普段、書くことが溢れてくるので、あまりお題は気にしていない私です。
ですが、りょうさん(id:ryousankunchan)がこのお題で書かれていて、懐かしい先生方を思い出したので記事にしたいと思います( *´艸`)
と、思っていたらもう今週のお題は変ってるんじゃない??(笑)
ニューヨークで住んでいた頃、私は28歳ぐらいだったかと思います。
約一年弱いましたが、その間は「留学ビザ」で行っていたので、ずっと英会話学校に通っていました。
同居していて、今でも海外とかにも一緒にいく友人とはクラスが違いましたが、同じ学校に通っていました。
クラスメイトは日本人が4人、韓国人が2人、中国人が1人、トルコ人が1人、ウクライナ人が1人、ブラジル人が1人という10人のクラスだったと記憶しています。
時々2人ぐらい増えたり減ったりがありましたが、概ね最後まで一緒のメンバーが上記10人だったような気がします。
最初の先生はJay(ジェイ)という男性の先生で、私はこの先生が大好きでした!
40代前半ぐらいの年齢だったように思います。
とっても生真面目な感じがして、授業が「ちゃんと授業」という感じなので意外性はあまり無い先生でしたが、とっても優しかったです。

↑ いつもソフトなしゃべり方で、魅力的な先生でした
授業の内容は、「意見交換会」のような感じで、題材を決めてそのことについてディスカッションします。
白熱したから覚えているのは、
- 「キング牧師と人種差別」について
- 「原爆は本当に必要だったのか」について
の2つの議題です。

↑ いつも輪になるような感じで座っていました
原爆の話の時は、クラスメイトの一人の日本人・リエは広島出身でした。
彼女が原爆について語り、周りからは様々な意見が飛び交いました。
「なんで日本人はもっと怒らないのか?」と言ったのはトルコ人のボラでした。
Jay先生が「なるはどう思う?」と聞いてきたのです(;´Д`)
「過去のことに怒っていても、前には進めない。二度とやっちゃいけないこと!とあちこちで実際に祖父母が経験した被爆の話を語った方が意味がある…」そんなことを言ったような気がします。
こんな時は、どんなに英語に自信がなくても「堂々と話すこと!」とJay先生はおっしゃってました。
毎日の授業がとっても楽しみで、代行の先生が来るとガッカリするほど、Jay先生の授業が好きでした。
「僕は今日でお終いです。来週から違う先生が来るので楽しんでください」と言われた時は本当にショックでした(´;ω;`)
Jay先生は必ず最後にとっても上手にまとめてくれるのです!
どんな人種の生徒が聞いていても、頷いて聞いてしまうほど、先生の話はスッと心に入ってきました。
次にいらした先生はエイドリアンという女性の先生で28歳ぐらい(同い年位)に見えました。
細身で金髪ショートカットの可愛い先生でした!
コーヒーを飲みながら机の上に座って挨拶をはじめました。

↑ 急にクラス全体の雰囲気が変わりました(ノ´∀`*)
常にガムを噛んでいて、クチャクチャするので発音が聞き取れないことも…(;´Д`)
「今日はみんなで外に出よう!どこでドリンクを買う?」
なんて突然課外授業をしちゃうような先生でした。

↑ 話の内容なんて大したことないそんなピクニックでしたが…(笑)
ゲームをやったり一緒にビデオで映画を観たりして、それについて語ったりするタイプの先生でした。
一番印象に残ってる映画が「ワンダとダイヤと優しい奴ら」という映画です(;´Д`)
あまりの違いに最初は凄く戸惑ったし、Jay先生と比べちゃってなんだかなーってクラスメイトと話していました。
そしてある日、突然の別れが来ます。
ポンといつものように机に座り、急に「聞いて欲しいことがあるんだ…」と言います。
「私ね…妊娠しちゃったの!気持ち悪くて通えないから仕事を辞めるんだ…」
「えええええ!!!」
みんなの口をポカンと開けた表情が忘れられません!(笑)
その次に来た先生とは1週間ぐらいだったので、ほとんど記憶にありません。
私達の留学の期間が終わって、ヨーロッパ旅行に出かけちゃったからです。
2人の先生の違い…どのように思われましたか?
日本でも小・中・高などでも様々な先生とお会いしてきましたが、やっぱりニューヨークという地で出会った先生は2人とも忘れられません!
本当に対照的な印象の先生お2人だと思います。
私達はエイドリアン先生と最後にクラスの中で、色々なものを持ち寄って「おめでとう&さようならパーティー」をしました。
私にとっても、ニューヨーク生活も終盤だったのでクラスメイトとの別れがとっても寂しかったのを思い出します。
日本人4人で出かけたこともあったし、韓国人2人と友人とで独立記念日の花火を見たり、コニーアイランドの海にいったりと楽しんだことを思い出します。

↑ 今思えば、私にとっては「一番の青春」だったのかもしれませんね!
友人のクラスメイトとの交流もありました。
自分達の部屋では日本語しか話さなかったけど、一歩外に出ると本当に全てを考える時、当時は英語で考えていたと思います。
二度とあのような経験は出来ませんが、本当に楽しかったです!
2人の先生は今でもお元気かしら…と時々思い出したりします。