以下の内容はhttps://www.linderabell.com/entry/song/Fujinoyamaより取得しました。


♪ 唱歌『富士山』(ふじのやま)・・・3つある⁉

 
 

♪ あたまを雲の上に出し
『ふじの山』


www.youtube.com

 
「あたまを雲の上に出し」が歌い出しの
『ふじの山』は、
富士山の歌といえば誰しも思い浮かべる
唱歌です。
 
現在も愛唱歌
 
日本一高い富士山の壮大さと美しさを謳った
唱歌『ふじの山』は、
明治44(1911)年刊行の
『尋常小学読本唱歌(二)』が初出で、
現在でも小学校の音楽教材として
授業で歌わている他、
平成19(2007)年には
「日本の歌百選」にも選ばれるなど、
広く歌われ続けています。
 
タイトルの変遷
初出『尋常小学読本唱歌(二)』のタイトルは
「ふじの山」でしたが、
明治44年に「富士山」(ふじのやま)
改定されました。
その後、教科書に掲載される2年生では
「富士」という漢字を習わないなどの理由から
「ふじ山」となるなど、
時代とともに変化しているようです。
なお令和2(2020)年現在における
小学3年生用学習指導要領では、
「ふじ山」というタイトルになっています。
 
歌詞
ふじの山
作詞:巖谷小波
作曲:作者不詳
 
1 あたまを雲の上に出し
  四方(しほう)の山を見おろして
  かみなりさまを下にきく
  ふじは日本一の山
 頭を雲の上に出して、
 四方の山々を見下ろし、
 その雲の下に雷鳴を聞いている
 富士山は日本一の山である。
 
2 青空高くそびえたち
  からだに雪のきものきて
  かすみのすそを遠くひく
  ふじは日本一の山
 青空高くそびえたち、
 体に白雪の衣を着て、
 その衣の裾を遠くまで曳いている
 富士山は日本一の山である。
 
雷様を下に聞く
 
唱歌「ふじの山」は、
『日本の唱歌』
(金田一春彦・安西愛子編)によれば、
江戸時代の国学者、賀茂真淵が
延享3(1746)年6月、50歳の時、
東海道を旅する途中に
富士山の雄大さと神々しさを称えて詠んだ
長歌「夏日東海道中望富士山歌」
(かじつのとうかいどうちゅうふじさんをのぞむうた)
の反歌の一首です。
 
するがなるふじの高嶺はいかづちの
音する雲の上にこそ見れ
 
この和歌の意味は、
「駿河の国にある富士山の山頂は、
 雷鳴が轟くその雲よりも更に高い空の上に
 見える」です。
 
夏の日に、雲が低く立ち込める東海道から
富士山を見上げると、
雷鳴が轟く黒雲(雷雲)を遥か下に見下ろし、雲を突き抜けて天高く聳え立つ
富士山の姿が一段と神々しく見えた様子を
詠んでいます。
 
 
雷は、昔から「雷神」として
怖れられてきました。
「雷神という神様よりも、
 富士山の方が高く聳えている」ということは
富士山への畏敬の念が込められた歌とも
言えます。
 
 
この雷雲を従えて高く聳える様は、
そのまま葛飾北斎の浮世絵や
唱歌「ふじの山」に受け継がれているのです。
 
作詞家・巖谷小波
 
作曲者は明らかになってはいませんが、
作詞者は明治から大正にかけて活躍した
作家であり児童文学者で、俳人でもあった
巖谷小波 (いわや さざなみ) です。
 
 
明治期に児童文芸作品を表す言葉として
「お伽噺」(おとぎばなし) を使用して、
自ら編集長を務めた「少年世界」「少女世界」
「幼年世界」などの雑誌を通して
『桃太郎』『金太郎』『浦島太郎』『花咲爺』
『こぶとりじいさん』などの
多くの民話や昔話、英雄譚などを
再生しました。
 
 
また明治24(1891)年には、
日本初の創作童話
『こがね丸』を発表するなどして、
日本中に児童文学を広めたことから
日本近代児童文学の開拓者、
近代児童文学史を拓いた先駆者と
評されています。
 
 
生活に溶け込む
「ふじの山」

www.youtube.com

 
静岡県富士市、富士宮市、御殿場市、小山町、
山梨県富士吉田市、山中湖村では、
夕方や正午のチャイムとして
「ふじの山」が採用されています。
 
 
富士急行線の大月駅と河口湖駅では、
平成13(2001)年3月29日より発車メロディとして
「ふじの山」が流れています。
富士急行線富士山駅では、
平成23(2011)年7月1日より列車到着時の
メロディとして「ふじの山」が流れています。
 
富士吉田市にある
富士スバルライン料金所手前には、
「ふじの山」のメロディーが聞こえてくる
「メロディーロード」が設置されています。
 
道路の表面に横方向溝を設置することで、
車両が自足50kmで走行すると
タイヤと舗装との間に発生する走行音により
「ふじの山」のメロディーが聞こえてくる
そうです。
 
以前は、静岡県内のスクランブル式横断歩道の一部で、音響装置付信号機チャイムとして
用いられていたそうです。
ただ平成29(2017)年)度までに
全て全国標準型(鳥の鳴き声の鳴き交わし)に
切り替わり、現在は利用されていません。
 
 
フジパンでは、昭和30年代~50年代初頭まで、
『フジパンの歌』の間奏で、
「ふじの山」の曲の最終節のメロディーが
そのまま流用されていたそうです。
 

♪ 麓に雲ぞ かゝりける
『富士山』(ふじのやま)

明治14(1881)年刊行の『小学唱歌集』の
第二十七に掲載されました。
 
歌詞
富士山(ふじのやま)
作詞:加部巌夫
作曲:ハイドン
 
1 麓に雲ぞ かゝりける
  高嶺に雪ぞ 積もりたる
  肌は雪 衣は雲
  その雪雲を よそひたる
  富士てふ山の 見渡に
  しくものもなし 似るもなし
麓に雲が掛かり、頂には雪が積もっている。
雪は肌えのようで、雲は衣のようで、
その雪雲を装っている富士という山の
見渡(眺望)に(世界中で)及ぶものも
似るものもない。
 
2 外國人(とつくにびと)も 仰ぐなり
  我國人(わがくにびと)も 誇るなり
  照る日のかげ 空行く月
  月日と共に 輝きて
  富士てふ山の 見渡に
  しくものもなし にるもなし
外国人も仰ぎ見て、我が国の人達も誇る。
照る日の影、空を行く月。
月日の輝くと同様に、
(その名が)著名である、富士という山の
眺望に及ぶものも似るものもない。
 
作曲:ハイドン
 
ハイドン作曲とされてはいますが、
特定の交響曲名などは明記されいません。
 
作詞:加部巌夫


www.youtube.com

 
作詞を手掛けたとされる
加部巌夫 (かべ いずお)
明治時代、文学御用掛、御歌掛を経て
御歌所に務めた宮中歌人でした。
 
明治14(1881)年6月からは
文部省音楽取調掛の一員として
唱歌の歌詞選定に関わっていました。
最も著名な作詞は、
明治16(1883)年の『小学唱歌集 第二編』に
収録された『霞か雲か』(ドイツ民謡) です。
それと里見義、大槻文彦との合議の作ですが、
『仰げば尊し』の作詞にも関わっています。
 
 
また、森鴎外の和歌の先生でもあった
そうです。
 
 

♪ 直立一千二百丈
『富士山』

 
明治34(1901)年に刊行された『中等唱歌集』に
掲載された唱歌『富士山』です。
 
歌詞
富士山
作詞:作者不詳
作曲:作者不詳
1 直立一千二百丈
  足もとよりぞ 起 (おこ) りける
  夏猶 (なほ) 寒き 白雪 (しらゆき)
  空の真中 (みなか) に つもりけり
  仰 (あふ) げや高き 富士の山
  富士は御国 (みくに) の 鎮 (しづめ) なり
 海抜1200丈(3776m)。
 既にその麓から生まれて来ている、
 夏でも寒い白雪は、
 あたかも空の真ん中に積もっているかの
 ようだ。
 高い富士山を仰ぎ見よう。
 富士山は日本の礎である。
  *丈:十尺。一尺は1mの1/33、約30㎝
  *鎮:重石 (おもし)、礎 (いしずえ)
 
2 富士の麓 (ふもと)
  湧 (わ) く雲は 足柄山にかかるなり
  富士の裾野 (すその) に 降る雨は
  箱根の峰にそそぐなり
  仰げや高き 富士の山
   富士は御国 (みくに) の 鎮 (しづめ) なり
 富士山の麓に湧く雲は足柄山に掛かる。
 富士の裾野に降る雨は箱根の峰に注ぐ。
 高い富士山を仰ぎ見よう。
 富士山は日本の礎である。
 
3 三保 (みほ) の松原 田子 (たご) の浦
  古き名所 (などころ) 歌多し
  道行く人の ここに来て
  富士仰がぬもなかりけり
  仰げや高き 富士の山
  富士は御国 (みくに) の 鎮 (しづめ) なり
 三保の松原、田子の浦。
 (周りにある)昔からの名所には
 古歌が詠まれている。
 東海道をここにまで来て
 富士を仰ぎ見ない者はいない。
 高い富士山を仰ぎ見よう。
 富士山は日本の礎である。
 

《参照》




以上の内容はhttps://www.linderabell.com/entry/song/Fujinoyamaより取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14