
令和8(2026)年の最初の子の日
「初子」(はつね) は1月2日です。
「小松引き」
「子の日の遊び」
平安時代、正月最初の「子」(ね) の日の
「初子の日」(はつねのひ) に
「小松引き」とか「子の日の遊び」と言って、
貴族達は
北野や船岡山など郊外の野辺に出掛けて、
小松を引いて千代を祝い、
若菜を摘んで料理の食材に加えて
皆で長寿を祝い、和歌を詠む宴を設ける
風習がありました。
『源氏物語』「若菜」の巻にも、
小松を引き、若菜を摘む様子が登場します。
わが国の春の野遊びの習俗を根底とし、
丘に登り四方を遠く望んで
陰陽の静気を浴びて憂いを除くという
Chinaの習慣とが一つになったと思われます。
「松」と言えば、
一年を通じて緑色の葉を保つ常緑樹であり、
その強い生命力が長寿や不老不死の象徴と
されています。
元々は、その松の若木である「小松」を、
正月最初の子の日「初子」に引き抜いてきて
神の恩頼にあずかろうとした呪術でしたが、
やがて遊興の行事となりました。
平安時代の歌人、壬生忠岑の歌に
「子の日する野辺に小松のなかりせば
千代のためしに何をひかまし」があります。
子の日の遊びをする野辺に、
小松がなかったならば、
千代も生きる長寿の例として、
何を引いたらよいのだろうか。
また崇徳院の歌にも
「子の日すと春の野ごとにたづぬれば
松にひかるゝこゝちこそすれ」があります。
子の日の遊びのために
春の野をあちらこちら訪れていると
(むしろ私が)松に引かれている
ような気がすることだ。
「子の日の遊び」は、
近世民間でも様々な形で行われ、
庭に移植して長寿を願ったり、
小松を引いた後の地面の割れ目で
吉凶を占ったりしました。
地唄や筝曲で扱われています。
現在でも「根引きの松」(ねびきのまつ)と言って、
関西地方では、
家の玄関の両側に白い和紙で包み
金赤の水引を掛けた根が付いたままの
小松が飾られているのはその名残りでしょう。
玉箒(たまばはき)

古く奈良時代には「初子」の日に
天皇から親王・諸王・臣下に
「辛鋤」(からすき) と「玉箒」(たまばはき) を賜る
行事もあったそうです。
そして宮中では宴会が行われ、
それを「子日宴」(ねのびのうたげ) と呼ばれていたそうです。
「初子」(はつね) には、
天皇陛下が「辛鋤」で自ら田を耕し、
皇后陛下が蚕室内の蚕を飼う棚を清めるために
「玉箒」を使って払う儀式がありました。
『万葉集』の中に、大伴家持の和歌に、
「初春 (はつはる) の初子 (はつね) の今日の
玉箒 (たまばはき) 手に取るからに揺らく
玉の緒」というものがあります。
初春の初子の日である今日、
頂戴したこの玉箒を手に取ると
玉がゆらゆらと揺れて音をたてます。
「玉箒」(たまばはき) は、繭玉やガラス玉などの
玉を飾りつけた箒のことで、
天平宝字2(758)年1月3日の「初子」の日に、
孝謙天皇が「玉箒」(たまばはき) を賜って、
宴を催されました。
その折、天皇の勅を受けた藤原仲麻呂が、
諸官人に「それぞれ思うように歌を作り、
詩を付けるように」と命じたのです。
現在、正倉院には「子日目利箒 」という、
子の日の「玉箒」が伝わっています。
