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♪ 唱歌『春の小川』(はるのおがわ)


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「春の小川」(はるのおがわ) は、
大正元(1912)年12月15日刊行の
『尋常小学校唱歌 第四学年用』に初掲載された
作詞 高野辰之、作曲 岡野貞一の
文部省唱歌です。
 
2回に渡り歌詞が変更されましたが、
世代を越えて現代まで100年以上に渡って、
歌い継がれている名曲です。
平成19(2007)年、文化庁と日本PTA全国協議会に
「日本の歌百選」に選定されました。
 
 

♪ 唱歌『春の小川』

唱歌『春の小川』は、
 
大正元年に初めて教科書に載った後、
昭和17(1942)年と昭和22(1947)年の2度、
歌詞が改変されています。
 
文学者・金田一春彦によると、
現上皇陛下は大正元(1912)年版、
上皇后陛下は昭和17(1942)年版で
覚えていらっしゃったそうです。
世代によって覚えている歌詞が異なるのが
ちょっと面白いですね。
 
 
大正元年『尋常小学唱歌 (四)』版
一.春の小川はさらさら流る。
  岸のすみれやれんげの花に、
  匂いめでたく、色うつくしく
  咲けよ咲けよと、ささやく如く。
 
二.春の小川はさらさら流る。
  蝦やめだかや小鮒の群に、
  今日も一日ひなたに出でて
  遊べ遊べと、ささやく如く。
 
三.春の小川はさらさら流る。
  歌の上手よ、いとしき子ども、
  声をそろえて小川の歌を
  歌え歌えと、ささやく如く。
 
 
昭和17年『初等科音楽 一』版
一.春の小川は、さらさら行くよ。
  岸のすみれや、れんげの花に、
  すがたやさしく、色うつくしく
  咲いているねと、ささやきながら。
二.春の小川は、さらさら行くよ。
  えびやめだかや、小鮒の群れに、
  今日も一日ひなたでおよぎ、
  遊べ遊べと、ささやきながら
 
昭和17(1942)年3月30日、
『国民学校初等科音楽(一)』が刊行される際、
『春の小川』は4年生向けから
3年生向けに変更されることになりましたが、
文語体が難しいという理由で
文部省が林柳波 (はやしりゅうは) に依頼して
口語体に変更されました。
一番「さらさら流る」 →「さらさら行くよ」
  「にほひめでたく」→「すがたやさしく」
  「咲けよ咲けよと」→「咲いてゐるねと」
  「さゝやく如く」 →「ささやきながら」
二番「ひなたに出でて」→「ひなたでおよぎ」
  「さゝやく如く」 →「ささやきながら」
 
また3番の歌詞が削除されました。
 
 
昭和22年『三年生の音楽』版
一.春の小川は、さらさら行くよ。
  岸のすみれや、れんげの花に、
  すがたやさしく、色うつくしく
  咲けよ咲けよと、ささやきながら。
二.春の小川は、さらさら行くよ。
  えびやめだかや、小鮒の群れに、
  今日も一日ひなたでおよぎ、
  遊べ遊べと、ささやきながら。
 
「咲いてゐるねと」が最初の
「咲けよ咲けよと」に戻されました。
 
そして現在の教育現場 では、
昭和17(1942)年版と昭和22(1947)年版が
混在しており、
地域や教科書によって異なるため、
統一された歌詞は存在していない…らしいです。
 

春の小川はどこにある?

『春の小川』は、東京都渋谷区を流れる
渋谷川の支川「河骨川」(こうほねがわ) をモデルに
高野辰之が作詞したものと言われています。
 
 
山手通りと井の頭通りが交差する辺りの
渋谷区小田急線代々木八幡駅近くには
「春の小川記念碑」
と記された石碑が建っています。
そしてその碑には、
長野県出身の国文学者・高野辰之が
「河骨 (こうほね) 川の岸べを散策し作詞した」と
あります。
 
高野は、『春の小川』の作詞した当時、
東京音楽学校(現・東京芸術大)に通勤するため、
東京府豊多摩郡代々幡村 (よよはたむら) の一角、
現在の代々木3丁目に居を構えていました。
当時のこの一帯は一面の田園地帯であり、
宇田川の支流のひとつである
河骨川 (こうぼねがわ) と呼ばれる清らかな小川が
田を潤していました。
そして春にはメダカやコブナが泳ぎ、
岸辺にはレンゲやスミレ、
黄色い「コウホネ」の花が咲いていました。
この「コウホネ」に因んで、
「河骨川」(こうほねがわ) と呼ばれるようになったのだそうです。
 
 
高野は家族共々この川に親しみ、
しばしば「河骨川」の畔を散策されたのだ
そうです。
その情景から生まれた詩が、
大正元(1912)年に発表された
『春の小川』でした。

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現在、歌碑が立っている辺りには、
残念ながらその面影は全くありません。
 
 
河骨川や宇田川のほとんどは、
高度経済成長時代、
昭和39(1964)年の東京五輪開催を前に
暗渠 (あんきょ) 化され、
今は地下を通る直径40cm程の下水道管の中を
水が流れているだけそうです。
 
 
目の前に見えるのは小田急線の線路で、
時折、まさに鼻先と言ってよい距離の所を
電車が通り過ぎていきます。
線路沿いに緩やかにくねりながら
延びている細い道が、
きっと「河骨川」の名残りなのでしょう。
川の姿はなくなっても、歌は残り、
今も春になると人々に歌われ続けています。
 
 
なお、高野の地元・長野県中野市にも、
「春の小川」の歌詞のモデルとされる川が
あります。

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削除された三番の歌詞

子供がいなかった高野さん夫婦は、
養女(弘子さん)を迎え、随分可愛がり、
よく散歩に連れて行っていたそうです。
 
唱歌『春の小川』の3番の歌詞は、
彼が養女を連れて散歩をしている時の風景や
愛しい我が子を見守る父親の温かい眼差しが
様子が描かれていると言われています。
 
ですから、こんな最も思いを込めたであろう
このフレーズが削られてしまったことは
残念です。
 
ところで養女の弘子さんは、
父・高野辰之の文学的・音楽的な功績を
後世に伝える上で、
重要な役割を果たした人物でした。
 
1960年代、「日本音楽著作権協会」は
文部省唱歌の作者を明らかにしようと
活動を行っていました。
 
高野は、生前、
「文部省唱歌は国のものである」として、
自身が作詞したことは公表していません
でした。
ですが昭和47(1972)年、
当時65歳だった弘子さんは、
「日本音楽著作権協会」に対し、
『春の小川』や『朧月夜』などの作品が
高野の作詞であると表明。
作詞者特定に関わる手続きを行い、
翌昭和48(1973)年に同協会から
認定を受けました。
 


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