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平成元(1989)年2月24日、昭和天皇の「大喪の礼」(たいそうのれい)

 
平成元(1989)年の2月24日、
氷雨が降る底冷えの中、
昭和天皇の「大喪の礼」が挙行されました。
 
 

昭和天皇御崩御


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昭和64(1989)年1月7日午前6時33分、
皇居・吹上御所において
昭和天皇が御崩御されました。
 
 
昭和天皇は、開戦、敗戦、
そして世界第2位の経済大国となる
「激動の昭和」を象徴する御存在で、
在位62年と最長(飛鳥時代以降)で、
87歳の生涯を閉じられました。
 
 

新天皇の即位

昭和天皇の御崩御後、直ちに皇太子殿下が
剣璽等承継けんじとうしょうけいの儀」を始めとする
皇位継承のための儀式を行って
新たな天皇に即位されました。
政府は新元号を「平成」と制定し、
1月8日午前0時から平成元年が始まりました。
 
そして1月31日に新天皇陛下によって
「昭和天皇」という追号が行われました。
 
平成の「即位の礼」
     
なお「即位の礼」は
平成2(1990)年11月12日に挙行されました。
まず「即位礼正殿の儀」で
天皇陛下(現上皇陛下)が即位を国内外に宣言。
そしてパレード「祝賀御列の儀」では、
沿道に集まった11万7千人から祝福を
受けられました。
 

「大喪の礼」(たいそうのれい)

現行の「日本国憲法」下において
「天皇(または上皇)の葬儀」は、
皇室典範第25条の規定に基づき
国事行為として行われ、
特定の宗教による儀式とされない
「大喪の礼」(たいそうのれい) と、
皇室の私的な儀式として位置付けられ、
皇室祭祀である神道の儀礼に則って行われる
「大喪儀」(たいそうぎ) があります。
 
 
なお「大喪の礼」は、天皇の崩御後すぐに
行われる訳ではありません。
当日の流れや参列者の確定と並行して
皇位継承の儀式なども
同時並行で進める必要があるため、
実際には崩御から一月以上を経て
行われることになります。
 
明治天皇の大喪

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明治45(1912)年7月30日、宮内省により
122代・明治天皇の御崩御が発表されました。
享年61でした。
 
 
明治37(1904)年頃から糖尿病を患っていた
明治天皇は、慢性腎不全など様々な疾患を
併発させ、徐々に体調を悪化させていました。
明治45(1912)年7月20日には
尿毒症で重体であることが発表されていました。
 
 
明治天皇の御崩御により、
皇太子殿下であった嘉仁親王が即位し、
元号が「大正」に改元されました。
 
8月6日、宮内省は明治天皇の「大喪儀」の
いわゆる葬儀・告別式に当たる
「斂葬の儀」(れんそうのぎ)
大正元(1912)年9月13日から15日までと定め、
9月13日夜に、東京青山練兵場で
「葬場殿の儀」(そうじょうでんのぎ) を行った後、
霊柩は列車で京都南部にある
伏見桃山陵(ふしみももやまりょう) に運ばれ、
9月15日に奉葬されました。
ところで「大喪儀」が現在のように
「神式」で行われるようになったのは、
明治期の孝明天皇の三年祭の時からであると
言われています。
江戸時代以前は長きに渡って仏教の寺院で
「仏式」の作法に則って行われていたのです。

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大正天皇の大喪

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子供頃から病弱でいらっしゃった大正天皇は、
大正15(1926)年の年初、風邪がきっかけで、
体調を悪化させます。
12月には危篤の報が出、
12月25日、貞明皇后、実母の柳原愛子、
皇太子殿下夫妻らが見守る中、
御崩御されました。享年47でした。
 
 
大正天皇の「大喪の儀」は、
昭和2(1927)年2月7から8日に行われました。
 
なお大正天皇の「大喪の儀」の模様は、
放送開始から間もないラジオで実況中継され、
葬場での一同礼拝の時報に合わせて
全国一斉に遥拝が行われました。
 
 
「大喪儀」は、2月7日夜に
大正天皇の霊柩を載せて牛に引かれた
轜車 (きぐるま/じしゃ)  の葬列が
皇居正門を出発することから始まりました。
宮中の伝統に倣い、夜間に執り行われたため、
葬列は松明や篝火などが照らす中、
約2時間半をかけて「葬儀殿」が設置された
新宿御苑に向かいました。
 
新宿御苑に到着した柩は
「葱華輦」(そうかれん) と呼ばれる輿に遷され、
古式に則って「八瀬童子」(やせどうじ) と呼ばれる
人々によって担がれ「葬場殿」まで静かに進み、
葬儀は伝統に倣って厳かに執り行われました。
 
葱華輦 (そうかれん) 
天皇が用いる屋上に葱坊主 (葱華) 形の
吉祥飾りを着けた輿
 
その後、新宿御苑から東京府南多摩郡横山村(現在の東京都八王子市長房町)にある
「武蔵陵墓地」内の「多摩陵(たまのみささぎ)
鉄道を用いて約2時間かけて棺を運び、
そこで葬られました。

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昭和天皇の「大喪の礼」

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平成元(1989)年2月24日、
国事行為たる儀式「大喪の礼」が
午前9時35分に昭和天皇の霊柩を乗せた
轜車 (じしゃ) を中心として組まれた葬列が、
雨の降る皇居正門を出発することに
始まりました。
伝統では、天皇の霊柩は牛車で運ばれるのですが、霊柩車に変更されました。
明治、大正両天皇の御崩御の際に
(ひつぎ) を担いだのは、古式に則って
比叡山延暦寺の麓に位置する
京都・八瀬村 (現・京都市左京区八瀬) の
住民「八瀬童子」(やせどうじ) でした。
但し、昭和天皇の大喪の礼では、
棺の輿の担ぎ手は皇宮警察でした。
 
 
昭和天皇の「大喪の礼」の日は
条例によって「公休日」となり、
ほとんどの公共施設や商業施設も
休みとしたことから、
雨の中であったにも関わらず、
皇居から新宿御苑までの沿道には
20万人以上人達が出て、葬列を見送りました。
「昭和天皇の大喪の礼の行われる日を
休日とする条例」平成元年2月23日
条例第1号
昭和天皇の大喪の礼の行われる日を休日とする法律(平成元年法律第4号)に規定する日は、
日野町職員の休暇等に関する条例(昭和40年日野町条例第26号)第2条および日野町職員の給与に関する条例(昭和40年日野町条例第1号)第17条第3項に規定する国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日とする。
付則
この条例は、平成元年2月24日から施行する。
 
 
新宿御苑到着後、昭和天皇の霊柩は
轜車 (じしゃ) から葱華輦 (そうかれん)に遷され、
白木造りの葬場殿に安置されると、ここから、
国家儀式である「大喪の礼」から
皇室儀式である「大喪儀」のうち
「葬場殿の儀」が厳かに執り行われました。  
「葬場殿の儀」が営まれた後、
小渕恵三・内閣官房長官(当時)が
「大喪の礼御式を挙行いたします」と告げて
国家儀式である「大喪の礼」が再開されました。
 
 
天皇・皇后が葬場殿前に進み、
正午から1分間の黙祷。
三権の長が拝礼の上で弔辞、
参列した諸外国元首・弔問使節の拝礼、
参列者の一斉拝礼が行われて、
葬場殿における「大喪の礼」は終了しました。
 
 
その後、中央自動車道を通って、
東京都八王子市にある
「武蔵陵墓地」に着くと、
皇室儀式として「陵所の儀」が営まれ、
昭和天皇の霊柩が「武蔵野陵(むさしののみささぎ) に納められました。

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国事行為と皇室行事
なお、一連の流れの中で、
皇室行事の大喪儀「斂葬の儀」
(「葬場殿の儀」や「陵所の儀」)が
行われていますが、
国事行為である「大喪の礼」と区別するために
当日は皇室行事の「大喪儀」が行われる際だけ、
鳥居を設置するなどして、
厳密に「大喪の礼」と「大喪儀」を区別し、
混同されないように細心の注意が払われ
ました。
 
弔問外交
国事行為の「大喪の礼」には、
国内外の要人約9800人が参列。
大喪にはブッシュ米大統領、
ミッテラン仏大統領、
スハルト・インドネシア大統領や、
ベルギー、スウェーデン、スペインの国王夫妻、
エリザベス英女王の夫フィリップ殿下ら
元首、王族を含む164カ国の代表と国内外の要人
約9800人が参列し、東京で弔問外交を展開。
全米にも生中継されました。
 
「昭和天皇大喪の礼」に参列した
国及び国際機関の代表(資料:外務省)

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