新年もひと月が終わろうとしています。
2025年。
1月産まれのわたくし、40代へと突入しました。
いやぁ。
子供も大きくなるわけだ、
親も老いるわけだ。
子供の頃、祖母の家を訪ねるたびに
「はつはるがこんなに大きくなるんだもんなぁ、ばあちゃんも年とるな」
という、
金歯がきらめく笑顔から受けていた言葉を、まさに自分自身に感じています。
そんなケラケラと笑っていた祖母も昨年亡くなり、お正月は喪中欠礼だったわが家。
みんなの年賀状欲しいし(←)、欠礼はがき出さずに寒中見舞送ろう〜、と思っていたけれど、、
年賀状、全然来なくてびっくりした。
年賀状じまいってやつかしら。
昨年祖母が亡くなったことで、私にはついに『おじいちゃん』も『おばあちゃん』もいなくなってしまった。
寂しい気持ちと、命が巡る不思議さと。
40代になった私がいれば、ティーンエイジャーとなる娘がいる。
そんな私も娘も受け継いだらしい、豊かな髪をもっていた母が数年前に「還暦記念に」と買ったウィッグは、実家の畳部屋に鎮座している。
みんな、日々を生きて、歳を重ねる。
冬休みの帰省は、例年通り年末に済ませました。
リビングで過ごす時間、父とちょっと話題にのぼった、
『死んだらどうするか』問題。
父方の祖父母が眠るお墓は伯父もともに眠りにつき、今はその息子である従兄が管理している。
父は高卒で上京した身で、はなから故郷の墓に入るつもりはない。
そして父は、『跡を継ぐ』みたいなシステムを好まないたちをしている。
「なにも残したくないんだよね」
「気持ちの問題じゃん?」
「いっそ全部焼き尽くしてもらっていいんだけどね」
と笑っていた。
何年か前に、
同じような話題になったときには
「縁起でもない話をするもんじゃない」
と拒絶していたけれども。
その変化にもまた、娘として、父が重ねた年齢を感じます。
ちなみに九州の離島出身の母は、散骨されたい派。
私も散骨されたい派。
思えば、海に縁のある人生だったんだな、と振り返る冬です。
私の実家も、両親の実家も、海のある市町村。
冬至から一ヶ月たって、少し日が延びたなぁ、と思う、
そんな自分の誕生日が好き。

香りの強い、昔ながらの日本水仙が好きです。
一重咲きの球根袋に、八重咲きさんがひとつ混ざっていたみたい。
来年に残したい鉢が増えました。
今年もよろしくお願いします。
安定のギリギリ月イチ更新。笑