小皿とか見て「安モンだけど可愛いな」なんて言ってたね。
顔に似合わず、女性が好きそうなお皿とか、装飾とか、小さいお花とか、そういうの好きだったじーじ。
天国に行ったら、今まで我慢してた分、好きなだけお酒を飲んで、
好きなだけ天国のお花畑を歩いてね。
あと40~50年経ったら私もそっち行くから、そのときは道案内してね。
「お前も老けたなぁ」なんて言われそうだけどね。
でもそれまでは孫が元気にこれからの人生を送っていけるように
見守っててよね!
またね、じーじ。
本当にありがとう。