
「放生会」(ほうじょうえ)とは、
捕らえられた魚鳥など生物を
生きたまま池や野に放ち、
肉食や殺生を戒める仏教行事です。
神仏習合により、お寺だけでなく、
放生池のある神社でも行われるようになり、
神仏分離後は「仲秋祭」と言われて、
海の幸、山の幸、五穀豊穣に感謝し、
精進するための秋祭りが行われています。
放生会(ほうじょうえ)
放生会とは
仏教の「生き物を殺してはならない」という
戒めに基づく行事です。
生きている鳥や魚、虫などを
山野や池に放つことで、
日頃私達が生きるために
命をいただいている生き物を供養し、
感謝を捧げる神事です。
逸話
「放生会」は、『金光明最勝王経 』の
お釈迦様の過去世のエピソードが説かれている
「長者子流水品」(ちょうじゃしるすいぼん) にある
話から来ています。
お釈迦様が前世で流水長者であった時、
池の水が干上がって死にそうになっている
魚達を見て哀れに思い、王に願って
二十頭の象に水を運ばせて命を救い、
死後に天に生まれるように説教します。
その魚達が死後に
忉利天 (とうりてん) の天子となって
報恩の華と宝珠を降らせたというのです。
忉利天 (とうりてん) は、仏教の世界観における
六欲天の第2の天で、須弥山の頂上に位置し、
帝釈天が住む世界です。
天台大師
仏教儀式としての「放生会」は、
今より約1400年以前の陳・隋にかけて活躍した
天台宗の高祖・天台大師 智顗 (ちぎ) が、
漁民が雑魚を捨てている様子を見て憐れみ、
自身の持ち物を売っては魚を買い取って
「放生池」に放したことに始まるとされます。
日本に仏教が伝えられた西暦538年、
天台大師はChina荊州華容県 (かようけん) に
誕生されました。
18才で出家し、智顗 (ちぎ) と名付けられました。
23才の時、光州大蘇山の慧思 (えし) 禅師に入門。
禅師は「お前と私は、は昔インドの霊鷲山で
お釈迦様の『法華経』を一緒に聞いた」と
不思議な因縁を語り、再会を喜びました
(「霊山同聴」(りょうぜんどうちょう))。
この慧思禅師は、聖徳太子に生まれ替わり
『法華経』を弘めたと言われています。
その後、陳の首都・建康 (けんこう) で、8年間、
布教をした後、聖地・天台山で修行を深め、
遂に、暁けの明星を見て真の悟りを得、
「中国のお釈迦さま」と呼ばれるように
なりました(「華頂降魔」(かちょうごうま))。
その天台山から流れ出す川や河口では
漁業が行われていましたが、水死者も多く、
魚も多く殺されていました。
大師はこれを憐れんで衣や持ち物を売って、
そのお金で魚を捕るため簗 (やな) を買い取り、
そこを放生 (ほうじょう) の場所にしました。
この天台大師の「放生会」が、
仏教史上初めての「放生会」でした。
そして「長者子流水品」の説教をすると、
人々はだんだん殺生が嫌いとなり、
簗 (やな) が廃止されるようになりました。
これを聞いた陳の宣帝は大変感動し、
その流域を勅命で「放生池」(ほうじょうち) と
定めました。
日本の「放生会」の起源
日本では、天武天皇5(676)年8月壬子の条に
「是の日に、諸国に詔して、放生せしむ」と
「諸国以放生」の勅命が出されたことが
『日本書紀』に記されています。
また『続日本紀』にも、
文武天皇元(697)年8月17日の記事に
「令諸国毎年放生」とあるなど、
奈良時代初めから
「放生会」行われていたことが分かります。
そして天平宝字8(764)年10月には、
鷹狩を所管する「放鷹司」を廃止して、
「放生司」が置かれました。
八幡放生会
(やわたほうじょうえ)
後に、わが国では神仏習合によって
「神道」にも取り入れられました。
養老4(720)年に「宇佐八幡宮」で行われた
「放生会」が日本最初と言われています。
『八幡宇佐宮御宣託集』によると、この年、
大隅・日向地方で、隼人 (はやと) の反乱が起き、
その鎮定のために八幡神が寄与したことが
契機となったと伝えています。
戦いにおいて多くの「殺生」が行われたので、
八幡神が応報として生きものを放つこと、
つまり「放生」を行うを神託したというの
です。
隼人鎮定後、隼人の御霊が蜷や蛤になり、
悪気が漂い、病気が蔓延ったため、
隼人の霊を鎮めるために始まったとも
言われていることから、
宇佐神宮では放生会の原初である
「誅伐した大隅日向の隼人の鎮魂」の本義を
今でも継承していて、
祭典直前に世襲の蜷職により集められた
蜷 (にな)=巻貝や蛤 (はまぐり) を、
葦で編んだ「葦苞」(あしづと) という包に納め、
隼人の御霊達に祝詞を捧げてから、
放流されます。
以来各地の八幡神社に広まり、
「八幡放生会」(やわたほうじょうえ) として
行われるようになりました。
かつては旧暦8月15日に催していましたが、
現在は、9月15日近辺に行うところが
多いようです。
江戸時代の放生会
江戸時代になると
「放生会」は民衆の娯楽としての意味合いが
強くなりました。
江戸の庶民は、橋の脇で「放し亀屋」などと
呼ばれる露店商人が紐で吊るし
路上に陳列して売られている亀を買って、
橋の上から逃がしてやりました。
「放し亀屋」では、亀に限らず
雀や鰻、更に鯉も売られていました。
鰻は、鰻屋では料理に使えない
小さい鰻を安く買って使用したそうです。
こうした物珍しさもあって、
子供達に人気の年中行事でした。
なお「放し亀屋」では、
逃がした亀などを再び回収して、
新たな客に売るという商売をしたそうです。
放生池(ほうしょうち)
寺社仏閣には、「放生会」で、
捕らえられた亀や魚を逃がすために、
「放生池」(ほうしょうち)を
設けられているところが多いです。
全国で行われている
「放生会」(ほうじょうえ)
現在、「放生会」(ほうじょうえ)は、
収穫祭・感謝祭の意味も含め、
春または秋に、全国の寺院や、
大分県宇佐市にある「宇佐神宮」を初めとする
全国の八幡宮(八幡神社)で催されています。
京都の石清水八幡宮の「石清水放生会」や
福岡県の筥崎宮の「筥崎宮放生会」は、
多くの観光客を集める祭儀として
特に知られています。
「筥崎宮放生会」(はこざきぐうほうじょうや)
「筥崎宮」で行われている「放生会」は、
「博多どんたく」「博多祇園山笠」と並んで
「博多三大祭り」のひとつと言われています。なお地元では、訛って「ほうじょうや」と
呼んでいます。
「筥崎宮放生会」(はこざきぐうほうじょうや)は、
毎年9月12日から18日にかけて行われる
千年以上の歴史を持つ祭りです。
元は殺生を戒める仏教の儀式でしたが、
合戦の続く戦乱の時代に、
「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、
秋の実りに感謝する」祭りとして
始まったそうです。
期間中は、参道一帯に約500軒の露店が
立ち並びます。
「放生会に行けば、梨も柿も(秋の物なら)
何でもかんでも揃う」ことから、
昔から「梨も柿も放生会」と言われ、
露店では、梨や柿、栗などの果物を始め、
季節の物が豊富に売り出されています。
また「葉つきの新ショウガ」を売っている
お店も目立ちます。
キレイなびーどろ細工の「博多ちゃんぽん」も
名物のひとつです。
細いガラス管をプウっと吹いて、
パペパペと音を鳴らして遊びます。
筥崎宮の名物菓子「社日餅」(やきもち)は
素朴な味わいで人気のお餅です。
白いプレーンタイプのお餅と緑のよもぎ餅の
二種類があり、中には粒あんが入っています。
かつては「放生会着物」と言って、
女達はこの日のために
晴れ着を新調する習慣がありました。
そして、「人を見るなら宰府の祭り、
衣装見るなら放生会」と言われたそうです。
宇佐神宮「仲秋祭」
現在、全国の神社仏閣で斎行される
「放生会」の起源となる祭典が、
宇佐神宮で行われる「仲秋祭」です。
「放生会」とは神仏習合時代の法会の名称で、
明治以降に「仲秋祭」と改められました。
「仲秋祭」は、「宇佐神宮放生会」として
大分県選択無形民俗文化財に指定されています。
「仲秋祭」の内容はいくつかの点で独特です。
「放生会」は、正式には陰暦8月15日ですが、
「仲秋祭」は10月の「スポーツの日」を含む
土曜・日曜・月曜の3日間に催されます。
令和7(2025)年の宇佐八幡宮での「放生会」は、
10月11日(土)から10月13日(月) で、
蜷の放流は12日(日)の10時30分頃から
予定されています。
石清水八幡宮「放生会」
石清水八幡宮の「放生会」は、
例年9月15日に行われる勅祭「石清水祭」の中の
儀式として執り行われています。
「石清水祭」は、「葵祭」や「春日祭」と共に
「日本三勅祭」の一つに数えられています。
「石清水放生会」は、
宇佐八幡宮の放生会に倣って、
清和天皇の貞観5(863)年旧暦の8月15日に
放生川に生ける魚鳥を放ち、
「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う
祭儀として始められました。
天暦2(948)年からは「勅祭」(ちょくさい)として
斎行されるようになりました。
「勅祭」とは、天皇陛下のお使いである勅使が直々に天皇陛下からのお供え物「幣帛」を
供えるために参向される祭典のことで、
全国8万社ある神社の中でも「勅祭」が斎行される
神社は16社しかありません。
鶴岡八幡宮「鈴虫放生祭」
9月14~9月16日の3日間執り行われる
「例大祭」の神事の一つ
「鈴虫放生祭」では、
境内の林に鈴虫を放ちます。
『吾妻鏡』には、文治3(1187)年8月15日に
「放生会」と「流鏑馬」が行なわれた
記録があります。
吉田寺(ぽっくり寺)の
「鳩にがし法要」
奈良県斑鳩町の「吉田寺」(きちでんじ) は、
長患いせず、下の世話にならずに
ぽっくり往生出来る御利益があることから、
「ぽっくり寺」の名で親しまれています。
「吉田寺」では、毎年9月1日に
同寺最大の行事「放生会」が営まれています。
本堂で祈祷などが営まれた後、
境内で僧侶らが念仏を唱える中、
多数の鳩が籠から一斉に放たれることから、
別名「鳩にがし法要」とも呼ばれています。
その後、門前の放生池へ移動して、
池の前で念仏を唱え、金魚を放ちます。
興福寺
天平21(749)年に放生池として造られた
人工池「猿沢池」(さるさわいけ)に、
例年4月17日、桶に入った鯉や金魚などが
池に放たれます。
放生寺
東京都新宿区西早稲田にある放生寺では、
毎年「スポーツの日」に、日々食事で魚介、鳥、動物などの命をいただくことに感謝をする「放生供養法要」を厳修し、
境内の放生池に金魚が放流されます。
