1.はじめに
自民党は、①自衛隊の明記、②緊急事態対応、③合区解消、④教育充実、の4点を憲法改正すべき項目に掲げています。そこで、本ブログ記事では、「教育拡充」の部分を見てみたいと思います。
「教育の充実を憲法に書き込むべきだ」
この主張は、一見すると誰も反対しづらい“善い提案”のように聞こえます。しかし、憲法に理念的な文言を追加することは、教育の自由や国家の役割を大きく変える可能性を秘めています。自民党案の条文を丁寧に読むと、その影響は決して小さくありません。
(関連するブログ記事)
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について
2.自民党の「教育充実」に関する改正案および説明
自民党の「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」2頁によると、「教育充実」の条文案はつぎのようになっています。

(自民党「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」2頁より)
条文案について自民党は「日本国憲法の改正実現に向けて(解説)」9頁で、つぎのように説明しています(抜粋)。
(1)自民党憲法改正案26条3項の構造
上記にあるように、自民党の説明は、現行憲法26条には「教育の理念」の規定がないとしてその規定を主張しています。その上で、「生涯学習」の必要性、教育の「デジタル化・リモート化」の必要性などの多様な教育の在り方は、「将来の日本を背負う個性豊かな国民を育てる」ことに通じるとしています。
そして、自民党憲法改正案26条3項は、「国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。」としています。
すなわち、自民党憲法改正案26条3項は、「教育の理念」として、
すなわち、自民党憲法改正案26条3項は、国民の①人格完成や幸福追求のため、および②「国の未来を切り開く」ため、の2点を「教育の理念」として憲法に書き込もうとしているわけですが、これは妥当なのでしょうか。とくに2番目の「国の未来を切り開く」が問題となります。
(2)国はどこまで教育に介入すべきなのか
この点、憲法26条の「教育を受ける権利」に関する重要な論点は、教育を受ける権利に応えるべきなのは、もっぱら国なのか、あるいは親、教師などの国民なのかという問題です。
すなわち、教育内容についてはもっぱら国が関与・決定をする権限を有しているとする考え方(国家教育権説)と、子どもの教育について責任を負うのは、親およびその付託を受けた教師を中心とした国民であり、国は教育の環境整備の任務を負うにとどまるとする考え方(国民教育権説)との対立があります。
この問題が争われた、旭川学テ事件(最高裁昭和51年5月21日判決)において、最高裁は、国家教育権説も国民教育権説のどちらも「極端かつ一方的」であるとして、その折衷的な立場をとるべきであるとしました。
すなわち、教師に一定の範囲で教育の自由が認められると同時に、国も一定の範囲で教育内容を決定する権能を有するとします。とはいえその際、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、たとえば誤った知識や一方的な観念・思想を子どもに植えつけるような内容の教育をほどこすことを強いるようなことは憲法26条、13条から許されないと判断しています。
この点、憲法学説は、国は教科、授業時間等の教育の大綱を決定することはできるが、国の教育内容への過度な介入は教育の自主性を害し許されないとしています(芦部信喜『憲法 第8版』296頁)。
ところが、この自民党憲法改正案26条3項は、「国の未来を切り開く」ことを教育理念の一つとし、そのため国は教育の環境整備を行うとしています。
「国の未来を切り拓く」という文言が憲法に入ることのリスクは、抽象的な将来の危険ではなく、すでに現実に起きたことの延長線上にあります。2006年の安倍政権下の教育基本法改正では、教育の目標として「愛国心」の涵養が明文化されました(「我が国と郷土を愛する……態度を養う」、教育基本法2条5号)。これは、国家が教育理念を法律レベルで定め、教育内容に介入した現実の例です。
教育基本法という法律レベルでもそのような介入が起きたのであれば、「国の未来を切り拓く」という理念が憲法に明記された場合、政府は「憲法上の要請」として愛国心教育や国家貢献型の教育をより強力に推進する根拠を得ることになります。法律より憲法のほうが規範として上位にあるため、介入の根拠がより強固になります。
そのような憲法上の根拠に基づく教育介入は、上記の旭川学テ判決が警戒した「一方的な観念・思想を子どもに植えつけるような国家的介入」に該当するおそれが高まります。
歴史を振り返ってみても、戦前・戦中には「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。(=もし国の緊急事態があれば、国民は国に尽くし天皇に身を捧げよ)」との教育勅語による国家主義的・軍国主義的な思想教育がわが国では行われてきました。
教育勅語による国家主義的・軍国主義的な思想教育は、まさにこのような『子どもに一方的な観念・思想を植えつける国家的介入』の典型でした。自民党憲法改正案26条3項が『国の未来を切り拓く』という理念を憲法に明記することは、最近の教育基本法改正における愛国心条項の例が示すように、このような歴史の轍を踏む危険性を否定できません。したがって、同改正案は旭川学テ判決および憲法学説の立場に照らしても、妥当でないと考えられます。
(3)立憲主義
そもそも近代的な憲法とは、中世の教会や王室、さまざまなギルドなどからの市民への支配を打破してゆく過程でできてきたものです。そのような精神はアメリカ独立戦争やフランス人権宣言にも受け継がれ、世界の現代の憲法もその流れのなかにあり、わが国の現在の憲法もそのなかのひとつです。つまり、「国家権力の専横を制限することにより国民の自由や人権を保障する」という考え方である立憲主義が近代的な意味の憲法の基本原則です。
つまり、近代的な、立憲的な意味での憲法においては、国民の人権や、個人の尊重が守るべき「目的」であり、国家はそのための「手段」です。
そのことは、現行憲法の前文第1段の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」という一文に現れています。
すなわち、国家は国民の「福利」つまり自由や人権のための手段であること、それは人類普遍の原理であること、その原理に反する一切の憲法、法令は排除されるべきであるという立憲主義を宣言しています。
そして、立憲主義の観点からは、憲法とは国家権力に歯止めをかける法であって、その名宛人は国家であることから、憲法において、国民を名宛人として「国の未来を切り開く」義務を課すことは立憲主義に反し筋違いです。
「国の未来を切り開く」ために働くこと自体は倫理的には素晴らしいことだと思われますが、しかし、個人がどのような事柄を学び、どのような分野で働くのか、自分は国家に尽くすのか等の問題は、政府が上から押し付けるのではなく、国民の間の自由な議論を経て、最終的には個人の内心と自己決定にゆだねるべき事柄です。
したがって、自民党憲法改正案26条3項は妥当ではありません。
なお、自民党は「憲法26条には教育理念がない」と主張していますが、現行憲法26条1項は「教育の平等」という教育理念だけを既に規定しています。これは「国家を繁栄させる義務」等を国民に課しておらず、立憲主義の観点から極めて正しい姿勢だと思われます。
4.「無償教育」の拡大?
また、上記でみたように、自民党憲法改正案26条3項は、「各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。」と規定しています。
これは、現行憲法26条2項の「義務教育は、これを無償とする。」を拡大し、保育園・幼稚園、高校や大学等も無償とするためであるように読めます。しかし、高校や大学の無償化はわざわざ憲法に書き込まないと実現できないものなのでしょうか。
現行憲法26条2項は「義務教育は、これを無償とする」と規定していますが、保育園・幼稚園、高校や大学等の無償化を禁止する文言が規定されているわけではありません。
この点、最近、「高校無償化」の政策が推進されていますが、これは2014年に「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」が「高等学校等就学支援金の支給に関する法律」に改正されて実現したものです。すなわち、保育園・幼稚園、高校や大学等の無償化はわざわざ憲法改正は必要ではなく、法律の制定や改正で十分実現可能なものです。
したがって、「教育の無償化」の観点からも、憲法改正を実施する必要はありません。
5.憲法89条の改正
さらに、自民党憲法改正案89条は、現行憲法の「公の支配」を「公の監督」に変更するとしています。この改正案は2012年の自民党憲法改正草案にも存在しており、その趣旨を自民党は「私学助成が憲法上禁止されているのではとの疑念を解消するため」としています。つまりこの改正は、「規制緩和」のための改正であるようです。
しかし、この条文は、「慈善、教育若しくは博愛の事業」、つまり今風に言えばNPOやNGOに対して国が野放図に財政支援を行うことで国の放漫財政を防ぐことや、国のNPOやNGOへの不適切な介入を防ぐことです。国の放漫財政の防止や、国のNPOやNGOへの不適切な介入防止は重要な事柄であると思われますので、これも「規制緩和」するのではなく、現行どおりのままでよいように思われます。
また、憲法89条は憲法20条の規定する「政教分離」を財政面から支える条文です。その89条の歯止めを緩めてしまうことは、わが国の政教分離を緩めてしまうおそれがあります。つまり、自民党と懇意な宗教団体(旧統一教会など)に対して歯止めが緩まることで支出の余地が拡大するおそれがあり、わが国の政教分離がゆがめられてしまうおそれがあります。この点からも、自民党憲法改正案89条は妥当でないように思われます。
6.まとめ
このように、「国の未来を切り開くための教育」を憲法に盛り込むことは立憲主義や、教育の自由に関する判例・学説の考え方、個人の内心の自由や自己決定の観点から妥当ではありません。また、「教育の無償化」についても、これをわざわざ憲法に盛り込まなくても教育の無償化は実現できます。したがって、自民党は憲法改正案26条についても見直し・撤回をすべきと考えられます。
また、憲法改正案89条も放漫財政の防止や、政教分離をゆがめないために、現行どおりのままのほうが良いように思われます。
■関連するブログ記事
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法前文~憲法24条まで)
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法25条~憲法102条まで)
■参考文献
・芦部信喜『憲法 第8版』296頁
・木村草太『増補版 自衛隊と憲法』189頁
・伊藤真『増補版 赤ペンチェック自民党憲法改正草案』60頁、65頁
自民党は、①自衛隊の明記、②緊急事態対応、③合区解消、④教育充実、の4点を憲法改正すべき項目に掲げています。そこで、本ブログ記事では、「教育拡充」の部分を見てみたいと思います。
「教育の充実を憲法に書き込むべきだ」
この主張は、一見すると誰も反対しづらい“善い提案”のように聞こえます。しかし、憲法に理念的な文言を追加することは、教育の自由や国家の役割を大きく変える可能性を秘めています。自民党案の条文を丁寧に読むと、その影響は決して小さくありません。
(関連するブログ記事)
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について
2.自民党の「教育充実」に関する改正案および説明
自民党の「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」2頁によると、「教育充実」の条文案はつぎのようになっています。

(自民党「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」2頁より)
条文案について自民党は「日本国憲法の改正実現に向けて(解説)」9頁で、つぎのように説明しています(抜粋)。
・日本国憲法26条は、教育を受ける権利・教育を受けさせる義務・義務教育の無償化を規定している。戦後直後、国民生活が混乱を極める中で、教育こそ国家再建の基礎であり、せめて義務教育は無償化するという国家の基本政策を規定したものである。一方、教育に関する理念は盛り込まれていない。3.「国の未来を切り開く」ための教育
・そこで、教育を取り巻く環境の変化に応じた教育の理念を規定する必要がある。
・「教育」については、現在では、従来の初等・中東・高等教育という区分けのみならず、学び直し(リカレント教育)や、年齢にかかわらず生涯を通じて学ぶことが出来る「生涯学習」が必要とされる時代になっている。
・また、「教育格差による社会的な格差の固定化」などと言われるように、経済状況や収入の多寡にかかわらず、全ての国民がそれぞれに合った教育を受けることが必要とされている。さらに、現代においては、デジタル化の進展とともに、教育のリモート化も進められるべきである。
・このような多様な教育の在り方は、日々の国民生活に直結するものであると同時に、将来の日本を背負う個性豊かな国民を育てることにも通じるものである。
・教育のデジタル化を含め、あらゆる方々に一生を通じて教育の機会を保障する理念を国家の基本法である憲法に規定することは、極めて重要なことである。
(自民党「日本国憲法の改正実現に向けて(解説)」9頁より(抜粋))
(1)自民党憲法改正案26条3項の構造
上記にあるように、自民党の説明は、現行憲法26条には「教育の理念」の規定がないとしてその規定を主張しています。その上で、「生涯学習」の必要性、教育の「デジタル化・リモート化」の必要性などの多様な教育の在り方は、「将来の日本を背負う個性豊かな国民を育てる」ことに通じるとしています。
そして、自民党憲法改正案26条3項は、「国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。」としています。
すなわち、自民党憲法改正案26条3項は、「教育の理念」として、
①教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであることことの2つを掲げ、国は、「各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め(=無償教育の拡大)、教育環境の整備に努め」ると規定しています。
②国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものである
すなわち、自民党憲法改正案26条3項は、国民の①人格完成や幸福追求のため、および②「国の未来を切り開く」ため、の2点を「教育の理念」として憲法に書き込もうとしているわけですが、これは妥当なのでしょうか。とくに2番目の「国の未来を切り開く」が問題となります。
(2)国はどこまで教育に介入すべきなのか
この点、憲法26条の「教育を受ける権利」に関する重要な論点は、教育を受ける権利に応えるべきなのは、もっぱら国なのか、あるいは親、教師などの国民なのかという問題です。
すなわち、教育内容についてはもっぱら国が関与・決定をする権限を有しているとする考え方(国家教育権説)と、子どもの教育について責任を負うのは、親およびその付託を受けた教師を中心とした国民であり、国は教育の環境整備の任務を負うにとどまるとする考え方(国民教育権説)との対立があります。
この問題が争われた、旭川学テ事件(最高裁昭和51年5月21日判決)において、最高裁は、国家教育権説も国民教育権説のどちらも「極端かつ一方的」であるとして、その折衷的な立場をとるべきであるとしました。
すなわち、教師に一定の範囲で教育の自由が認められると同時に、国も一定の範囲で教育内容を決定する権能を有するとします。とはいえその際、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、たとえば誤った知識や一方的な観念・思想を子どもに植えつけるような内容の教育をほどこすことを強いるようなことは憲法26条、13条から許されないと判断しています。
この点、憲法学説は、国は教科、授業時間等の教育の大綱を決定することはできるが、国の教育内容への過度な介入は教育の自主性を害し許されないとしています(芦部信喜『憲法 第8版』296頁)。
ところが、この自民党憲法改正案26条3項は、「国の未来を切り開く」ことを教育理念の一つとし、そのため国は教育の環境整備を行うとしています。
「国の未来を切り拓く」という文言が憲法に入ることのリスクは、抽象的な将来の危険ではなく、すでに現実に起きたことの延長線上にあります。2006年の安倍政権下の教育基本法改正では、教育の目標として「愛国心」の涵養が明文化されました(「我が国と郷土を愛する……態度を養う」、教育基本法2条5号)。これは、国家が教育理念を法律レベルで定め、教育内容に介入した現実の例です。
教育基本法という法律レベルでもそのような介入が起きたのであれば、「国の未来を切り拓く」という理念が憲法に明記された場合、政府は「憲法上の要請」として愛国心教育や国家貢献型の教育をより強力に推進する根拠を得ることになります。法律より憲法のほうが規範として上位にあるため、介入の根拠がより強固になります。
そのような憲法上の根拠に基づく教育介入は、上記の旭川学テ判決が警戒した「一方的な観念・思想を子どもに植えつけるような国家的介入」に該当するおそれが高まります。
歴史を振り返ってみても、戦前・戦中には「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。(=もし国の緊急事態があれば、国民は国に尽くし天皇に身を捧げよ)」との教育勅語による国家主義的・軍国主義的な思想教育がわが国では行われてきました。
教育勅語による国家主義的・軍国主義的な思想教育は、まさにこのような『子どもに一方的な観念・思想を植えつける国家的介入』の典型でした。自民党憲法改正案26条3項が『国の未来を切り拓く』という理念を憲法に明記することは、最近の教育基本法改正における愛国心条項の例が示すように、このような歴史の轍を踏む危険性を否定できません。したがって、同改正案は旭川学テ判決および憲法学説の立場に照らしても、妥当でないと考えられます。
(3)立憲主義
そもそも近代的な憲法とは、中世の教会や王室、さまざまなギルドなどからの市民への支配を打破してゆく過程でできてきたものです。そのような精神はアメリカ独立戦争やフランス人権宣言にも受け継がれ、世界の現代の憲法もその流れのなかにあり、わが国の現在の憲法もそのなかのひとつです。つまり、「国家権力の専横を制限することにより国民の自由や人権を保障する」という考え方である立憲主義が近代的な意味の憲法の基本原則です。
つまり、近代的な、立憲的な意味での憲法においては、国民の人権や、個人の尊重が守るべき「目的」であり、国家はそのための「手段」です。
そのことは、現行憲法の前文第1段の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」という一文に現れています。
すなわち、国家は国民の「福利」つまり自由や人権のための手段であること、それは人類普遍の原理であること、その原理に反する一切の憲法、法令は排除されるべきであるという立憲主義を宣言しています。
そして、立憲主義の観点からは、憲法とは国家権力に歯止めをかける法であって、その名宛人は国家であることから、憲法において、国民を名宛人として「国の未来を切り開く」義務を課すことは立憲主義に反し筋違いです。
「国の未来を切り開く」ために働くこと自体は倫理的には素晴らしいことだと思われますが、しかし、個人がどのような事柄を学び、どのような分野で働くのか、自分は国家に尽くすのか等の問題は、政府が上から押し付けるのではなく、国民の間の自由な議論を経て、最終的には個人の内心と自己決定にゆだねるべき事柄です。
したがって、自民党憲法改正案26条3項は妥当ではありません。
なお、自民党は「憲法26条には教育理念がない」と主張していますが、現行憲法26条1項は「教育の平等」という教育理念だけを既に規定しています。これは「国家を繁栄させる義務」等を国民に課しておらず、立憲主義の観点から極めて正しい姿勢だと思われます。
4.「無償教育」の拡大?
また、上記でみたように、自民党憲法改正案26条3項は、「各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。」と規定しています。
これは、現行憲法26条2項の「義務教育は、これを無償とする。」を拡大し、保育園・幼稚園、高校や大学等も無償とするためであるように読めます。しかし、高校や大学の無償化はわざわざ憲法に書き込まないと実現できないものなのでしょうか。
現行憲法26条2項は「義務教育は、これを無償とする」と規定していますが、保育園・幼稚園、高校や大学等の無償化を禁止する文言が規定されているわけではありません。
この点、最近、「高校無償化」の政策が推進されていますが、これは2014年に「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」が「高等学校等就学支援金の支給に関する法律」に改正されて実現したものです。すなわち、保育園・幼稚園、高校や大学等の無償化はわざわざ憲法改正は必要ではなく、法律の制定や改正で十分実現可能なものです。
したがって、「教育の無償化」の観点からも、憲法改正を実施する必要はありません。
5.憲法89条の改正
さらに、自民党憲法改正案89条は、現行憲法の「公の支配」を「公の監督」に変更するとしています。この改正案は2012年の自民党憲法改正草案にも存在しており、その趣旨を自民党は「私学助成が憲法上禁止されているのではとの疑念を解消するため」としています。つまりこの改正は、「規制緩和」のための改正であるようです。
しかし、この条文は、「慈善、教育若しくは博愛の事業」、つまり今風に言えばNPOやNGOに対して国が野放図に財政支援を行うことで国の放漫財政を防ぐことや、国のNPOやNGOへの不適切な介入を防ぐことです。国の放漫財政の防止や、国のNPOやNGOへの不適切な介入防止は重要な事柄であると思われますので、これも「規制緩和」するのではなく、現行どおりのままでよいように思われます。
また、憲法89条は憲法20条の規定する「政教分離」を財政面から支える条文です。その89条の歯止めを緩めてしまうことは、わが国の政教分離を緩めてしまうおそれがあります。つまり、自民党と懇意な宗教団体(旧統一教会など)に対して歯止めが緩まることで支出の余地が拡大するおそれがあり、わが国の政教分離がゆがめられてしまうおそれがあります。この点からも、自民党憲法改正案89条は妥当でないように思われます。
6.まとめ
このように、「国の未来を切り開くための教育」を憲法に盛り込むことは立憲主義や、教育の自由に関する判例・学説の考え方、個人の内心の自由や自己決定の観点から妥当ではありません。また、「教育の無償化」についても、これをわざわざ憲法に盛り込まなくても教育の無償化は実現できます。したがって、自民党は憲法改正案26条についても見直し・撤回をすべきと考えられます。
また、憲法改正案89条も放漫財政の防止や、政教分離をゆがめないために、現行どおりのままのほうが良いように思われます。
■関連するブログ記事
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法前文~憲法24条まで)
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法25条~憲法102条まで)
■参考文献
・芦部信喜『憲法 第8版』296頁
・木村草太『増補版 自衛隊と憲法』189頁
・伊藤真『増補版 赤ペンチェック自民党憲法改正草案』60頁、65頁






