
3月は卒業シーズン。
日本全国各地の小・中・高学校及び各種学校、
大学では卒業式が行なわれます。
「涙」「感動」「別れ」の
イメージがある卒業式ですが、
これは世界でも珍しい日本特有の学校文化で、
小中学校の卒業式で歌われる歌が
こんなにもたくさんあるのは
なんと日本だけだそうです。
卒業ソング
日本での「卒業式」の始まり
ウィキペディア(Wikipedia)によれば、
日本では1872年(明治5年)の学制の施行に伴い、
各等級(学年)ごとに試験修了者に対して
卒業証書を授与したことに起源を持つ。
その後、明治10年代ごろ(1870年代半ばから
1880年代にかけて)に現在のような独立した
儀式として定着した。
とあります。
「卒業式」は、当初は「修了式」と呼ばれ、
学業の終了を知らせる簡素な行事でしたが、
時代が進むにつれて、卒業生を称え、
新しい門出を祝う儀式へと姿を変えて
いきました。
「卒業式」に歌を歌うようになる
まず昭和に入って、
国歌や校歌を歌うことが一般的になると、
その流れで『蛍の光』や『仰げば尊し』を
卒業式の式典の中で歌うことが定番化し、
多くの学校で歌われるようになりました。
卒業をテーマとした歌がヒット
またその一方で卒業シーズンには、
別れの切なさや未来への希望を描いた
卒業をテーマとした曲が次々と登場し、
ヒットしました。
戦後、昭和29(1954)年公開の映画
『二十四の瞳』の劇中で『仰げば尊し』流れ、
人々の記憶に強い印象を残しました。
昭和30年代には、舟木一夫の『高校三年生』や
ペギー葉山の『学生時代』が、
1970年代になると、
かぐや姫やイルカが歌った『なごり雪』、
荒井由実さん作詞作曲で、
ハイファイセットのデビュー曲『卒業写真』、
バンバンが歌った
『「いちご白書」をもう一度』などが
発表されヒットしました。
1980年代に入ると、今も卒業式で歌い継がれる
卒業ソングの名曲が続々生まれました。
柏原芳恵『春なのに』、斉藤由貴『卒業』、
松田聖子『制服』、尾崎豊『卒業』などです。
卒業式で「卒業ソング」が歌われるようになる
そんな中、昭和54(1979)年発売の
TVドラマ『3年B組金八先生』の主題歌、
海援隊の『贈る言葉』が卒業式の式典の中で
歌われるようになったことがきっかけで、
各々の学校が独自に卒業式の歌を選ぶように
なりました。
1990年代は『巣立ちの歌』『旅立ちの日に』、
『白線流し』の主題歌『空も飛べるはず』、
Kiroroの『未来へ』『Best Friend』などが、
2000年代に入ると、
森山直太朗さんの『さくら』、
そして現代の卒業ソングのド定番とも言える
レミオロメンの『3月9日』が発表され、
令和に入ってからも、心に響く卒業曲が次々と
生まれています。
「3月9日」レミオロメン
レミオロメンの「3月9日」は、元々は
友人への結婚祝いの歌だったそうです。
それがドラマ『1リットルの涙』の中で
使われると、
3月9日が「サンキュー (Thank you)」で
「ありがとう」を伝える日であること、
そして歌詞が「卒業」ではなく
「新しい門出」や「感謝」を歌っており、
卒業シーズンと重なるため、
卒業ソングとして定着しそうです。
その一方で、
かつての『蛍の光』や『仰げば尊し』のように
5年後、10年後、時代を超越して
世代を超えて愛される「卒業ソング」の定番は
今のところ生まれてはいません。
仰げば尊し
元々は外国の歌
『蛍の光』も『仰げば尊し』もそのルーツは、
どちらも元々は外国の歌でした。
『蛍の光』はスコットランド民謡で、
最初は賛美歌として紹介されたそうです。
明治14(1881)年、尋常小学校の唱歌として、
『小學唱歌集 初編』が編纂された時に、
稲垣千頴 (いながきちかい) の作詞で
『蛍』の題名載せられたことをきっかけに、
卒業式の定番となっていきました。
一方『仰げば尊し』は、米国の卒業を歌った曲
『Song for the Close of School』で、
平成23(2011)年、一橋大学の桜井雅人名誉教授が
1871年に米国で出版された音楽教材の中に
発見しました。
Song for the Close of School
「Song for the Close of School」
(学校卒業の歌)の歌詞をご紹介します。
なお、日本語は意訳です。
Song for the Close of School
作詞:T.H. Brosnan
作曲:H.N.D
作曲:H.N.D
1. We part today to meet, perchance,
Till God shall call us home;
And from this room we wander forth,
Alone, alone to roam.
And friends we've known in childhood's days
May live but in the past, But in the realms of
light and love May we all meet at last.
私達は今日別れ、
おそらくまた会うことになる、
神が私達をホーム(天国)に
呼び戻す時に。
この部屋から私達は彷徨いながら
足を踏み出して、
一人でたった一人で歩いて行く。
子供の頃から知っている友らは
過去の中にだけ生きることになる。
光と愛の王国で皆会えますように、
人生の最後に。
2. Farewell old room, within thy walls
No more with joy we'll meet;
Nor voices join in morning song,
Nor ev'ning hymn repeat.
But when in future years we dream
Of scenes of love and truth,
Our fondest tho'ts will be of thee,
The school-room of our youth.
さようなら、さらば古き学び舎。
もう私達は喜びをもって会うことも
朝の歌を歌うことも、
午後に賛美歌を歌うこともない
でしょう。
我らはいつか思い出す
愛と真実の場を。
最愛の思い出を、
青春を過ごした教室を。
3. Farewell to thee we loved so well,
Farewell our schoolmates dear;
The tie is rent that linked our souls
In happy union here.
Our hands are clasped, our hearts are full,
And tears bedew each eye;
Ah, 'tis a time for fond regrets,
When school-mates say "Good Bye"
さらば愛しき教室よ、
さらば親愛なる級友達よ。
絆は解かれた、
私達の魂を結びつけていた絆、
幸福に結びつけられていた絆が
解かれた。
固い握手に心は満ち、
目には涙が溢れる。
ああ今こそ惜別の時だ、
級友達よ、さらば。
日本の唱歌に
『仰げば尊し』(あおげばとうとし) は、
明治17(1884)年発行に文部省から発行された
『小學唱歌集』の第三編に収録されたのが
初出です。
『小學唱歌集』は、明治12(1879)年に
伊沢修二の主唱で創設された文部省
音楽取調掛 (おんがくとりしらべかかり) によって
学校教育用に編纂された唱歌集で、
明治17(1884)年にかけて順次出版された
初編、第二編、第三編の全三編
(全91曲)から構成されています。
その多くは、外国曲のメロディに
日本語の歌詞をつけた和洋折衷の楽曲でした。
その翌年、『小學唱歌集』の編集や
音楽教育研究を行っていた
音楽取調掛の
全科卒業生を送る会において
『仰げば尊し』が初めて
歌われているところからみると、
どうやら最初から卒業式の歌として
作られたようです。
『仰げば尊し』も、伊沢修二の指示の下、
多くの学者や詩人達の合議によって
何度も書き換えられて完成した歌詞が
外国の曲 (「Song for the Close of School」) に
つけられたものであることが分かっています。
日本人にとっては
拍子などの難易度が高かったことから、
『蛍の光』ほど早くから普及していた訳では
なかったようです。
それが多く歌われるようになったきっかけは、
映画『二十四の瞳』で使われたことでした。
以後、「卒業ソング」の代名詞となり、
現在でも歌われ続けています。
平成19(2007)年には
「日本の歌百選」に選ばれてもいます。
一番
歌詞
一.仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも はや幾年 (いくとせ)
思えば いと疾し (とし) この年月 (としつき)
今こそ別れめ いざさらば
意味
仰ぎ見るほどに尊い 先生への恩
この学校に通い初めて もう何年も経った
思い起こせば とても早く感じた 学校の日々
まさに今、別れる時だ さようなら
いと疾し(とし)
「いと」は「とても」の意味で、
「疾し」(とし) は、速いとか早いを意味する
古語です。
戦国大名・武田信玄の
軍旗に書かれていたことで有名な
「風林火山」(ふうりんかざん)は、
『孫子』の一節
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」
(疾きこと (ときこと) 風の如く、
徐かなること林の如く、
侵掠すること火の如く、
動かざること山の如し)を略したもので、
この「疾き」と
『仰げば尊し』の「疾し」は同じ意味で、
過ぎ去った年月があっという間であったことを
表しています。
今こそ別れめ
「別れ目」と誤解されていると言われますが、
「今こそ別れめ」(今まさに別れよう)
という意味です。
「別れめ」の
「め」は、意志を表す助動詞「む」の已然形。
「こそ」は強調の係助詞(係り結び)で、
「こそ」は強意の係助詞で、
「……こそ……め」で、勧誘の意味に
使われることが多い語句です。
自分が別れようと決意しているだけでなく、
みんなに向かって
「(別れるのはつらいけど)
さあ、今はお別れだ。別れよう」なのです。
二番
歌詞
二.互いに 睦 (むつみ) し 日頃の恩
別れるる後にも やよ忘るな
身を立て 名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば
意味
互いに仲良き友との絆
卒業した後も忘れない
一人前になり 世に認められ さあ励もう
今まさに別れよう さようなら
「やよ」について
「やよ忘るな」「やよ励めよ」の「やよ」は、
現代語では「やあ。おい。さあ。」など、
相手に強く呼びかける感嘆詞・感動詞です。
身を立て名をあげ
一人前に自立し、
世間に認められる存在になり
その名声を高める立身出世を鼓舞すると、
戦後の平等な民主主義にはそぐわないと
批判された部分です(意味不明)。
元は『孝経』(こうきょう) にある、
個人の道徳も天下国家の政治も孝を根本とし、
孝こそ人と宇宙を一貫する原理であると説き、
修養を積んで親孝行を全うするという
儒教的道徳が由来とされています。
三番
歌詞
三.朝夕慣れにし 学びの窓
蛍の灯火 (ともしび) 積む白雪 (しらゆき)
忘るる間 (ま) ぞなき ゆく年月 (としつき)
今こそ別れめ いざさらば
意味
朝から夕方まで 慣れ親しんだ学校
蛍の灯火 積もる雪
忘れはしない 過ぎし日々
今まさに別れよう さようなら
蛍の灯火 積む白雪
古代Chinaの東晋時代、
車胤 (しゃいん) が夏に蛍を集めてその光で、
孫康 (そんこう) が雪が月の光を反射して
明るくなるのを頼りに
本を読んで勉強したという「蛍雪の功」の
故事に由来します。
苦しい環境や貧乏に耐えながら
多年に渡り熱心に学問に励むこと、
またはその努力の成果を指す故事成語です。
『蛍の光』の冒頭の「蛍の光 窓の雪」も
「蛍雪の功」の内容に基づいています。
忘るる間(ま)ぞなき
動詞「忘れる」+助動詞「る」+
名詞「間」+係助詞「ぞ」+
形容詞「なし」の連体形「なき」で
「忘れる暇 (ひま) ががない」を強調して、
「決して忘れない」という意味です。
卒業にあたり、
朝夕に親しんだ学び舎での日々や先生の恩を、
決してを忘れないという強い感謝と情景を
表現しています。
『仰げば尊し』が
卒業式で歌われなくなった理由
『仰げば尊し』が
卒業式で歌われなくなった理由としては、
歌詞が「いと」「やよ」のような
古語を多く含む文語調であるため、
特に古文の学習前の小学生にとっては
分かりにくくなったからだそうです?
教師を賛美する内容が時代にそぐわない、
いや、歌詞が「教師への従属・尊敬を強要」
しているのだそうです?
民主的な教育観が広まる中で、
軍国主義的な価値観に通じるのだそうです?