ずっと更新していなかったブログを、金を払うのさえ忘れてしまってアドレスすら変わってしまったこのブログに新しくエントリを追加する気になったのは、どうも自分は死ぬらしい、と思ったからだ。
誤解のないよう付け加えると、今死にたいとか何か深刻な病気で、というわけでなく、なんとなく近々死ぬようだ、と思っただけなのだけど、そういう時に、このブログのことを考えると、ある程度は私という人間を司っている部分があったように思うし、読者の方々の声や存在に励まされたことも何度かあったから、このブログをそのままにして死んでしまうのも何だか落ち着かないというか、少し薄情な気がした、という理由である。
ご存知のように私は17年ほど鬱病を患っているのだが、最近になって精神障害者保健福祉手帳なるものの3級に認定された。申請することになった経緯については、今ひとつ覚えが悪いのだが、職を一つダメにして、主治医に見放されて、代わりに向かったメンクリで生育歴を語ったら、なんかそういうことになってしまったのだ。
役所に持って行けと言われて持たされた書類には、簡潔に私の半生が書き綴られていた。現物のコピーを取り忘れたので、思い出しながらあらましを書くと、
生育歴、仕事が原因と推定される鬱病を28歳で発病後、治療を続け社会復帰を果たすも、職を転々とし、寛解せずに現在に至っている。経済的にも窮乏しており、加療と社会復帰のため保護を必要とすると認められる。(主治医)
私の積年の苦しみが見事にまとめられていて、ずいぶん感心したものだ。案外、幸福のありようと比べれば、絶望や不幸のそれのほうが、要約するのは簡単なのかもしれない。
さて、申請があっさり通って私は3級の手帳を手に入れた。それで何かが変わるというわけではないのだが、なんだか、色々ごまかしていたものが確定してほっとしたような、あるいは望みが絶たれたような、奇妙な心持ちになったのを覚えている。私はその足で地元の美術館に行って、手帳を見せるだけで無料で入れることに感動して、社会が障害者を包摂するその仕組みに感謝した。たとえアパートを追い出されたとしても、流行のコンテンポラリ・アートを見逃すことだけは心配しなくてすむというわけだ。
そんなことはどうでも良くて、なぜ私が死ぬのかと言えば、そんな私の平穏がもうすぐ終わりそうだからなのだった。
昨晩、以前何度かあった母親の病的な怒りが再び私に向けられたのである。みんな知らないだろうから一から説明すると私の母親はなにかのきっかけ(今回で言えば私が寝ていてメールと電話に4時間気づかなかったということ)で病的な怒りを爆発して、私を呼びつける。
そこからは私の意見を聞くわけでもなく、私と、死んだ父と、父方の親戚の悪口と、自分の苦労話が始まって、本人の体力が尽きるまで続く。
おそらく、全国の母親が存命な45歳の男性は同じような苦労を皆していることと思うが、その日の私は上述のように精神障害者で失業中であるので、耐えられそうになかった。
なので、彼女がわめきつづける実家に到着した私は、座って黙り込んだ。口を開いたところで、聞き入れられる見込みもないのだから同じことだ。母は私のまわりをうろうろと回り、金切り声をあげながら、老人とは思えない強さの見事なミドルキックを私の体に入れ続けていた。
ふと思い立って、私は110番通報した。
「事件ですか?事故ですか?」
どうなんだろうか?私は困ってしまった。とりあえず、私が110番通報したのは、このままだと母親が死んでしまうからだった。母の挑発が屈辱に震える中年で無職の狂人に向けられている以上、何が起こっても不思議ではないではないか。万が一そうなってしまった場合、私はともかくとして、兄や世間の人は一般的に色々と困ったことになるのではないかと思ったのである。(もちろん、功利主義者である一部の方にとっての結論は異なるだろう。社会保障費を浪費する人間が二人も社会から退場することは公共福祉にかなうというのも一種の真実だからだ。その是非はともかくとして、その理路整然としたアンチヒューマニズムの姿勢を私個人としては率直に尊敬できる。ぜひそのまま日本の舵取りを頑張ってほしい)さて、この場合、どこからどこまでをどう説明すべきなのだろうか?
少し考えて、結局私は、以下のような説明を行った。
しばらく連絡がなかった母が病的な剣幕で電話をかけてきて、家に向かったのだが、今、罵倒されながら暴力を受けている。老人のことなので怪我をするわけでも、生命に危険を感じているわけでもないが、自分の状況を鑑みると、(母が)無事にすまない可能性がある。こういうケースで、予備的に警察が対応することの是非については私もそこそこ疑問ではあるのだが、諸々のリスクを考えると通報するのがベストと判断した。
こういう感じである。110番係の人は、特に困惑するでもなく、問い詰めるでもなく、状況のあらましと母の家の住所を聞き取ると、警官を派遣してくれた。
警官は手慣れた様子の若者と新米らしい若者の二人組で、とても親身で親切だった。到着したなり彼らはまず私たちを二組に分けて、それぞれで話を聞いた。私は新米のほうの警官に、通報したことと大体同じ内容を説明し、自分が精神疾患を患っていることなどを補足した。
「あなたはどうしたいですか?」
新米警官が心配そうな顔で私に尋ねた。
私が答えあぐねていると、ふすまの奥から、母が手慣れたほうの警官に、にこやかとも取れる声色で、私の常識外れの対応を非難する声が聞こえた。
「あれで国立大学に受かったこともあるんですよ、どこをどう間違えたらこうなってしまうんでしょうね!」
私は「距離を置きたいです」と答えた。新米は上司の様子を横目でうかがいながら深く頷いた。
結局、母は目の奥に狂気を宿したまま、表情だけはにこやかに、警官の前で、私に月一回ご機嫌うかがいに訪問することを約束させた。この不毛な対応を続けることを警官に強いらせないための交換条件がそれだったからだ。
私は警官二人と家の外に出た。
「結局、お母さんは寂しいんだと思うんですよ」
手慣れた警官が言った。その通りだと私も思う。罵詈雑言と、20年分の失敗の羅列と、赤の他人の失敗をひたすらミドルキックと同時に食らってくれる人間がいないというのはさぞかし寂しいことだろう。あるいは、彼女の寂しさを紛らわすためだけに、私の人生はあるのかもしれない。そう考えると色々なことが腑に落ちる、というものだ。
「だからね、月一回ぐらいは様子を見に行ってあげて、ね?」
私は答えず、深々と二人の警官に頭を下げた。そして頭を上げて私は純朴な表情を作って言った。
「またこういうことがあったらどうしましょうか?」
「まずは話し合いですね。話し合ってもらって…」
言いながら、警官は話している間中、彼女の目に宿っていたものを思い出したのか、口ごもった。
沈黙に差し込むように私は言った。
「すいませんが、また来て貰うことになると思います」
実際、そうしないともっと面倒なことになると思う。ほら、事件だと、書類とかもきっと多いだろうから。
「はは…」
警官は愛想笑いをしようとした途中で苦いものがふいに口に入ったような顔をした。
私も笑った。私がおかしかったのは、その表情が彼女と関わらないですむ幸福というものを要約できているとは言いがたかったからだった。