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世界三大潮流と日本三大潮流

 
 

海流と潮流の違い

海流

 
海の中は様々要因で
複雑な流れが随所で起きますが、
川のように周期的に変化せず、
ほぼ一定の向きや速さの流れを
「海流」と呼びます。
この「海流」には、日本近海では、
太平洋側を「北から南」へ
「親潮」が流れているのが「寒流」と、
「南から北」へ「黒潮」が流れる「暖流」が
あります。
 
日本海側においては、
沿岸を「南から北」へ流れる海流がありますが
この海流は「暖流」で
「対馬暖流」と呼ばれています。
 
潮流
 
「潮流」というのは、
主に月の引力(起潮力)により
海面が高くなったり低くなったりする
「潮汐」に伴って、
1日1〜2回、「満ち潮」と「引き潮」が
交互に起こり、速度や方向が変化します。
 
 
「海流」は一定の方向にだけ流れるのに対し、
「潮流」は潮汐とともに
約6時間毎に流れる方向が反対に変わります。
 
 
「潮流」は、太平洋や日本海の外洋では
一般に弱い流れですが、
陸地に囲まれた狭い海峡や水道では、
大量の海水を短時間で通過させようとするため
川の急流のように流れが速くなります。
更に潮の満ち引きによる
海面の高低差(潮差)が大きいと、
この高低差が集中する狭い水道や湾口部では、
非常に早い潮流を生み出します。
特に潮位の変化が大きい
春と秋の「大潮」の時には潮流が最大となり、
変化が小さい「小潮」や「長潮」の時は
潮流は緩やかになります。
 

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世界三大潮流

「世界三大潮流」は、
日本の徳島県にある「鳴門海峡」、
イタリアの「メッシーナ海峡」、
カナダの「セイモア海峡」の3つを指します。
 
中でも「鳴門海峡」は、
春と秋の「大潮」時の速さは最大となり、
時速20km以上にもなります。
そして直径20~30mにも達する
「渦潮」の大きさは世界一と言われています。
 
鳴門海峡
 
淡路島(兵庫県南あわじ市)と
四国(徳島県鳴門市)との間、
瀬戸内海(播磨灘)と太平洋を隔てる海峡が、
「鳴門海峡」です。
幅は僅か1.3km、
深さは最深部で200mにも及びます。
 
 
「鳴門海峡」ではその特殊な地形のため、
「満潮」と「干潮」が
同時に隣り合わせで存在するという
不思議な現象が起こります。
 
 
太平洋側から満ちてきた潮は、
紀伊半島と淡路島の間、
幅僅か1.3kmの紀淡海峡を通り、
大部分が大阪湾へと流れ込み、
明石海峡を通って、
まだ水位の低い播磨灘へと流れ込みます。
満ち潮が淡路島南岸に到着してから
瀬戸内海が満潮になるまで、
約5~6時間掛かります。
 
 
そうして瀬戸内海が満潮を迎える時、
淡路島の南岸では既に干潮を目前に
潮が引いてきます。
水は高い所から低い所へと流れますので、
今度は瀬戸内海に集まった大量の海水が
水位の低い太平洋側へ出ようと、
鳴門海峡に押し寄せ、一気に流れ込みます。
 
 
こうして「鳴門海峡」を挟んで、
瀬戸内海側の播磨灘が「満潮」になり、
太平洋側の「鳴門海峡」の南側では
「干潮」になり、
境目では海面の高さに
最大1.5mの高低差が生じ、
この落差が日本一の速さの潮流を
生み出します。
 
 
カナダ・セイモア海峡
(Seymour Narrows)
 
カナダの「セイモア海峡」は、
ブリティッシュコロンビア州の
バンクーバー島東岸と北米大陸(西岸)の間に
位置する海峡です。
 
海峡の幅が非常に狭く、
海底地形が複雑で深いことから、
その狭い箇所を大量の海水が通過することで、
最大で時速20kmを超える激しい潮流と
巨大な渦潮を生み出す要因となっています。
 
かつては世界で最も危険な航海の難所の
一つとして知られていました。
この海峡の水中には
「リッブル・ロック (Ripple Rock)」と呼ばれる
2つの鋭い岩の頂上が、
僅か数mの深さの所に隠れていて、
多数の船舶がこの難所で座礁したり
沈没事故を引き起こしていました。
 
この危険な岩を除去するため、
1958年にカナダ政府によって大爆破が行われ、
水中爆破としては当時最大規模のプロジェクトとして岩は粉砕されました。
この大爆破により、現在では航路が改善され、
以前ほどの危険はなくなりましたが、
依然として潮流の激しい海域であることに
変わりはありません。
 
イタリア・メッシーナ海峡
(Stretto di Messina)
 
「メッシーナ海峡」は、
イタリア半島の長靴のつま先と
シチリア島の北東端を隔てる、
幅約3〜10kmの狭い海峡です。
古代から渦潮や潮流の速さで知られ、
春の最高潮位時の潮流速度は
時速約6.5〜10.8kmに達することもあります。
 
 
現在はイタリア本土側の
「ヴィッラ・サン・ジョヴァンニ」と
シチリア島の「メッシーナ」を結ぶフェリーが
運航されており、約20〜30分で移動出来ます。
 
 
この海峡を繋ぐため、
長さは3300mの道路・鉄道併用の長大橋
「メッシーナ海峡大橋」が計画されています。
完成すれば、
トルコの「チャナッカレ1915橋」を抜いて、
世界最長となる見込みの吊り橋です。
日本のIHIも2005年から参画を決めていますが、
長年、政治や財政の問題で
計画が頓挫し続けてきた
いわく付きの橋でもあります。
 
 
イタリア本土とシチリア島の間にある
「メッシーナ海峡」に橋を架ける構想自体は、
紀元前のローマ帝国時代からあったそうです。
B.C.252年に古代ローマの執政官メテッルスは、
樽と木を組み合わせて橋を作り、
100頭の戦象をカルタゴからローマに
移動させたそうです。
それ以来、様々な計画が浮上しては
消えて行きました。
 
 
2000年代に入り、ベルルスコーニ政権が
この巨大インフラプロジェクトを強力に推進。
ですが2006年に政権交代で
プロジェクトは凍結された他、
2012年にも政権交代で契約がキャンセル。
現在のメローニ政権も、2025年秋にも着工、
2032年〜2033年頃の完成を目指していますが、
2025年10月、イタリアの会計検査院は
「メッシーナ海峡大橋」の建設計画を
「承認しない」と判断し、
再び暗礁に乗り上げました。
 

日本三大潮流

「日本三大潮流(日本三大急潮)」は、
以下の3つの海峡が一般的に知られています。
徳島県の鳴門の渦潮で知られる「鳴門海峡」、
愛媛県のしまなみ海道のある「来島海峡」、
平家が滅んだ源平合戦で有名な壇ノ浦の戦いが
あった福岡県・山口県間の「関門海峡」です。
 
「日本三大潮流(日本三大急潮)」が、
全て瀬戸内海にあるのは、
瀬戸内海は干満差が大きく、
狭い水道や瀬戸などが多く地形が複雑なため、
流れの速い潮流が生まれる構造になっている
ためです。
 
鳴門海峡
 
潮流が織りなす自然の神秘と言えば
「鳴門海峡」の「鳴門の渦潮」が有名です。
潮流が最も激しくなる
「大潮」の時を狙って行けば、
普段より大きな渦潮を観ることが出来ます。
 

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来島海峡
 
今治市とその沖に位置する大島の間の
幅5km弱、航路の一番狭い所は400mしかない
「来島海峡」(くるしまかいきょう)は、
古くから海の難所として知られ、
「一に来島、二に鳴門、三と下って
 馬関瀬戸 (ばかんせと)」と
船乗り達に恐れられてきました。
 
瀬戸内海は東京湾などに比べて
干満の差が倍の4m程ありますが、
複数の島が狭い水道を挟んで
連なるように存在する「来島海峡」は、
特に大潮の日にはそこを抜ける潮流が
速度を増して10ノット(18.5km)にも
なることがわかっています。
 
 
「来島海峡」で思い出すのが、
来島海峡を征し戦国時代に覇を誇った
「村上水軍」です。
来島は「村上水軍」の本拠地であり、
島全体が急流に守られた天然の要塞で、
立派な城壁も築かれていました。
 
 
現在、「来島海峡」には
本州四国連絡橋の尾道・今治ルート
(瀬戸内しまなみ海道)の一部となる
「来島海峡大橋」が架かっています。
 
 
関門海峡
 
本州(山口県下関市)と
九州(福岡県北九州市)を隔てる関門海峡は、
かつては下関が馬関と呼ばれたことから、
「馬関海峡」(ばかんかいきょう) と呼ばれることも
あります。
特に源平合戦の舞台としても知られる
「早鞆ノ瀬戸」(はやとものせと) は、
山口県下関市(壇之浦)と
福岡県北九州市(門司)の間の
関門海峡で最も狭い僅か600mで
潮流が最大8-10ノット (約15-18km/h) に達する
激流の難所として知られている水域です。
 
 
潮流は1日4度も向きを変え、
満潮時の流れは、
瀬戸内海西端の周防灘から
日本海の玄界灘側の響灘への西方向で
「西流れ」と言います。
逆に干潮時は、響灘から周防灘への東方向で
その流れを「東流れ」と呼んでいます。
 
寿永4(1185)年3月24日、
両軍約4千艘もの軍船が関門海峡に集結。
白旗をなびかせるのは源義経が率いる源氏勢、
一方赤い旗は平宗盛、平知盛が率いる平家勢。
天下分け目の大海戦は、
矢合わせを合図に火蓋を切って落とします。
 
 
まず優勢に立ったのは、東流れの潮流に乗り、
戦いを有利にしていた平家の船団。
しかし、昼近く潮流が西に変わり逆流となると
形勢逆転。
ここで清盛の異母弟・教経は、
義経を海の中へ道連れにしようとしましたが、
義経は2丈(約6m)も離れた味方の船に飛び移り、
難を逃れます。
『平家物語』では飛び移ったのは
一度だけでしたが、
後に「次々と8隻も」と誇張されて
「八艘飛び」の伝説が生まれました。
 
 
敗戦を覚悟した二位の尼は、
源氏が奪還を狙う三種の神器を身につけ、
「海の底にも都はあります」と
8歳の安徳天皇を抱いて海峡に身を投じました。
 
勝敗がついたのは午後4時、
一門の最期を見届けた平知盛は、
「見るべきほどのことをは見つ」と言い、
見るべきものは全て見た(味わった)、
もう思い残すことはない
重い鎧兜を二重に着込んで碇を抱え、
海底へと沈んでいったのでした。
碇を担いで沈む名場面「碇潜」(いかりかづき) は、
人形浄瑠璃や歌舞伎の『義経千本桜』で
知られる名シーンです。
 



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