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六道参り(ろくどうまいり)

 
京都では、8月7日から10日までの間に、
京都市東山区の六道珍皇寺(ちんこうじ)に詣で、
盆の精霊(御魂)を迎えに行く
「六道参り」(ろくどうまいり)
別称「精霊迎え」という風習があります。
 
 

京都三大風葬地

現代の日本では「火葬」が主流ですが、
平安時代の京都では、亡くなった人は
遺体を埋葬せずに風にさらし、風化を待つ
「風葬」を行っていました。
 
当時から「火葬」の習慣もありましたが、
三位以上の身分ある者しか墓を造ることが
許されず、「火葬」は費用が掛かることから、
庶民のほとんどは「風葬」でした。
 
当初はそれほど問題とならなかった
「風葬」でしたが、
平安京が発展し人口が10万人を越えてくると、
それに伴い腐敗した遺体も溢れて
平安京内に伝染病や害虫を流行させるという
大問題が発生します。
 
都を清浄な空間として保つため、
自然に「風葬」の地は都の外に広がりますが、
あまりに遠隔地では用をなさないため、
都からそう遠くない場所が選ばれました。
 
それが嵐山の北にある「化野」(あだしの)
東山の「鳥部野」(とりべの)
船岡山の北西一帯の蓮台野 (れんだいや)
3つの地区で、
「京都三大風葬地」と呼ばれています。
 
化野(あだしの)
京都嵐山の清滝道を上っていくと竹林があり、
清滝地区手前にある嵯峨鳥居本という地区を
「化野」と呼んでいました。
 
化野は「あだしの」と読み、
化野は一般庶民の「風葬」の地でした。
あだしは古語で「悲しい」「はかない」という意味があるそうです。
 
嵯峨野にある浄土宗の寺院 「あだし野念仏寺」 の
境内に祀られる約8千もの石仏や石塔は、
何百年という歳月で
無縁仏となり散乱していた遺骸を
明治中期に掘り出して集めたものです。
毎年8月の最終土・日には
数千体の無縁仏にろうそくを灯して供養する、「千灯供養」が行われています。

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蓮台野(れんだいの)
蓮台野は、紫野 (むらさきの) の丘陵地、
船岡山を起点に、西側の千本通 (せんぼんどおり)
紙屋川 (かみやがわ) に沿って広がる野で、
この千本通 (せんぼんどおり) の一部は、
かつて平安京から「蓮台野」へ死者を送る
野辺送りの道であったとされています。
 
千本通を上ると、船岡山の手前に
「閻魔前町」(えんままえちょう) という地名が
あります。
あの世の入口、閻魔様の住む場所として
つけられた地名だそうで、
閻魔前町が紫野への出口であり、
平安京への入り口だったそうです。
「紫野」(むらさきの) という地名の由来は、
万葉集の奈良時代、この地が天皇や貴族の
薬草園、狩地だったからで、
生薬や染料に使う貴重な紫草が生えていた
ことからその名がついています。
 
一方「千本」という名称は、
一説には延喜元(901)年に太宰府へ左遷され、
その地で亡くなった菅原道真を供養して、
この道沿いに千本の卒塔婆 (そとば) を立てた
という伝説に由来しているそうです。
 
この「蓮台野」には、
後冷泉天皇や近衛天皇などの火葬塚があり、
主に皇族の葬送地となっていました。
 
鳥辺野(とりべの)
葬送地として一番規模の大きかったのが、
清水寺の南に位置する丘陵地、東山にある
鳥辺野 (とりべの) です。
ここは裕福な人達の風葬地という位置づけで、
『源氏物語』や『徒然草』にも登場し、
藤原道長も荼毘に付されたという言い伝えも
あります。
 

現世と来世を隔てる
「六道の辻」

 
平安時代の人々は、
鳥辺野を死者の住まう「あの世」、
そこより西側は生者の住まう「この世」と考え、
その境目である鳥辺野の入口を
「あの世」と「この世」の境目と考え、
この境目の場所を「六道」へ通じる道の
分かれる場所と考えました。
 
六道(ろくどう)とは
「六道」(ろくどう) とは、
人間が死後行くとされる六種の冥界のことで、
地獄道 (じごく)・餓鬼道 (がき)
畜生道 (ちくしょう)・修羅道 (しゅら)
人道 (人間)・天道があり、
人は因果応報により、
死後はこの六道を輪廻転生する
(生死を繰返しながら流転する)と言います。
 
六道の辻(ろくどうのつじ)
 
「六道の辻」(ろくどうのつじ) とは、
六道へ通じる道の分岐点で、
いわゆる「この世」と「あの世」の境で、
今も鳥辺野の入口を示す「六道の辻」として
2つの石柱が立ち、
冥界への入口と信じられてきました。
 
一つは「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ) の前、
もう一つはその少し西側(松原通沿い)にある
「西福寺」(さいふくじ) の東角にあり、
この辻より北が「現世」、
南が「あの世」(鳥辺野)とされます。
「六道の辻」の周辺には
かつて6つの仏堂がありましたが、
現在は西福寺の他、
六波羅蜜寺と六道珍皇寺が残っています。
 

六道参り(ろくどうまいり)

かつて先祖を野に送り、
先祖の霊は山にいると考えていた昔の人々は、
「盂蘭盆会」が近づくと、
御先祖様の霊「お精霊さん」(おしょうらいさん)
風葬地の入り口近くまで迎えに行き、
樹木を手で折って
そこに霊を乗せて家に連れて帰り、
その後、風葬地の入り口に
お寺とお墓が建てられるようになると、
お寺に迎えに行くようになりました。
 
高野槙(こうやまき)
 
お盆には冥界から帰ってくる精霊は、
必ず、槙 (まき) の葉の雫に宿って
この参道を帰ってくるとされることから、
この期間、参道には高野槙 (こうやまき)
売る店が軒を並べます。
 
参詣者はここから高野槇の枝を買い求め、
本堂前に行き、水塔婆 (みずとうば)
先亡の戒名や俗名を書いてもらいます。
 
水塔婆を線香で浄めたら、
その場に用意された高野槙で「水回向」を行ない、
その場所に納めます。
 
鳥辺野の場合
鳥野辺の「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
本堂前の井戸(冥途通いの井戸)は、
平安初期の公卿・詩人の小野篁が、夜毎 (よごと)
閻魔大王の下で裁判の補佐をするために
冥府との往復に使っていたと言われています。

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その伝説によって、先祖迎えの人々は
井戸の上に吊るされた梵鐘を鳴らすことで、
御先祖の精霊を迎える風習があります。
 
六道珍皇寺」の「迎え鐘」は、
十万億土の冥途にまで響き、
亡き霊を呼び寄せると伝えられています。
鐘楼にすっぽり包まれて外からは見えません。
鐘を撞くのではなく、
鐘楼の壁穴から出ている太い綱を
手繰り寄せるように、二度引いて鳴らします。
早朝から長い列が続くので、
覚悟して参拝しましょう。

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蓮台野の場合
「千本ゑんま堂 引接寺」、
「千本釈迦堂 大報恩寺」でも
「六道参り」が行われます。
いずれでも観世音菩薩を御開帳して
供養します。
 

五条若宮陶器祭

六道参りの帰り道に、立ち寄ってみたいのが、
東山にある若宮八幡宮(別称「陶器神社」)
行われる「五条若宮陶器祭」です。
 
椎根津彦命 (しいねつひこのみこと)
陶祖神として祀られており、
五条坂一帯の清水焼の陶器業者から
信仰を集めています。
椎根津彦命 (しいねつひこのみこと)
「天香久山の土を取ってくるように」と
神武天皇から命じられ、敵中を通り抜け
この土を持って帰り祭祀土器を作らせた
ことから陶祖神とされました。
 
8月7日の若宮八幡宮例祭の前日から4日間は、
五条坂一帯で盛大な陶器祭りが開催されます。
地元の清水焼の業者を始め、瀬戸、信楽、
有田など、有名産地の焼物を扱う
約500軒の露店が並ぶ、全国でも最大規模の
大陶器市と言われています。
 
また若宮八幡宮では、「美貌の神のお札」や
「美貌御守」「縁結び御守」を
授けていただけます。

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